• 2026.05.20

武田信武・武田勝頼之墓(山梨県)

本当にたまたま見つけてブラリって入った史跡ですが・・・結果的には私の中でかなりの衝撃的な出会いになりました!!!(`・ω・´)ゞ 甲府市内にある法泉寺に『武田信武・武田勝頼之墓』がありました!!! 武田信武!知らないので調べてみました!\(゜ロ\)(/ロ゜)/甲斐源氏第10代目当主であり武田氏7代目当主でもあります(因みに・・・武田信玄の父親の武田信虎は甲斐源氏第18代目当主であり武田氏第15代目 […]

椿城跡五輪塔群/大井氏一族の墓(山梨県)

椿城跡五輪塔群/大井氏一族の墓の感想 もう一つ!!!( `ー´)ノ 椿城内には『椿城跡五輪塔群/大井氏一族の墓』もありました♪ 大井氏の大井の方は武田信虎の正室となり武田信玄を生みます(*´ω`*)大井氏は後の信濃守となる小笠原遠光の小笠原氏の流れを組む一族みたいです。椿城は小笠原氏・秋山氏などが居城とし大井氏が居城としたみたいです。城内に大井氏一族の墓があり地元の子供たちが紹介してくれています( […]

椿城跡五輪塔群/秋山氏一族の墓(山梨県)

椿城跡五輪塔群/秋山氏一族の墓の感想 椿城(上野城)の本丸に椿城跡五輪塔群/秋山氏一族の墓がありました(;゚Д゚) 秋山氏は甲斐源氏武田氏の分流らしく、西郡へ拠った加賀美遠光の嫡男の光朝を祖とし巨摩郡秋山を本貫とし秋山氏を名乗ったが始まりとされている様です。治承・寿永の乱の際に甲斐源氏の武田義信に率いられ源頼朝の挙兵に参加しています。が、武田有義と小笠原氏そして秋山氏は平家側に近く秋山光朝は平重盛 […]

椿城/上野城(山梨県)

椿城/上野城の感想 鎌倉時代に小笠原氏の一族だった上野盛長が築いた城と云われています(だから上野城なんですねぇ~)、当時から周辺に椿が多く自生していたころから『椿城』と称されたみたいです。今の案内は上野城ではなく椿城での案内が多々ありますね(≧◇≦) 武田家七代目の当主武田信武の次男大井信明が1350年~1352年頃に領主となったが、その後の椿城は秋山氏が居城としたようです。戦国時代に入ると大井信 […]

武田晴信室三条氏墓(山梨県)

武田晴信室三条氏墓(たけだはるのぶしつさんじょうしのはか)の感想 武田晴信(信玄)の継室(けいしつ)三条の方のお墓です。継室とは相手の正室が死別や離婚を受けての当主の正式な再婚者として嫁いできた方の事を云い、武田信玄は当初、扇谷上杉氏の上杉朝興の娘と結婚し『上杉の方』がいたのですが早くに亡くなってしまい、その後に嫁いできたのが『三条の方』です。武田信玄と云えば『諏訪御寮人』が有名ですが、三条の方も […]

河尻塚(山梨県)

河尻塚の感想 信玄公火葬塚を見に来て偶然見つけました!!!『川尻塚』\(◎o◎)/!です! 河尻氏と織田信長の家臣で黒母衣衆筆頭の河尻秀隆の事だと思います。織田信長の下で戦功を数々あげた優秀な武将だったと思います。武田氏を滅ぼすために織田信長の息子の信忠が総大将として攻め込み、河尻秀隆は織田信忠の補佐として従軍し武功をあげていったとされています。武田氏滅亡後はその戦功に対し甲斐22万石と信濃諏訪郡 […]

信玄公火葬塚/武田信玄公墓所(山梨県)

信玄公火葬塚/武田信玄公墓所の感想 武田信玄公の遺体を火葬した場所だ云われており『信玄公火葬塚』とも呼ばれている武田信玄公墓所です。武田信玄の愛され方は地元のみならず全国的にも圧倒的で、信玄公の墓と云われるものは山梨県内でも大泉寺と恵林寺にあり、長野県では諏訪湖(湖底に沈めたとか)や長岳寺(下伊那)や竜雲寺(佐久市)、和歌山の県高野山、愛知県の福田寺、京都の妙心寺など全国にあるようですね。 武田信 […]

信虎誕生屋敷/岩下氏館跡(山梨県)

信虎誕生屋敷/岩下氏館跡の感想 武田信虎の誕生屋敷の跡になります。今は果物園みたいになっており史跡は確認できませんでしたが、案内板からだとこの一帯に館跡があったらしく館林には水路が巡り西側は2mほど高くなっているようです。確かに案内板の前には水路があり堀と云うかそんなものを連想させる構造でした。 岩下氏も知らなかったので少し調べてみると、甲斐伴氏流宮原氏の庶流に岩下氏がありその岩下氏ではないかとさ […]

武田信虎公の墓/武田家三代の墓(山梨県)

武田信虎公の墓/武田家三代の墓の感想 武田信虎公の墓、一般的には武田家三代の墓に訪問してみました。お墓は甲府市にある『大泉寺(だいせんじ)』にありますが、『大泉寺』は甲斐武田氏十八代当主の武田信虎が1521年に創建した寺です。有名な話ですが1541年に甲斐国の英雄武田信玄に父親の信虎は追放され、今川義元の下駿河国で長年身を置き、その後は京都などにもいたらしく、最後はかわいがっていた六男の武田 信廉 […]

旧柳生藩陣屋跡(奈良県)

旧柳生藩陣屋跡の感想 柳生城・柳生家墓所(芳徳寺)から道路を挟んで向かい側に『旧柳生藩陣屋跡』があります。旧柳生藩陣屋跡は、戦国武将だった柳生家厳が松永久秀に付き敗れ落ちぶれてしまい、息子の柳生宗厳(石舟斎)が剣術の流派「柳生新陰流」を生み出し剣豪として知られ、さらにその息子の柳生宗矩(むねのり)が徳川家に認められ、秀忠・家光の二代に仕え大名として復活します。1642年に柳生藩初代藩主となった柳生 […]

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