江渕城(愛媛県)

江渕城の感想 現在の西条市朔日市周辺に位置している江渕城は新居郡の領主である高峠城主石川氏の重臣であった塩出若狭守の居城でした。 金子元宅らが守る新居浜の金子城や岡崎城、西条の高尾城や高峠城と連動し西条平野の防衛一翼を担っていました。 1585年7月に羽柴(豊臣)秀吉の四国征伐によって毛利輝元と小早川隆景軍が伊予国へ侵攻すると、西条平野へ押し寄せた小早川軍の猛攻を受けました。塩出若狭守ら城兵は奮戦 […]

金子城/金子山城/橘江城(愛媛県)

金子城/金子山城/橘江城の感想 伊予国新居郡金子山に金子氏が築いた金子城ではありますが、築城はいつなんだかわかっていません。しかし、金子氏は武蔵国の金子氏. 蜻蛉 (桓武平氏村山党). 武蔵七党のひとつ村山党の一族らしく、武蔵七党とは鎌倉時代に活躍した武士集団なので、金子氏はかなり昔に伊予国に下って来たものだと思われます( `ー´)ノ(持論!苦笑) 金子城と云えば!!!金子元宅(かねこもといえ)で […]

富留土居城(愛媛県)

富留土居城の感想 富留土居城(ふるどいじょう)って読みます( `ー´)ノ伊予国新居郡(現在の愛媛県新居浜市高津町周辺)に位置した富留土居城/ 富留土居館は、新居郡の豪族・金子氏の重臣であった高橋氏が代々居城とした平城(館城)です。富留土居城は周囲に水濠(堀)と高い土居(土塁)を巡らせた平城構造の館城でした。『富留土居』の名も、その立派な土居構造に由来すると伝えられています。 城主を務めた高橋美濃守 […]

伊予岡崎城(愛媛県)

伊予岡崎城の感想 伊予国新居郡(現在の愛媛県新居浜市郷)に位置した岡崎城は、新居郡の豪族・金子氏の重要な支城であり、金子城(本拠)の東方を防衛する前線拠点として、また平時の居館・水軍基地として機能した山城です。金子元宅(かねこ もといえ)と金子城についてはこの後に詳しく記載しようと思います(`・ω・´)ゞ 伊予岡崎城は藤田芳雄・藤田俊忠が城主として務めており、1585年の豊臣秀吉による『四国征伐』 […]

轟城/大西城(愛媛県)

轟城/大西城の感想 築城年代は定かではありませんが、1394年〜1428年頃に信藤正国によって築かれた城だと云われています。 その後、信藤氏が七代続き約100年間も信藤氏の居城でありましたが、信藤正親の時に何があったのか全くわかりませんが、権力の座から降りて民間人となり轟城は一時は居城になっていた様です。。。(そんな事あるんかい!?(+o+)) 1574年に大西備中守元武によって城が修築され大西氏 […]

柞田城(香川県)

柞田城の感想 柞田(くにた)城です(+o+) 柞田(くにた)城は柞田小学校の隣にある北岡公民館の駐車場脇に柞田城の石碑が建てられていました。柞田城の遺跡・構造は全く残っていません( ノД`)シクシク…柞田城は柞田小学校および須賀神社付近と善正寺付近の二説があるようです。前者の須賀神社門前にある柞田公民館の敷地内に、柞田城址の立派な石碑(今回写したやつねぇ~(*´▽`*)♪)があります。須賀神社は柞 […]

讃岐 観音寺城(香川県)

讃岐 観音寺城の感想 讃岐国の観音寺城(かんおんじじょう/観音寺陣屋)は、現在の香川県観音寺市天神町一帯に存在したとされる城郭(居館)です。 近江国の日本100名城である観音寺城(六角氏の本拠)と名付けが同じため混同されがちなため、ここではあえて『讃岐 観音寺城』と記載させてもらいます。讃岐 観音寺城は西讃岐の西端を抑える交通・港湾の要衝として、讃岐の豪族や阿波三好氏、土佐長宗我部氏、そして近世の […]

香川民部少輔の墓(香川県)

香川民部少輔の墓の感想 香川民部少輔(かがわ みんぶのしょう)の墓とありますが、『民部少輔:みんぶのしょう』とは『官位』ことなので、当時を考えると香川之景(ゆきかげ)で西庄(にししょう)城の城主・・・元々は天霧城の城主だった香川氏の一族です(‘◇’)ゞ  戦国時代の西讃岐(香川県西部)を治めた絶対的実力者でありました。香川氏は室町幕府の讃岐守護代を務めた名門の家柄でありなが […]

芝山城(香川県)

芝山城の感想 香西氏の本拠地である勝賀城は標高約364mの堂々たる山城ですが、その東側に位置する標高約188mの芝山(高松市香西北町)に築かれたのが芝山城です。芝山城の山頂の曲輪からは、香西の港(旧香西港)や瀬戸内海、そして香東川を挟んだ高松平野が一望できます。水陸交通の要衝を常に見張り、異常があれば即座に本城へ伝える極めて重要な『監視台・物見の城』だったんじゃないかと思われます( `ー´)ノ ま […]

藤尾城(香川県)

藤尾城の感想 香西氏が佐料城から居城を移したのがこの藤尾城跡です!(。◕ˇдˇ​◕。)/現在ここは宇佐八幡神社となっています。 戦国時代ここは海に突き出た半島のようなところで『磯崎山』と呼ばれていたみたいです。香西氏の代々は勝賀城を詰城とし居城を現在の鬼無町佐料にある佐料城を居城としていましたが、佐料城が平地で防御しにくく攻め込まれる度に勝賀城に立てこもって応戦する必要があったため、香西氏の最後の […]

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