- 2026.09.01
青塚城(宮城県)
古川城から約500m~700mぐらい離れたところに青塚城があります( `ー´)ノ 青塚城は、大崎氏第6代目当主の大崎持詮の弟の大崎直兼が居城したことによって始まったと云われており、この大崎直兼が青塚氏の祖となったと思われますね(`・ω・´)ゞ その後、城主は古川弾正の弟青塚左衛門、また大崎家臣青塚左衛門吉春などと云われています。 青塚城は古川城の支城としてあったと思います。 元々は現在の古川黎明中 […]
古川城から約500m~700mぐらい離れたところに青塚城があります( `ー´)ノ 青塚城は、大崎氏第6代目当主の大崎持詮の弟の大崎直兼が居城したことによって始まったと云われており、この大崎直兼が青塚氏の祖となったと思われますね(`・ω・´)ゞ その後、城主は古川弾正の弟青塚左衛門、また大崎家臣青塚左衛門吉春などと云われています。 青塚城は古川城の支城としてあったと思います。 元々は現在の古川黎明中 […]
古川城の築城ははっきりしていませんが、室町時代中ごろに大崎氏第7代目当主の大崎教兼(のりかね)の6男(誰なんだかわかっていません)が居館として構えたことが始まりとなり、後子孫は古川氏を名乗ったと思われ1532年~1555年頃には古川刑部少輔持熈(もちひろ)が城主であったと云われています。また、古川刑部持慧(もちさと)と古川弾正忠隆(ただたか)が大崎氏の家臣だった記載もあり、古川氏を名乗る武将が代々 […]
高清水城の感想 1532年〜1555年頃に高清水(高泉)直堅によって築かれたと云われる。 高清水直堅は大崎家第9代目の大崎義兼の三男となります。また一方では大崎(高泉)持家が築城したとする伝えもある様で誰が築城したのかは不明みたいですね。奥羽山脈のから東へ延びる築館丘陵の末端部に位置し、沖積平野(ちゅうせきへいや)に面した標高20m程の緩やかで平坦な微高地に造られていた様ですね! 大崎氏(大崎一族 […]
前九年の役 阿久利川古戦場跡の感想 『前九年の役』とは陸奥国の大豪族安倍氏と朝廷側の源頼義父子の戦いで1051〜1062年に東北で起きた長期戦です。前九年の役後、安倍氏が滅び代わって清原氏と源氏の力が強まる結果となりました。 『前九年の役 阿久利川古戦場跡』はその『前九年の役』で行われた合戦そのものではなく『前九年の役』が泥沼の全面戦争へと再燃する直接の引き金となった『阿久利川事件』の舞台(事件発 […]
伊治城の感想 伊治城は『いじじょう』『これはりじょう』『これはるじょう』などの呼び方が複数あります(〃艸〃)ムフッ 日本語って本当にむずかしいなぁぁぁ~苦笑 長らく『いじじょう』と音読みされていたみたいですが、多賀城跡から発見された漆紙文書などにより、当時は『これじ』『これはり』または 『これはる』と呼ばれていた可能性が非常に高い様です。 伊治城は奈良時代(8世紀後半)に大和律令政府が東北地方(陸 […]
沢辺館/臥牛館の感想 沢辺(さわべ)館、若しくは、臥牛(がぎゅう)館とも云います。聞きなれない『臥牛』の意味は『伏せて横たわる牛』の姿・カタチを意味している様で、この沢辺館全体がこんもりとした小山に築かれており、その姿が『伏せて横たわる牛』に似ていたのでそのように呼ばれていたんでしょうねぇぇぇ~(`・ω・´)ゞ1199~1201年頃に、葛西氏の家臣だった二階堂常信が衣川より移り住み館を築いたのが始 […]
黒岩元館/岩崎塞の感想 基本的には黒岩城の中になるんだと思われますが、こちらは黒岩元館(くろいわもとだて)もしくは岩崎塞(いわさきのさい)と呼ばれ、和賀氏が最初に築城した古城だったのではないかと思われる場所になります。その後、室町時代、戦国時代と経過する中で城の範囲を拡張整備していき黒岩城の案内図にある城になったと思われます。 黒岩城では遺構を確認することはほとんどできませんでしたが、こちらは堀切 […]
黒岩城の感想 黒岩城(くろいわじょう)または千曳城(ちびきじょう)、岩崎塞(いわさきのさい)とも呼ばれるお城になります。北上川の流れに沿って台地に築かれたお城ですが、今は住宅や道路などになってしまっていて遺構はあまり残っていない城跡になります。 黒岩城は和賀氏の家臣黒岩氏の城跡と言われていますが、和賀氏は更木城、二子城と居城を変えて行くのですが、最初に和賀に来て居城した場所がここ黒岩城(岩崎塞)と […]
二子城/飛勢城の感想 二子城(ふたごじょう)もしくは飛勢城(とばせじょう)と呼ばれます。二子城は和賀氏の居城(本城)になります。和賀氏はこの北上地方の和賀郡を支配していた武家で、発祥などは諸説あるようですが、鎌倉時代にこの地を領有し、戦国時代末期まで和賀氏の一族が支配していました。約400年くらいにわたり和賀氏の領地となった場所になります。ただ二子城自体は室町時代くらいに移ってきたとされていて元々 […]
佐竹家霊屋の感想 秋田藩主佐竹氏歴代の墓所で、菩提寺天徳寺の本堂の西側にあります(`・ω・´)ゞ天徳寺は秋田藩主佐竹氏の菩提寺で佐竹氏の国替えの際、常陸国(茨城県)から久保田城下南郊の楢山村に移されたあと、火災があり、1672年、3代藩主・佐竹義処の時代に今の場所に建てられました。秋田藩初代・佐竹義宣から最後の12代・佐竹義堯(よしたか)までのお墓があるようです。 説明板には『入母屋造、妻入で、正 […]