松葉城/岩瀬城(愛媛県)
松葉城/岩瀬城の感想 松葉城(岩瀬城)は、1236年に西園寺公経(きんつね)が現在の宇和島一帯を荘園となったことから始まり、西園寺公良(きみよし?)の時に、1376年に前身の岩瀬城に入城したと云われています。それから岩瀬城は松葉城となり、伊予西園寺氏第19代目当主の西園寺実充(さねみつ)が黒瀬城に居城を移すまでの約170年間を伊予西園寺氏の本城としていた様です。(説明板に書いてありました!) 松葉 […]
松葉城/岩瀬城の感想 松葉城(岩瀬城)は、1236年に西園寺公経(きんつね)が現在の宇和島一帯を荘園となったことから始まり、西園寺公良(きみよし?)の時に、1376年に前身の岩瀬城に入城したと云われています。それから岩瀬城は松葉城となり、伊予西園寺氏第19代目当主の西園寺実充(さねみつ)が黒瀬城に居城を移すまでの約170年間を伊予西園寺氏の本城としていた様です。(説明板に書いてありました!) 松葉 […]
法華津本城/法華津城の感想 法華津(ほけづ)本城の築城は定かではありませんが、南北朝時代には伊予西園寺(いよ さいおんじ)氏に従っていた法華津氏(本姓は清原氏)が築いた様です。歴史はかなりあったのかな?室町時代から戦国時代に掛けて法華津氏は西園寺氏の中でも法華津水軍を率いた一族だった様です。法華津氏ははじめ犬尾城を本城としたとも伝えられるが、のち法華津(海側)に転じて海に面した標高43.5mの独立 […]
港山城/湊山城の感想 1186年~1467年頃からに河野氏によって築かれたと云われています。なんでこんなに期間がはっきりしないかと云えば、1186年頃には築城されていたとも云われ、また、河野氏が湯築城を築き移った際(1334年~1338年)に築かれたのではないかとも云われているようです。どちらにしても、港山城は三津の港を見下ろす場所に築かれていることから、海運と港の警護と監視や有事の際に軍船で出撃 […]
高山城の感想 河野氏が築城した『港山城』に行く途中に見つけ城攻めしてみました!『高山城』です♪ヽ(^。^)ノ まったく無名で城跡もはっきりとは残っていません~苦笑 後で調べてみたのですが、誰がいつ築城したのかはわかりませんが、この地域一帯を支配していた河野氏の家臣 高山氏(お城がそうゆう名前だから高山氏かなぁ?って・・・)に築かせた城なんかじゃないかと妄想しています(o^―^o)ニコ 河野氏の本城 […]
西山肥後守通倫之墓の感想 花見山城内に『西山肥後守通倫之墓』がありました!(`・ω・´)ゞ 西山通倫(みちとも)は代々花見山城の居城としていた西山氏の第4代目城主が西山通倫です。この西山通倫はこの地方の地域の発展や開発、村人の救済に尽くした功績が非常に高い城主だった様で村人からの人望はとても高かった城主なんだと思います。因みに・・・西山氏第6代目当主の西山通周(みちちか)も同様に地域の発展に尽力し […]
花見山城の感想 花見山城は1368年に河野通堯(みちたか)が葛籠屑(つづらくず)城主の村上大蔵大夫に命じ、四国内の守護や地侍のの勢力争いに対抗するために花見山城を出城として築かせたようです。花見山城を出城として細川氏や二木(につき)氏の勢力を退けたりするなど、重要な役割を果たしていたようですね( `ー´)ノ~って説明板に書いてありました~笑 また、1379年に河野通堯は将軍足利義満を味方したことか […]
狭間城の感想 いつ築城したのかも・・・そもそもどんな感じの城だったのかも不明です・・・(@_@)標柱の周囲や説明文によると、狭間(はざま)城主は徳永因幡守信貞(とくなが いなばのかみ のぶさだ)だった様で、『新居六人衆』のひとりとして高峠城主の石川氏を仕えていた様です。この説明文には『掻上(かきあげ)城』っとありますが、たぶんですが平地に土などを『掻き上げ』て土塁を築いていた城って意味なんだと思い […]
河野通清公供養塔の感想 そもそも河野通清ってどんな人かと云えば、平安時代末期に伊予国の豪族であった越智氏の流れを汲む河野通清は、代々受け継いだ風早の地高縄山城を拠点に勢力を誇っていました。河野家の当主が代々その名に用いる『通』の字(通字)を本格的に定着させ、河野氏を歴史の表舞台へ押し上げた実質的な開山祖です。1180年に伊豆国で源頼朝が平家打倒の挙兵を果たすと、河野通清はその令旨(呼びかけ)に呼応 […]
河野一門之供養塔の感想 愛媛県松山市小川(旧風早郡・粟井坂)の山の神古戦場近くには、1181年の粟井坂の合戦で命を落とした河野一門の祖・河野通清(こうの みちきよ)とその一族・将兵を祀る供養碑・供養塔が大切に護られていました。 この『河野一門の供養塔』から登ったところに『河野通清公供養塔』があります(=゚ω゚)ノ 河野一門の供養塔画像ギャラリー 河野一門之供養塔情報 年 代 1181年 住 所 愛 […]
山の神古戦場の感想 1180年に源頼朝の平家打倒の令旨に呼応した河野通清は、息子の河野通信とともに高縄山城の麓で挙兵し伊予国を支配下に置きました。これに激怒した平家政権は、備後国の奴可入道西寂や阿波国の田口成良に命じて大軍を率いさせ伊予国に侵攻してきました。 当時、息子の河野通信は志度(香川県)方面へ出陣中で本拠を空けており、父の河野通清はわずかな兵を率いて高縄山城および粟井坂(現在の松山市小川周 […]