佐竹家霊屋(秋田県)

佐竹家霊屋の感想 秋田藩主佐竹氏歴代の墓所で、菩提寺天徳寺の本堂の西側にあります(`・ω・´)ゞ天徳寺は秋田藩主佐竹氏の菩提寺で佐竹氏の国替えの際、常陸国(茨城県)から久保田城下南郊の楢山村に移されたあと、火災があり、1672年、3代藩主・佐竹義処の時代に今の場所に建てられました。秋田藩初代・佐竹義宣から最後の12代・佐竹義堯(よしたか)までのお墓があるようです。 説明板には『入母屋造、妻入で、正 […]

八柳館(秋田県)

八柳館の感想 八柳(やつやなぎ)館は出羽国の国人衆である八柳氏の居城です。戦国大名として地盤を固めつつあった檜山安東氏の安東愛季(あんどうちかすえ)が同族の湊安東氏と『湊騒動』が勃発すると、八柳氏をはじめとする国人衆たちはその合戦に巻き込まれていきます。安東愛季(あんどうちかすえ)が亡くなり安東(秋田)実季(あきたさねすえ)が家督を継ぐと、1589年に『第三次湊騒動』が起きてしまいます。安東実季( […]

六郷城(秋田県)

六郷城の感想 実は・・・地味ですが・・・私がここ最近でめちゃくちゃ行きたかった城です( `ー´)ノ 『六郷城』です!m(_ _)m 六郷城の生い立ちは・・・笑 二階堂信濃守行光の末裔・六郷弾正道行が、1559年に稲荷岡の東に築城したのがスタートだと云われています( `ー´)ノまた『諏訪神社縁起』によると1384年に鎌倉御家人であった二階堂三郎左衛門道晴が武蔵国六郷より出羽国仙北郡に入国したと云われ […]

更木城/八幡館(岩手県)

更木城/八幡館の感想 更木城(さらきじょう)または八幡館(はちまんだて)と読みます。現在はしらゆり公園となっているあたりにあったお城とされています。実際に城跡までは登れないです。 お城の詳細な築城時期などは不明ですが、室町時代ごろの和賀氏が二子城に移るまで本城としていたと言われているそうです。和賀氏領内の北上川東部では最大の館跡で、この城の中に和賀氏家臣だった小原氏の安俵館(あひょうだて)と多田氏 […]

花巻城/鳥谷ヶ崎城(岩手県)

花巻城/鳥谷ヶ崎城の感想 花巻城は元々「鳥谷ヶ崎城(とやがさきじょう)」と呼ばれていて、稗貫氏(ひえぬきし)の居城でした。1590年、豊臣秀吉の奥州仕置で稗貫氏が小田原征伐に参加しなかったことから所領を没収されて滅亡。その後、南部氏の城になり、家臣の北秀愛(きたひでちか)が城代となったことで、花巻城と呼ばれるようになります。花巻城としては1591年に築城となっており、1869年に廃城になったとのこ […]

払田柵跡(秋田県)

払田柵跡の感想 払田柵跡(ほったのさくあと)は、平安時代の初めころ律令国家がこの地方の統一を進めるために造った政治的・軍事的拠点として、また儀式の場としての役割を持っていたと云われています。まぁ~秋田城と同じような役割だったんだと思います(`・ω・´)ゞ 外柵(がいさく)と呼ばれる角材(高さ3.6m/縦・横30cm)を並べた材木塀は総延長約3.6km、遺跡の総面積は約87.8haにもなるめちゃくち […]

孔雀城/孔雀館(秋田県)

孔雀城/孔雀館の感想 孔雀城は先程レポートした土屋館から南へ約3km先に築いた城が孔雀城です(`・ω・´)ゞ 孔雀城の築城は先の土屋館の富樫忠之の子の富樫勝家が築いた城とされており、城と云うよりは『陣屋』のイメージが強い館だったんじゃないかと思います! 土屋館での説明板には『富樫氏は文和年間(1352~55)に加賀国より主従17騎で落ち延び、神宮寺の富樫館に居住していた。永正5年(1508)、富樫 […]

土屋館(秋田県)

土屋館の感想 土屋館は『つちややかた』ではなく『どやだて』って読みます!!!何度も書いていますが日本語って難しいですねぇ~((+_+)!? でもでも興味深い史跡です( `ー´)ノ この土屋館の説明には『富樫氏は文和年間(1352~55)に加賀国より主従17騎で落ち延び、神宮寺の富樫館に居住していた。永正5年(1508)、富樫氏6代左衛門忠之の代に大曲村の土屋館に移り住み、天文5年(1536)には戸 […]

横手城/朝倉城/阿櫻城/韮城/龍ヶ崎城/衝城(秋田県)

横手城/朝倉城/阿櫻城/韮城/龍ヶ崎城/衝城の感想 有名な横手城ですヾ(≧▽≦)ノ そぉ~あの横手焼そばの横手城です♪『横手城』はその昔『朝倉城』と呼ばれていましたが、その他にも『阿櫻城』『韮城』『龍ヶ崎城』『衝城』などなど・・・っと呼ばれていたようですね((+_+))1554年に小野寺景道が小野寺家配下だった、横手氏・大和田氏・金沢氏たちの反発を鎮圧して小野寺氏の居城を横手城に移したと云われてい […]

増田城/土肥城/土肥館(秋田県)

増田城/土肥城/土肥館の感想 増田城は小笠原義冬が1362年~1367年頃に築城したと云われており、その際に愛娘を生贄(たぶん人柱)したと云う悲話が残されている城です。1458年に小笠原氏は小野寺氏との戦いに負け仙北郡の楢岡城に逃げ去ったため、増田城は小野寺氏の家臣だった土肥氏(土肥頼景)が川連大館の亀岡城より移り入城したため、増田城は土肥城とか土肥館(どいだて)とかと呼ばれるようになった様ですね […]

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