高見城 / 四ツ山城 / 四津山城の感想 高見城 / 四ツ山城の築城年代や築城者は不明ですが、太田道灌が1480年に書いた書状に『高見』『高見在番衆』というのがあったらしく、その名が登場することからこの年頃には築かれていたんじゃないかなぁ~!?!?って云われています(〃艸〃)ムフッ現在の小川町駅(東武東上線?)から約3.5km北方面、比企丘陵(ひききゅうりょう)最北部の丘陵部・四津山(標高197m […]
腰越城の感想 青山城 / 割谷城から約5.4km先に、扇谷上杉氏の家臣だった武蔵松山城の城主、上田氏が青山城と同様に支城として築いたとされているのが『腰越城』です( `ー´)ノ上田直朝の重臣である山田直定が城主をつとめた城で、代々山田氏の居城となっていた様です。目立った戦闘の記録はないものの、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐の際に武蔵松山城と共に落城したんじゃないかと思われます。その後は・・・その […]
青山城 / 割谷城の感想 青山城 / 割谷城は、青山と下里の大字境に位置しており、青山側は『青山城』と呼ばれ、下里側は『割谷城』と呼ばれていた様です。青山城/割谷城は山城自体に大きな仕掛けがある感じではなく、標高265mの山頂に築かれており、山頂の尾根を利用した山城でそれぞれの郭は堀切で防衛されているシンプルな山城のイメージでした。少し離れますが、尾根をたどっていけば小倉城に辿り着くことができ、扇 […]
小倉城の感想 国指定史跡である『比企城館跡郡(菅谷館跡 松山城跡 杉山城跡 小倉城跡)』のひとつである『小倉城』を城攻めしてきました!(⌒∇⌒) 小倉城は関東では珍しい大規模な石垣を有する山城で、しかもその石垣は全国でも稀な『石積み遺構』の石垣になっています。その規模は郭3をコの字型にかこむ最大高約5m総延長120mあまりの大規模な『石積み』が発見されています。また、現在は埋め戻されている様ですが […]
松田城の感想 松田城・・・とても行きたかったお城です! 松田城に興味があったのは『箕輪 諒』さんの著書『最低の軍師』って本で、上杉謙信軍が臼井城を攻めたのですが、謎の軍師と言われる『浄三』こと『白井 胤治』と、もう一人の主役『松田孫太郎』が大活躍する歴史小説で、上杉来襲に備え後北条が援軍として送ってきたのは松田孫太郎率いるわずか250名あまりの援軍でした。しかし、この謎の軍師『白井 胤治』と阿修羅 […]
源実朝公御首塚の感想 三代目の鎌倉殿(鎌倉幕府第三代目征夷大将軍)である源実朝がこの秦野市に『首塚』がありました。実朝は兄の頼家が追放されると12歳で鎌倉殿となり執権の北条氏に支えられ成長していきます。源実朝は朝廷に重んじられ官位の昇進も早く、若くして公卿(くぎょう)に補任され、その後、武士として初めて右大臣に任じられ京との繋がりも強くなります。1219年、鶴岡八幡宮で右大臣昇進の拝賀の式後、追放 […]
波多野城の感想 神奈川県秦野(はだの)市にある『波多野(はたの)城』です(^▽^)/波多野城は、相模国波多野荘(現在の秦野市)を本領とし、沼田郷・河村郷・松田郷・大友郷などを支配した波多野氏の居城であったとされています。波多野氏(相模国)は古くは平安時代から鎌倉時代にかけて発展した豪族で、坂東武士としては珍しく朝廷内でも高い位を持った豪族であったみたいですね。。。河内国(近畿)の河内源氏の源頼義の […]
藤橋城の感想 藤橋城は築城はいつかはわかっていませんが、平山虎吉や藤橋小三郎の居城跡と伝わっています。北条氏照の家臣と云われていますが、そもそも平山氏は武蔵七党のひとつである西党の出身で、源平合戦において名を馳せた平山季重の後裔であると云われています。戦国時代に平山氏の宗家は檜原城を居城とし分流が藤橋城を居城としたとか・・・らしいです。(^▽^)/ ここは東京都青梅市になるのですが、藤橋城に来る […]
勝沼城 / 師岡城の感想 勝沼城は現在の東京都青梅市にある平山城で、鎌倉時代から続く名族三田氏が築いた城と云われています。同じ国人で勢力のあった今井氏が衰退すると三田氏がこの辺一帯に勢力を拡大し国人としては大きくなり、鎌倉時代から約250年以上ここを居城とし三田氏が勢力を持ちますが、小田原から勢力拡大する後北条氏が勝沼城を落城させると、三田氏はさらに西側(山奥)へ約8kmの場所に辛垣城を築き対抗し […]
今井城の感想 現在の東京都青梅市の住宅地の中にあるのが今回城攻めしてみた『今井城』です。今井城は今井氏の居城で、今井氏は『武蔵七党』と云われる『児玉党』に属していたとされます。(児玉党は現在の埼玉県本庄市を中心とする党で、武蔵国児玉郡(現在の埼玉県児玉郡)から秩父~大里~入間郡および上野国南部あたりに勢力があった一族だったとされています。1416年に起きた『上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん) […]