- 2026.02.15
- 入場料無料,
大峪城/伊賀城/大掛城/大懸城(富山県)
大峪城の感想 大峪城はおおがけじょうと読みます。現在は「富山市五福芝生スポーツ広場」になっています。その前は五福小学校がここにあったみたいですね。どのように入っていいのか分からず外から撮影させていただきました。 なんとなく土を持ったような地形になっていて城跡のようにも見えますが、学校を建てる際に造成したり、現在の公演を作る際にも造成してそうなので当時のものとは言えない感じですかね。 お城の歴史とし […]
大峪城の感想 大峪城はおおがけじょうと読みます。現在は「富山市五福芝生スポーツ広場」になっています。その前は五福小学校がここにあったみたいですね。どのように入っていいのか分からず外から撮影させていただきました。 なんとなく土を持ったような地形になっていて城跡のようにも見えますが、学校を建てる際に造成したり、現在の公演を作る際にも造成してそうなので当時のものとは言えない感じですかね。 お城の歴史とし […]
太田本郷城の感想 太田本郷城は今泉城の付城として河田長親が築城したとされているお城とのことです。織田軍に備えてかと思いましたが、1573年に一向一揆勢に対する向城として築城と書かれているので、この近くに一向一揆の城か砦のようなものがあったのではないかと思われますが、具体的にどこに対しての向城なのかはよくわからないみたいですね。 現在の太田本郷城ですがm、遺構らしきものは見ることはできず石碑と説明板 […]
今泉城の感想 今泉城は椎名氏もしくは河田長親が築城したとされているお城で、現在は日枝神社が立っているあたりとされていて、日枝神社の傍に今泉城跡の石碑があります。遺構らしきものは田んぼになってしまっていたりと見つけることはできませんでした。 今泉城は椎名氏の築城とすると、結構古くからあった可能性もあるのかなと思われます。椎名氏は鎌倉時代に越中に来たとされている氏族でルーツとしては千葉氏の支流の家系と […]
天神山城の感想 天神山城は織田軍と上杉軍が戦った際に上杉景勝が陣として使用した場所とされています。戦いの戦地となったのはこの天神山城の麓にある魚津城で1582年に魚津城の戦いが起こり、織田軍に包囲された魚津城を救援するために天神山城に陣を敷きました。しかし、さすがに柴田勝家、佐々成政、前田利家と織田軍でも有力な武将たちに包囲されたお城を上杉景勝も助けることができず魚津城は落城。ただ落城が本能寺の変 […]
魚津城の感想 魚津城に行ってきました!魚津城跡は金山谷田方町線という県道沿いにある大町小学校跡に現在はなっています。小学校も合併で閉校になり今後はコミュニティセンターが建つようですね。魚津城は上杉軍対織田信長の戦いの激戦の場所で1582年に起きた「魚津城の戦い」で有名なお城でもあります。魚津城は旧北陸道沿いの要衝の地であるにもかかわらず平城という戦いに不利な城の状況も重なり、織田軍の柴田勝家、佐々 […]
新庄城の感想 富山市の新庄城へ行って来ました!現在は富山市立新庄小学校になっています。小学校の体育館を建設する際に発掘調査をしたとのことですが、その後は埋め戻されて遺構らしきものを確認することはほぼできないです。 学校入り口の脇に説明板があります。説明板と富山市のHPの説明に違いがあり、HPによると新庄城は天文年間(1532〜1555年)に越中守護代神保氏の家臣、三輪飛騨守(みわひだのかみ)が築城 […]
小出城の感想 富山市近辺を回っていてたまたま見つけた城跡。小出城は元々、唐人(かろうど)氏の城だったと言われているようです。ただ、正確にはよくわかっていないみたいですね。唐人氏は上杉方の武将とされていますが、説明版を読むと、織田方の前線基地となったと書かれているので佐々成政の家臣などが使用していたのではないかと思われます。小出城の歴史として、1581年に佐々成政が上洛中に、上杉謙信が小出城を攻めた […]
三分一ヶ原古戦場の感想 三分一ヶ原古戦場は上杉謙信の父、「長尾為景(ながおためかげ)」を越後守護上杉家の一族柏崎の上条定憲が1530年、1533年、1534年と三度にわたり討伐を図りますが、上手くいかず、1536年4月に府中に進撃してきた琵琶島城城主「宇佐美定満」、柿崎城城主「柿崎和泉守景家」と長尾為景が夷守郷三分一原で激突します。からくも上条方を撃退することができた戦いでした。その合戦のあった場 […]
宮寺氏館跡の感想 宮寺氏は武蔵七党のひとつ村山党(平氏かな?)の武士で、村山頼家の二男家平が鎌倉時代に宮寺郷の領主となって居館を構えて宮寺氏を称したとされるみたいですね。1333年の鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代初期にかけて、新田義貞に仕えた加納下野守なる人物がこの宮寺氏館に拠ったと伝わっています。武蔵七党と呼ばれた小規模武士集団は鎌倉幕府開設以前から源氏棟梁との関係が深く、源頼朝の父親、源義朝が関 […]
栃尾城の感想 謙信ゆかりの地、栃尾城へ行って来ました。謙信は春日山城で生まれた跡、1544年、14歳ごろにここ栃尾城の城主になります。そして、周辺の領主たちが反旗を翻した「栃尾城の戦い」で初陣を飾ります。栃尾城の戦いの簡単な経緯ですが、もともと、国人領主の傍若無人な振る舞いが目に余るので栃尾城に謙信が送り込まれるのですが、周辺の領主(長尾俊景や黒田秀忠)などは若造なら叩き潰せると思って栃尾城に攻め […]