CATEGORY お城

日本のお城カテゴリーです。

大津城(滋賀県)

大津城の感想 坂本城に行くついでに大津城跡へ行って来ました。遺構らしきものはほとんど残っていないようですが、訪問時に気づきませんでしたが、1980年に大津城の石垣らしきものが発見され、大津祭曳山展示館横の駐車場にて見られるとのことです。大津城は明智光秀の坂本城を廃城にして代わりに建てられたお城で、坂本城で使われたていたものを一部使って作られたとも言われております。また、一部材料が使われているだけで […]

飯山城(長野県)

飯山城の感想 今回は長野県北東部にある飯山市のお城、飯山城に行ってきました。飯山城は室町時代頃に泉弥七郎が築城したお城ですが、戦国時代に入り、上杉謙信が信濃に進行してくる武田信玄に対抗するための重要な拠点として改修整備したお城でもあります。武田信玄の幾度かの攻めにも飯山城は落ちることは無かったと伝えられています。確かに実際に行ってみると、平山城なのですが、千曲川などの河川が自然の堀の代わりをしてい […]

葛尾城(長野県)

葛尾城の感想 村上義清の居城、葛尾城に行ってきました。と言ってもナビの案内通りの葛尾城の駐車場はとてつもない道を通って行く道で今回は大失敗でした。(道中の動画は下へスクロールしていただくと見られます。)動画では伝わりづらいかもしれないですが、SUV系の車でも腹下をするくらい道がひどいのと結構砂利の勾配がキツく2駆だと空転するような場所もあります。途中からずっと4駆で走りました。あと大きい車も道幅が […]

坂本城(滋賀県)

坂本城の感想 坂本城と言えば明智光秀のお城ですね。ほとんど何も残っていないこともありなかなか足が向かなかったのですが、今回、新しく令和6年2月11日に三の丸の石垣が発見されたとのことで発掘調査説明会に行ってきました。坂本城は1571年に織田信長が比叡山延暦寺の焼き討ちによる功績により明智光秀に与えた所領坂本に築城されたお城です。明智光秀は岐阜県可児市の明智城で生まれたと言われています。その後、足利 […]

長篠城(愛知県)

長篠城の感想 とても有名な城ですね!歴史のターニングポイント!トリガーとなる時代の重要な城です。 『長篠城』です!!!!! 長篠城は菅沼氏が築城したといわれ、主に松平氏の居城としていました。長篠城は豊川と宇連川が合流する天然の要害を要し、信濃国・遠江国・三河国への街道に繋がる交通の要所でもある重要な城だったことがわかります。武田信玄が西上作戦を実施、長篠城もその勢いに呑まれていき当時城主であった菅 […]

小山城(山梨県)

小山城の感想 山梨県笛吹市八代町にある小城の小山城です。一応、笛吹市指定史跡に指定されていますが・・・草ボーボーですわ!(´;ω;`)ウゥゥ 小山城の築城ははっきりしていないようですが、1459年(宝徳2年)ごろには河内領を有する穴山氏の穴山伊豆守がこの城に入城していたらしく、同族の武田信重と敵対していたとされています。甲斐盆地の南東に位置する小山城は若彦路と鎌倉街道に隣接する交通の要衝で、小山城 […]

  • 2024.01.02

替佐城(長野県)

替佐城の感想 替佐城はこの前に投稿した壁田城と千曲川を挟んで対岸にある城で、替佐城は武田氏の前線の城として使用されていたとのことです。壁田城が高梨氏の城で上杉方に付いた武将であることから、千曲川を挟んで武田と上杉で睨み合っていた場所だったのだろうなどと思いながら訪問すると、面白いですね!実際の訪問したお城の印象は各曲輪が複雑に置かれていて、また堀切など高さも意外とあるので迫力があり攻めづらそうであ […]

壁田城(長野県)

壁田城の感想 壁田城(へきだじょう)へ行ってきました。かなり上の方まで車で行けるので比較的登頂の楽な山城です。壁田城は高梨氏のお城として甲斐の武田信玄に対抗するために使われていたお城のようです。高梨氏は信州の中野市周辺を治めていた豪族で武田氏に対抗するために上杉謙信方に付き、また高梨政頼の時代には武田が攻めてくるまで同じ信濃の領有権を争って戦っていた村上義清と手を組んで武田信玄を撃退したこともある […]

若神子城(山梨県)

若神子城の感想 若神子城へ行ってきました。この周辺は武田氏発祥の地とも言われている地域で、武田氏の祖と言われる、源義光(新羅三郎義光)が築いたと言われているお城が若神子城になります。武田氏の流れとしては、源義光→2代目源義清→3代目源清光の時に逸見氏(へみ)を名乗ります。→4代目信義になり、武田神社で元服し武田信義を名乗るようになり武田氏が成立します。若神子城は棒道と佐久往還が分岐する要地で、信濃 […]

於曽屋敷跡(山梨県)

於曽屋敷跡の乾燥 今は公園として整備されていますが、しっかりと土塁・堀の跡を残しています。於曽(おぞ)屋敷跡です。於曽屋敷は甲斐源氏の祖となった源義光の子である義清の四男であった、加賀美遠光(かがみ とおみつ)が加々美荘を支配したことから始まるようです。当初、この一帯は旧豪族の三枝一族が支配していたが、甲斐源氏であった加賀美遠光の四男光経と五男光俊がこの地を支配し於曽氏と称したようです。於曽氏の創 […]

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