CATEGORY 古戦場

武将たちが激突した場所。戦いの地となった古戦場を表示しています。

山の神古戦場(愛媛県)

山の神古戦場の感想 1180年に源頼朝の平家打倒の令旨に呼応した河野通清は、息子の河野通信とともに高縄山城の麓で挙兵し伊予国を支配下に置きました。これに激怒した平家政権は、備後国の奴可入道西寂や阿波国の田口成良に命じて大軍を率いさせ伊予国に侵攻してきました。 当時、息子の河野通信は志度(香川県)方面へ出陣中で本拠を空けており、父の河野通清はわずかな兵を率いて高縄山城および粟井坂(現在の松山市小川周 […]

源義経 衣川古戦場跡(岩手県)

源義経 衣川古戦場跡の感想 1189年に藤原泰衡が、源頼朝の圧力に耐えきれず、源義経の衣川館を攻撃し、義経を自害に追い込んだとされる場所、源義経終焉の地になります。「奥州平泉の役」としてモニュメントがありました。さらにその前の時代の前九年の役や後三年の役なども一緒に刻まれています。源義経は関係ないですが、この場所が平安時代から戦い場所として選ばれてきたことがわかりますね。 源義経と言えば大河ドラマ […]

瀬原古戦場(岩手県)

瀬原古戦場の感想 前九年の役(1051年〜1062年)の合戦の古戦場の一つです。1057年9月、源頼義率いる源氏軍と、この地を本拠地とした安倍一族の間で激しい戦いが行われました。安倍軍がこの場所にあった本陣に源氏軍を誘い込んで、源氏軍は北上川の東岸長島から渡河して衣川に攻めてきたところを陣場山に密かに待機した安倍軍が、源氏軍を充分に引き寄せさせて攻撃を加えて大損害を与えたと共に、その退路を遮断した […]

前九年の役 阿久利川古戦場跡(宮城県)

前九年の役 阿久利川古戦場跡の感想 『前九年の役』とは陸奥国の大豪族安倍氏と朝廷側の源頼義父子の戦いで1051〜1062年に東北で起きた長期戦です。前九年の役後、安倍氏が滅び代わって清原氏と源氏の力が強まる結果となりました。 『前九年の役 阿久利川古戦場跡』はその『前九年の役』で行われた合戦そのものではなく『前九年の役』が泥沼の全面戦争へと再燃する直接の引き金となった『阿久利川事件』の舞台(事件発 […]

三増合戦場跡(神奈川県)

三増合戦場跡の感想 武田軍と北条軍が戦った三増合戦の場所になります。元々は今川・武田・北条の三国同盟を組んでいましたが、1560年桶狭間の戦いで今川義元が敗れ武田信玄が三国同盟を破棄して1568年今川領への侵攻を始めます。武田信玄は徳川家康と今川領の分割を条件に手を結びさすがに勝てないとなった今川氏真が1569年掛川城を開城し今川家は滅亡します。今川氏真は小田原北条氏の元に逃げて最終的には徳川家に […]

牛ヶ淵古戦場(神奈川県)

牛ヶ淵古戦場の感想 武田信玄と小田原北条氏が戦った場所とされている古戦場になります。1569年、武田信玄の相模侵攻の際に戦場になった場所の一つになります。明確にこの地で戦ったとの証拠が残っているわけではなく伝承として語られているものではないかと思われます。実際、武田信玄の相模侵攻後の撤退戦で有名な三増合戦の話では武田軍は平塚で方向を変えて三増の地で北条氏照・氏邦と戦っているとの史実が残っています。 […]

実蒔原古戦場(神奈川県)

実蒔原古戦場の感想 1487年に実蒔原の戦い(さねまきばらのたたかい)があった場所とされている古戦場になります。実蒔原の戦いは太田道灌が主君だった上杉定正の館で殺されたことを発端にして扇谷上杉氏と山内上杉氏の間で起こった戦いになります。同族の上杉氏同士の内紛ですね。長享の乱とも言われる約18年にもわたって争った両者の戦いの中の一つになります。 実蒔原の戦いでは(扇谷)上杉定正の弟、朝昌が守る七沢城 […]

海野幸義公戦死の地(長野県)

海野幸義公戦死の地の感想 長野県上田市にある海野幸義公戦死の地へ行って来ました。国道18号線沿いの「蒼久保」という交差点の脇にあります。海野幸義は「海野平の戦い(神川合戦)」で亡くなった武将になります。海野氏の当主・海野棟綱の嫡男とも言われる人物ですが棟綱の弟と言う説もあります。海野平の戦いですが、1541年に甲斐の武田信虎(信玄の父)、北信濃の村上義清、諏訪の諏訪頼重の連合軍がこの場所を含む周辺 […]

小山塚(和歌山県)

小山塚の感想 先程の太田城に記載しましたが、第二次太田城の戦いで豊臣秀吉の水攻めにより太田城は奮戦むなしく落城してしまいます。その際に城主であった太田左近を含む53名は自害させられた太田城内三か所(案内板には四か所とも!?)に埋められたとされ、その一か所がこの『小山塚』と云われているみたいですね。 案内板からは『太田左近宗正と武将たちは自刃した。自刃した武将たちの首級は、秀吉検分後、大阪阿倍野の天 […]

三分一ヶ原古戦場(新潟県)

三分一ヶ原古戦場の感想 三分一ヶ原古戦場は上杉謙信の父、「長尾為景(ながおためかげ)」を越後守護上杉家の一族柏崎の上条定憲が1530年、1533年、1534年と三度にわたり討伐を図りますが、上手くいかず、1536年4月に府中に進撃してきた琵琶島城城主「宇佐美定満」、柿崎城城主「柿崎和泉守景家」と長尾為景が夷守郷三分一原で激突します。からくも上条方を撃退することができた戦いでした。その合戦のあった場 […]

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