• 2026.06.15

庁鼻和城(埼玉県)

庁鼻和(こばなわ)城の築城は定かではありませんが、関東管領山内上杉憲顕の六男 上杉憲英によって築かれたことから始まったとされ、庁鼻和(こばなわ)上杉氏と名乗り山内上杉氏の有力な分家のひとつとされました( `ー´)ノ その後になりますが、上杉憲英の曾孫にあたる上杉憲房が庁鼻和城を出て新たに深谷城https://jh.irukamo.com/post-39804/を築き深谷上杉氏を称し一族で勢力を拡大 […]

  • 2026.06.15

深谷城/木瓜城(埼玉県)

深谷城の築城はさだけではありませんが、深谷上杉氏の上杉房憲が台地の北端部付近に築いた平山城です!深谷上杉氏の祖とされる上杉憲英(のりふさ)は、はじめは庁鼻和(こばなわ)城https://jh.irukamo.com/post-39913/を本拠としたため、「庁鼻和上杉氏」と称されました。主家にあたる山内上杉氏は、鎌倉を出て古河を拠点とした古河公方足利成氏に対抗するために、五十子(本庄市)に陣を置い […]

反町館跡/新田義貞公古城跡(群馬県)

反町館跡/新田義貞公古城跡の感想 新田義貞の居城とも言われている反町館に行ってきました。築城は鎌倉時代から南北朝時代頃とされているので、13世紀から14世紀ごろでしょうか?最初は一重の掘りだったようですが、戦国時代には三重堀に拡張されたとのことです。現在の堀跡は道路工事などで当時のものというわけではないみたいですが、綺麗な水堀なので見る価値ありです! お城の遺構らしきものはほとんど残っていないです […]

由良成繁公の墓(群馬県)

由良成繁公の墓の感想 由良成繁は小野氏の流れを組む横瀬氏の家系で、横瀬氏は新田岩松氏の家臣をしていた家系になります。最初は横瀬成繁と名乗っていましたが、1528年、主君である新田岩松氏、岩松昌純を殺害し新田金山城を落城させた後に由良氏を名乗るようになります。 由良成繁はこの新田金山城を居城にしますが、1573年には嫡男の国繁に譲り、自分は桐生氏から奪った柄杓山城(桐生城)に移ります。そして1578 […]

平井金山城/金山城(群馬県)

平井金山城/金山城の感想 平井金山城は平井城の詰城になります。詰城とは戦いの時に籠るお城のことを言います。平時は生活しやすい麓に平城を建てて生活し、戦になると山城など概ね高いところに作ってある詰城を使用して落城させないようにしているお城が多くありました。同じ群馬県内にもう一つ有名な金山城(新田金山城)と区別するためにこちらは平井金山城と呼ばれます。平井金山城は1466年に 平井金山城/金山城画像ギ […]

藤岡城/芦田城(群馬県)

藤岡城/芦田城の感想 藤岡城は方形の平城のお城だったようです。1590年に築城なので、戦国時代末期に建てられたお城ということになります。築城主は依田(芦田)康勝で1590年に小田原攻めで後北条氏が滅んだことによる、徳川家康の関東移封で家康から藤岡に3万石をもらったとのことです。しかし、康勝は1600年に大阪で囲碁で同僚の小栗三助と喧嘩になり小栗三助を殺害してしまいます。康勝はそのまま高野山に蟄居さ […]

倉賀野城(群馬県)

倉賀野城の感想 倉賀野城は武蔵七党の兒玉党(秩父氏)がこの倉賀野の地へ来て、秩父三郎高俊が倉賀野氏と名乗ったことで始まったとされています。この秩父氏ですが、名前的に武蔵七党の秩父党の秩父氏のイメージですが、兒玉党の秩父氏というのも面白いですね。 倉賀野氏は関東管領・山内上杉氏に支えていたので戦国時代には上杉氏と武田氏の戦いに巻き込まれていきます。というか、「倉賀野一六騎」と呼ばれ武田信玄の攻撃をな […]

山名城/前城/寺尾下城(群馬県)

山名城の感想 山名城は武田信玄の家臣、木部氏のお城ですが、1395年に尹良親王(ゆきよししんのう)が築城したとされています。山名城があるのは観音山丘陵と呼ばれる丘になるみたいですが、この丘陵には5つの城址があり、1、寺尾上(てらおかみ)城、2、寺尾中(てらおなか)城、3、茶臼山(ちゃうすやま)城、4、根小屋(ねごや)城、5、山名(やまな)城の5つになります。表現としてはあったという方が正しいのかも […]

皿沼城(埼玉県)

皿沼城の感想 皿沼城跡は、唐沢川に架かる3号橋の東側の土手に説明板がポツンってある感じの城跡でした!(`・ω・´)ゞ皿沼城は深谷上杉氏の家臣の岡谷香丹が利根川を渡って攻めてくるかもしれない古河公方の軍に備えて、深谷城の北側の守りとして1491年に築城したとされたと云われています。その後、築城した岡谷香丹は新たに隠居先として曲田城を築き、この皿沼城を長男の岡谷清英に譲ります。岡谷清英は文武両道に長け […]

秋元氏の墓(元誉寺)(埼玉県)

秋元氏の墓(元誉寺)の感想 秋元氏館跡から約1㎞ほど離れた『元誉寺』に秋元氏の墓があります。秋元氏館跡にあった案内板から『元誉寺』を知りやって来ました。ここには秋元景朝・長朝のお墓があると記載されていたのでやって来ましたが・・・看板はありましたがよくわかりませんでした(´;ω;`)ウゥゥ 見つけたのもとても新しくなっており・・・んんんん???って感じです。その時も不完全燃焼でしたが、家に戻り調べて […]

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