- 2026.07.21
- 入場料無料,
山川館跡(石川県)
山川館跡の感想 山川館跡(やまごやかたあと)は、1300年~1400年頃に、加賀国の守護職を務めた大名の富樫政親の家臣として活躍した山川高藤(山川三河守)が居館として構えており、『富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑』と同様に北陸鉄道の野々市工大前駅前にある史跡(館跡)です(`・ω・´)ゞ土器や陶器などその時代のものが出土しているみたいですね~♪山川(やまご)氏は、市の資料や説明によると富樫家国 […]
山川館跡の感想 山川館跡(やまごやかたあと)は、1300年~1400年頃に、加賀国の守護職を務めた大名の富樫政親の家臣として活躍した山川高藤(山川三河守)が居館として構えており、『富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑』と同様に北陸鉄道の野々市工大前駅前にある史跡(館跡)です(`・ω・´)ゞ土器や陶器などその時代のものが出土しているみたいですね~♪山川(やまご)氏は、市の資料や説明によると富樫家国 […]
富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑 北陸鉄道の野々市工大前駅前に『富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑』があります! 案内板がありますがそこには『この石碑は、庄は四十二年(1967年)にかな金沢工業大学と富樫卿奉賛会が館の存在を広く知らせるために建てたものである。石碑の裏には『富樫氏歴代の居館したところ富樫城とも云われる九艘川と新兵衛川を外壕とした區域である』と刻まれている。富樫館/守護所は […]
富樫館跡 / 守護所の感想 1335年に富樫高家が加賀国の守護大名となり、政務をとった館を築いたのが『守護所』であり『富樫館』とも呼ばれていました。富樫高家を初代と考えそれから1488年に第12代目と(1つ飛ばして)第14代目富樫家を継いだ富樫政親が加賀一向一揆衆たちに攻められ富樫氏の詰城だった高尾城に立て籠りますが攻め込まれて殺されてしまいます。その後も富樫泰高(やすたか)稙泰(たねやす)晴貞( […]
高尾城 / 多胡城 / 富樫城の感想 高尾城は『たこじょう』若しくは『たこうじょう』と読みます。築城はいつかはわかりませんが、鎌倉時代に加賀国守護大名の富樫政親(とがしまさちか)が築いた山城だと云われているみたいですね( `ー´)ノ高尾城は富樫氏が非常時に楯籠る山城だった様で、通常時は守護所(富樫館)で政務を執っていた様です。 見晴らし台のある高尾城の山頂は『ジョウヤマ』と云われ、背後のは『コジョ […]
堅田城の感想 堅田(かただ)城は標高113mの丘陵先端部に立地し国道159号線(金沢東部環状道路)のトンネルが走っています。当時も北陸道・小原越(おはらごえ)といった主要街道や、日本海・河北潟(かほくがた)・森下(もりもと)川を見渡すことができる水陸交通の要衝に位置していたと思われます。堅田城の築城は木曽義仲が築城したとの言い伝えがある様ですが実際は不明で、ここ一帯の加賀国は一向一揆が盛んな国とし […]
神金城の感想 いるかも兄弟の妹分『鉄仮面サキ』から連絡をいただきました(‘◇’)ゞ 神金(かりがね)城です!!!! 神金城の築城年代・築城者共に全く不明ですが、当時の地政学的に三浦氏が衣笠城の支城のひとつとして三浦一族により築かれ、西方にある小矢部城との間を通っていた平作川を押える役割を持っていたと考えられます(`・ω・´)ゞ平作川は久里浜に通じていて5つの支城はこの平作川 […]
高山右近の碑の感想 高山右近の高山氏は摂津国三島郡高山庄出身の国人衆で、高山右近も荒木村重の家臣として摂津国の戦国武将として活躍していました。荒木村重が織田信長に謀反を企てると、村木村重の謀反を知った右近はこれを翻意させようと考え、妹や息子を有岡城に人質に出して誠意を示しながら謀反を阻止しようとしたが失敗してしまいます。織田信長は摂津国の高槻城主だった高山右近を味方につけるべく畿内の宣教師達を説得 […]
末吉城 / 堀松城 / 笹山城の感想 末吉城は七尾城を本拠地とした能登畠山氏の支城(出城)として築かれたとされていて、築城は1394年~1427年頃と云われているみたいです。能登外浦街道の浜街道と中道通、安津見から奥山峠を越えて田鶴浜に通じる土田街道、吉田から七尾西湾の大津に通じる得田街道を押さえる重要な役目をする城郭にするために、応仁の乱後、帰国した畠山義統は能登国を防衛する目的で末吉城を完成さ […]
小丸山城の感想 小丸山城は能登国の付け根(一番南側?)七尾城の北方面(七尾城が山奥の要害の地にあるので北の海側)に、七尾湾を活かし御祓川(みそぎがわ)沿いに小丸山城はあります。織田信長の命により越前国の府中城で10万石を有してた前田利家が能登国一国を与えられ、越前国から能登国に移り七尾城を本拠地としていた様ですが、山深く要害の地だった七尾城では防御上は利点があったが港から離れていて治世・経済上の利 […]
糟屋館/上杉館跡の感想 太田道灌が好きなら気になる場所の一つですよね。1486年7月26日に太田道灌はこの場所にあった扇谷上杉氏の館に招かれ、主君だった上杉定正に誅殺されてしまいます。市の案内によると風呂場で襲われ「当方滅亡」と叫び、絶命したといいます。と書かれてました。現在は産業能率大学になってしまっており館の面影はほぼ残っていないですね。その後はこの前の記事、実蒔原古戦場や七沢城などで書きまし […]