- 2026.07.25
愛甲三郎館跡(神奈川県)
愛甲三郎館跡の感想 愛甲三郎季隆(あいこうさぶろうすえたか)の居館跡に訪問。近くを通ったので訪問。事前知識無しで誰?と思いながら訪問してきました笑 市のHPによると、「愛甲氏は、平安時代末期に武蔵国で興った武蔵七党と呼ばれた有力な武士団の一つ、横山党の流れをくむ一族です。」とのことで横山党の武将になります。平安末期から鎌倉時代に活躍した方になりますね。今度別で横山党の発祥(横山神社)については記事 […]
お城の中でも平地に築かれた平城や丘陵、低山などに築かれた平山城一覧。訪問した記事を表示しています。
愛甲三郎館跡の感想 愛甲三郎季隆(あいこうさぶろうすえたか)の居館跡に訪問。近くを通ったので訪問。事前知識無しで誰?と思いながら訪問してきました笑 市のHPによると、「愛甲氏は、平安時代末期に武蔵国で興った武蔵七党と呼ばれた有力な武士団の一つ、横山党の流れをくむ一族です。」とのことで横山党の武将になります。平安末期から鎌倉時代に活躍した方になりますね。今度別で横山党の発祥(横山神社)については記事 […]
山川館跡の感想 山川館跡(やまごやかたあと)は、1300年~1400年頃に、加賀国の守護職を務めた大名の富樫政親の家臣として活躍した山川高藤(山川三河守)が居館として構えており、『富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑』と同様に北陸鉄道の野々市工大前駅前にある史跡(館跡)です(`・ω・´)ゞ土器や陶器などその時代のものが出土しているみたいですね~♪山川(やまご)氏は、市の資料や説明によると富樫家国 […]
富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑 北陸鉄道の野々市工大前駅前に『富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑』があります! 案内板がありますがそこには『この石碑は、昭和四十二年(1967年)にかな金沢工業大学と富樫卿奉賛会が館の存在を広く知らせるために建てたものである。石碑の裏には『富樫氏歴代の居館したところ富樫城とも云われる九艘川と新兵衛川を外壕とした區域である』と刻まれている。富樫館/守護所は […]
富樫館跡 / 守護所の感想 1335年に富樫高家が加賀国の守護大名となり、政務をとった館を築いたのが『守護所』であり『富樫館』とも呼ばれていました。富樫高家を初代と考えそれから1488年に第12代目と(1つ飛ばして)第14代目富樫家を継いだ富樫政親が加賀一向一揆衆たちに攻められ富樫氏の詰城だった高尾城に立て籠りますが攻め込まれて殺されてしまいます。その後も富樫泰高(やすたか)稙泰(たねやす)晴貞( […]
末吉城 / 堀松城 / 笹山城の感想 末吉城は七尾城を本拠地とした能登畠山氏の支城(出城)として築かれたとされていて、築城は1394年~1427年頃と云われているみたいです。能登外浦街道の浜街道と中道通、安津見から奥山峠を越えて田鶴浜に通じる土田街道、吉田から七尾西湾の大津に通じる得田街道を押さえる重要な役目をする城郭にするために、応仁の乱後、帰国した畠山義統は能登国を防衛する目的で末吉城を完成さ […]
小丸山城の感想 小丸山城は能登国の付け根(一番南側?)七尾城の北方面(七尾城が山奥の要害の地にあるので北の海側)に、七尾湾を活かし御祓川(みそぎがわ)沿いに小丸山城はあります。織田信長の命により越前国の府中城で10万石を有してた前田利家が能登国一国を与えられ、越前国から能登国に移り七尾城を本拠地としていた様ですが、山深く要害の地だった七尾城では防御上は利点があったが港から離れていて治世・経済上の利 […]
糟屋館/上杉館跡の感想 太田道灌が好きなら気になる場所の一つですよね。1486年7月26日に太田道灌はこの場所にあった扇谷上杉氏の館に招かれ、主君だった上杉定正に誅殺されてしまいます。市の案内によると風呂場で襲われ「当方滅亡」と叫び、絶命したといいます。と書かれてました。現在は産業能率大学になってしまっており館の面影はほぼ残っていないですね。その後はこの前の記事、実蒔原古戦場や七沢城などで書きまし […]
荻野山中藩陣屋跡の感想 荻野山中藩陣屋もしくは荻野山中陣屋と言われている場所になります。住宅に挟まれた場所にポツンとある史跡ですが、遺構はほぼ何もなく、山中稲荷に標柱が山中陣屋跡史跡公園に案内板などがあります。訪問時はあまり詳しく調べてなく、たまたま近くに行った際に寄っただけなので、山中陣屋跡史跡公園があることに気づかずに山中稲荷のところだけ訪問して帰ってしまいました。。次回近くに行った際には公園 […]
世良田館の感想 世良田東照宮の隣に世良田館跡として公園が整備されています。世良田氏は新田氏の支流で新田義重の次男?の頼氏(よりうじ)が世良田荘をもらったことで世良田氏を名乗るようになっていきます。説明版では昭和9年ごろの記載として世良田義政館址との記載があると書かれており、少し謎になります。一応、最初は新田義貞側だったのでその当時には館は世良田にあったということですかね。その後は足利氏側について裏 […]
鶴舞城 / 鶴舞城本丸之跡 / 鶴舞藩庁跡の感想 大多喜街道(国道号線)から少し外れた鶴舞看護専門学校への道を進むと舞鶴城/舞鶴藩庁跡があります。舞鶴城/舞鶴藩庁跡は意外と築城?は浅く明治元年に入ってからで、浜松城6万石の城主だった井上正直公が、 1868年(明治元年) に徳川家移封に伴い鶴舞へ転封となり築城したと云われています。舞鶴城/舞鶴藩庁跡は養老川の支流である平蔵川の 右岸の台地上に位置し […]