- 2026.05.26
- 入場料無料,
跡部氏館跡(長野県)
跡部氏館跡の感想 『武田信重館跡/武田信重の墓』を作ってて、めちゃめちゃ気になって『あれ?昔、どこかで見かけた武将だなぁ・・・』って過去の写真をひっくり返してみたら・・・ありました!(●^o^●) 長野県佐久市にありました『跡部氏館跡』です( `ー´)ノ 小笠原氏の嫡家であった伴野時長の次男の跡部長朝に始まる。その中心地がこの『跡部氏館』です!(=゚ω゚)ノ 跡部氏館跡は千曲川に面した跡部集落の […]
お城の中でも平地に築かれた平城や丘陵、低山などに築かれた平山城一覧。訪問した記事を表示しています。
跡部氏館跡の感想 『武田信重館跡/武田信重の墓』を作ってて、めちゃめちゃ気になって『あれ?昔、どこかで見かけた武将だなぁ・・・』って過去の写真をひっくり返してみたら・・・ありました!(●^o^●) 長野県佐久市にありました『跡部氏館跡』です( `ー´)ノ 小笠原氏の嫡家であった伴野時長の次男の跡部長朝に始まる。その中心地がこの『跡部氏館』です!(=゚ω゚)ノ 跡部氏館跡は千曲川に面した跡部集落の […]
武田信重館跡/武田信重の墓の感想 武田信重は甲斐源氏第14代目当主であり武田氏第11代目当主でもあります。武田信重の父をたどっていくと父:信満→信春→信成→武田信武(本人は甲斐武田の当主、弟が初代安芸武田氏の武田氏信)に辿り着きます(^◇^) 武田信重が誕生したころの甲斐国は管理下に置く鎌倉府の支配国のひとつでしたが、京都に置く室町幕府で何事も決定される複雑な国運営をしていた様です。室町幕府側は逸 […]
勝山城 / 甲斐勝山城の感想 勝山城は山梨県だけでも全国的に見ても城・館も含め複数ありますね。『勝』とつけて何かと縁起のいい名称なんでしょうか?(●^o^●) 山梨県では県指定史跡となっている勝山城(山梨県都留市)有名で、こっちの勝山城(甲府市)は・・・あえて『勝山城/甲斐勝山城』とさせて頂きました( `ー´)ノ こっちの勝山城は甲斐国では名門氏族の油川氏の居城であったと云われています。古い平山城 […]
一条氏館跡/一条氏塁跡の感想 上野城/甲斐上野城から直ぐ目と鼻の先に『一条氏館跡/一条氏塁跡』があります。(`・ω・´)ゞ 一条信龍の居館址であり一条信龍は武田二十四将のひとりとされています。 一条家は武田氏の有力分家であったようですが鎌倉時代に途絶えていたため、武田信玄が信龍に名家の一条家を継がせ復活させたようです。因みに・・・一条信龍は武田信虎(武田信玄の父親)の末子みたいですね!(^◇^)信 […]
上野城 / 甲斐上野城の感想 んんん・・・・なんだろうなぁぁぁ・・・・(;´Д`) 現在は『歌舞伎文化公園』として整備されている曽根丘陵に・・・ここは『市川團十郎発祥の地』がある文化に富んだ場所の上野城/甲斐上野城があります。立派なお城が建っているのですが・・・歴史的な構造や城らしさを感じません。 この先に『一条氏館跡』があるため、従来はそこと合わせて城があったんではないかと思います。一条氏は武田 […]
椿城/上野城の感想 鎌倉時代に小笠原氏の一族だった上野盛長が築いた城と云われています(だから上野城なんですねぇ~)、当時から周辺に椿が多く自生していたころから『椿城』と称されたみたいです。今の案内は上野城ではなく椿城での案内が多々ありますね(≧◇≦) 武田家七代目の当主武田信武の次男大井信明が1350年~1352年頃に領主となったが、その後の椿城は秋山氏が居城としたようです。戦国時代に入ると大井信 […]
河尻塚の感想 信玄公火葬塚を見に来て偶然見つけました!!!『川尻塚』\(◎o◎)/!です! 河尻氏と織田信長の家臣で黒母衣衆筆頭の河尻秀隆の事だと思います。織田信長の下で戦功を数々あげた優秀な武将だったと思います。武田氏を滅ぼすために織田信長の息子の信忠が総大将として攻め込み、河尻秀隆は織田信忠の補佐として従軍し武功をあげていったとされています。武田氏滅亡後はその戦功に対し甲斐22万石と信濃諏訪郡 […]
信虎誕生屋敷/岩下氏館跡の感想 武田信虎の誕生屋敷の跡になります。今は果物園みたいになっており史跡は確認できませんでしたが、案内板からだとこの一帯に館跡があったらしく館林には水路が巡り西側は2mほど高くなっているようです。確かに案内板の前には水路があり堀と云うかそんなものを連想させる構造でした。 岩下氏も知らなかったので少し調べてみると、甲斐伴氏流宮原氏の庶流に岩下氏がありその岩下氏ではないかとさ […]
旧柳生藩陣屋跡の感想 柳生城・柳生家墓所(芳徳寺)から道路を挟んで向かい側に『旧柳生藩陣屋跡』があります。旧柳生藩陣屋跡は、戦国武将だった柳生家厳が松永久秀に付き敗れ落ちぶれてしまい、息子の柳生宗厳(石舟斎)が剣術の流派「柳生新陰流」を生み出し剣豪として知られ、さらにその息子の柳生宗矩(むねのり)が徳川家に認められ、秀忠・家光の二代に仕え大名として復活します。1642年に柳生藩初代藩主となった柳生 […]
伴野城/野沢城の感想 伴野城(とものじょう)は別名野田城とも呼ばれており、室町時代ころに拡張されてその時代に野沢城と呼ばれていたようです。伴野城は鎌倉時代初期、小笠原長清の六男である「伴野時長」によって築かれたとされており、現在残っているのは野沢城時代の本丸跡とのことです。伴野城は室町・戦国時代に城郭(二の丸・三の丸等)へと拡張され周囲に濠と土居を巡らせ、南側に正門、西南の高台に物見櫓があったと説 […]