森可成公の墓(滋賀県)

森可成公の墓の感想 たまたま見つけた森可成(もりよしなり)のお墓に行ってきました。坂本城にいったので近くに明智家に関わる菩提寺などがあるのではと検索していたら、聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)というお寺に森可成公のお墓があるのを見つけ行って来ました!森可成は森蘭丸や森長可のお父さんになります。森蘭丸は言わずと知れた本能寺の変で織田信長と共に討ち取られた武将で有名ですよね。蘭丸はこの時18歳とのこ […]

大津城(滋賀県)

大津城の感想 坂本城に行くついでに大津城跡へ行って来ました。遺構らしきものはほとんど残っていないようですが、訪問時に気づきませんでしたが、1980年に大津城の石垣らしきものが発見され、大津祭曳山展示館横の駐車場にて見られるとのことです。大津城は明智光秀の坂本城を廃城にして代わりに建てられたお城で、坂本城で使われたていたものを一部使って作られたとも言われております。また、一部材料が使われているだけで […]

川中島古戦場(長野県)

川中島古戦場の感想 上杉謙信 対 武田信玄の戦いで有名な川中島古戦場へ行ってきました。実際の戦いがあった場所ではないですし、毎回同じ場所で戦っていたわけでもないのでこの辺りで戦っていたと思って巡るのが良いのかも知れません。一応歴史をおさらいしておくと、川中島の戦いは計5回12年にわたった戦で、第1次合戦:1553年第2次合戦:1555年第3次合戦:1557年第4次合戦:1561年第5次合戦:156 […]

飯山城(長野県)

飯山城の感想 今回は長野県北東部にある飯山市のお城、飯山城に行ってきました。飯山城は室町時代頃に泉弥七郎が築城したお城ですが、戦国時代に入り、上杉謙信が信濃に進行してくる武田信玄に対抗するための重要な拠点として改修整備したお城でもあります。武田信玄の幾度かの攻めにも飯山城は落ちることは無かったと伝えられています。確かに実際に行ってみると、平山城なのですが、千曲川などの河川が自然の堀の代わりをしてい […]

葛尾城(長野県)

葛尾城の感想 村上義清の居城、葛尾城に行ってきました。と言ってもナビの案内通りの葛尾城の駐車場はとてつもない道を通って行く道で今回は大失敗でした。(道中の動画は下へスクロールしていただくと見られます。)動画では伝わりづらいかもしれないですが、SUV系の車でも腹下をするくらい道がひどいのと結構砂利の勾配がキツく2駆だと空転するような場所もあります。途中からずっと4駆で走りました。あと大きい車も道幅が […]

村上義清公の墓/供養塔(長野県)

村上義清公の墓の感想 村上義清の墓(供養塔)へ行ってきました。村上義清と言えば、武田信玄を2回も撃退した武将。砥石城の砥石崩れなど逸話も多く残っている武将です。真田幸綱(真田昌幸の父で真田幸村の祖父)も村上義清に追い出され上野(群馬県)に逃げていた時期があります。真田は武田側、村上は上杉側につき上杉対武田の有名な「川中島の戦い」につながって行きます。最終的に村上義清は葛尾城を追い出され上杉の領地越 […]

坂本城(滋賀県)

坂本城の感想 坂本城と言えば明智光秀のお城ですね。ほとんど何も残っていないこともありなかなか足が向かなかったのですが、今回、新しく令和6年2月11日に三の丸の石垣が発見されたとのことで発掘調査説明会に行ってきました。坂本城は1571年に織田信長が比叡山延暦寺の焼き討ちによる功績により明智光秀に与えた所領坂本に築城されたお城です。明智光秀は岐阜県可児市の明智城で生まれたと言われています。その後、足利 […]

川窪詮秋 / 土屋直規 / 望月重氏 の墓(愛知県)

川窪詮秋 / 土屋直規 / 望月重氏 の墓の感想 長篠・設楽原の古戦場から向かいの小高い丘の途中、常林寺の裏手に一般の墓地があり、その一般の方の墓地の手前に左手にそれた小脇の道を進んでいくと、川窪詮秋・土屋直規・望月重氏の墓があります。 『川窪詮秋』はよくわかりません!(´;ω;`)ウゥゥ川窪氏は河窪氏とも云うらしく、甲斐河窪村を領し『河窪の城山』として知られる丘に城郭を構えていた一族が川窪(河窪 […]

土屋昌続(昌次)の墓(愛知県)

土屋昌続(昌次)の墓の感想 長篠・設楽原の古戦場から小高い丘を越えた反対側に『土屋昌続(昌次)の墓』があります。土屋昌続(昌次)は最も若い武田二十四将のひとりとされ、馬場隊・真田隊と共に右翼側の馬防柵を突き崩し、第一・第二馬防柵を突破して第三の馬防柵(最終防衛ラインかな???)取り付き大音声を発し討ち死にしたと云われています。土屋昌続(昌次)討死の地についてはこちら 土屋昌続(昌次)は元々、金丸筑 […]

横田綱松(康景)の墓(愛知県)

横田綱松(康景)の墓の感想 内藤昌豊の墓の裏側に、『横田綱松之墓』があります。横田氏と云えば、武田二十四将のひとり『横田高松(よこた たかとし)←どっちが苗字なのかわかり辛い!?』の長男だと思われますが、横田高松が村上義清との戦いの際に武田信玄の最大の敗北『砥石崩れ』の際に殿(しんがり)となり討ち死にしていしまいます。横田高松が討死したため同じ足軽大将であった同じく猛将の原虎胤の息子が横田氏を継ぐ […]

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