伊能城(千葉県)
伊能城の感想 伊能城は現在城山と云われる大きな曲輪と他ふたつの曲輪を有する、この地域でいえば結構大きな規模の平山城だと思われます。実際に行ったときはとにかく草が生えまくっててすごく、夏場の山城攻めはかなり厳しいもんだと感じました!苦笑城内は切通の道が築かれており、土塁も小口の曲輪も確認できるはずが何度も言いますが草ぼーぼーで全然よくわかりませんでした!?(´;ω;`)ウゥゥ 伊能城は伊能朝辰が築城 […]
伊能城の感想 伊能城は現在城山と云われる大きな曲輪と他ふたつの曲輪を有する、この地域でいえば結構大きな規模の平山城だと思われます。実際に行ったときはとにかく草が生えまくっててすごく、夏場の山城攻めはかなり厳しいもんだと感じました!苦笑城内は切通の道が築かれており、土塁も小口の曲輪も確認できるはずが何度も言いますが草ぼーぼーで全然よくわかりませんでした!?(´;ω;`)ウゥゥ 伊能城は伊能朝辰が築城 […]
大崎城 / 矢作城の感想 大崎城(現地ではそぉ書かれていので)は矢作城とも云われ、本矢作城の城主第4代目の国分胤長の次男、国分泰胤が城替えして拠ったと云われています。大崎城/矢作城は本矢作城よりはるかに大きな城で、佐原へ向かうための交通の要衝だったため城を築いたんだと思います。もともとこの大崎の地(大崎庄)は足利家の次男である斯波宗家が大崎庄を領有したが、斯波氏が奥州を本拠とするようになり移ってい […]
助崎城の感想 助崎城は現在の千葉県成田市にある尾羽根川の北側にあるこんもりとした小山に築かれた城です!助崎城は千葉 常胤(ちば つねたね)の四男の大須賀 胤信(おおすが たねのぶ)が築いた城と云われており、大須賀 胤信が助崎城を築いた後、新たに松子城を築き本人は移り居城としたため、助崎城は代々大須賀 胤信の子孫が助崎城を守っていたみたいです。 1590年、小田原征伐による豊臣秀吉が進軍した際に、助 […]
時崎城の感想 全く偶然見つけブラリと城攻めした城『時崎城』です。誰が城主で何の目的で築かれた城なのか全然わかりません!( ノД`)シクシク…しかし、時崎城の案内板を読むと、時崎城は佐倉市市民文化資産に指定されており、地域住民にとっては貴重な文化資産とされていました・・・Σ(・□・;) 城内は小ぶりですが土塁や曲輪(かなり小さめ)が確認され、確かに・・・城だよなぁ・・・っと納得できる築城状況です。大 […]
小竹城の感想 小竹城も臼井城の支城として築かれた城の様で、案内板からすると、臼井氏同様千葉紙の流れを組む小竹氏の城だった様で、1390年頃、小竹五郎高胤が築いたとされています。簡単ではありますが土塁や空堀のある城だった様ですが、行ったときは草がボーボーで全然よくわからず、しかも立ち入り禁止の看板があったので、この案内板だけしか確認できませんでした!(´;ω;`)ウッ… 小竹城画像ギャラリー 小竹城 […]
師戸城の感想 「臼井家由来抜書」によると、鎌倉時代末期には臼井氏の支城として師戸(もろと)城は支城として築城されていた様です。印旛沼(西印旛沼)を囲むように、臼井城の北側に支城として築かれ、西側には飯野城も築かれており印旛沼の水路の要としてあったんだと思われます。築城時期はよくわかっていないようですが、臼井氏四天王のひとり師戸四郎の居城としていた様です。その後、上杉謙信の侵攻にも奇跡的に防いだ臼井 […]
久米城の感想 久米城は佐竹氏の支流佐竹北家のお城です。築城は藤原秀郷の系譜の小野崎氏と言われていて、14世紀末から15世紀初頭にかけて建てられたのではないかと言われております。その後、佐竹義武がこの久米城に入り、山入氏と戦いますが、義武は討死となり、久米城は山入氏のお城となります。義武の父、佐竹義治、弟の義信が久米城を奪還し、義信が久米城に入ります。義信のことを「北殿」と呼んだことから義信の家系を […]
馬坂城の感想 佐竹氏発祥のお城と言われている馬坂城に行ってきました。馬坂城の築城は平安時代の末期で、新羅三郎(源)義光の孫、源昌義が佐竹を名乗るようになります。その昌義が居城としたのが馬坂城です。ちなみに、新羅三郎義光は武田信玄などで有名な甲斐武田氏の祖でもあります。武田氏発祥の地も茨城県ですので興味がある方はそちらも訪問してみるのをおすすめします。馬坂城は三つの曲輪を持つ平山城で、北側に鶴が池、 […]
大高城の感想 『大高城』は現在の愛知県名古屋市緑区大高町にある比高約20mの丘陵上に立地する小高い丘にある平山城です。。。正確な築城年代は不明ですが、南北朝時代には尾張の守護も兼ねた土岐一族の池田頼忠が居城したという記述がある様に、大高城は古くから城(砦?)として機能していた可能性がありますね。当時、大高城は尾張国知多郡大高村にあった城(砦?)で、織田氏の家臣だった鳴海城の城主山口教継は織田信長に […]
鷲津砦の感想 鷲津(わしづ)砦は丸根(まるね)砦と同様、今川氏の尾張国侵攻にに伴い奪われた、鳴海城と大高城の間で今川軍の連絡網を断つために築かれた砦です!!!鷲津砦は西方へ舌状に延びた丘陵の頂部付近に位置し、大高城跡からは北東に約700mの場所に丸根砦跡からは北北西に約600mの距離あるため、大高城を抑えるため、また、鳴海城との連携を遮断するために築かれた砦で間違いないですね!(はっきり言えば丸根 […]