三増合戦場跡(神奈川県)
三増合戦場跡の感想 武田軍と北条軍が戦った三増合戦の場所になります。元々は今川・武田・北条の三国同盟を組んでいましたが、1560年桶狭間の戦いで今川義元が敗れ武田信玄が三国同盟を破棄して1568年今川領への侵攻を始めます。武田信玄は徳川家康と今川領の分割を条件に手を結びさすがに勝てないとなった今川氏真が1569年掛川城を開城し今川家は滅亡します。今川氏真は小田原北条氏の元に逃げて最終的には徳川家に […]
武将たちが激突した場所。戦いの地となった古戦場を表示しています。
三増合戦場跡の感想 武田軍と北条軍が戦った三増合戦の場所になります。元々は今川・武田・北条の三国同盟を組んでいましたが、1560年桶狭間の戦いで今川義元が敗れ武田信玄が三国同盟を破棄して1568年今川領への侵攻を始めます。武田信玄は徳川家康と今川領の分割を条件に手を結びさすがに勝てないとなった今川氏真が1569年掛川城を開城し今川家は滅亡します。今川氏真は小田原北条氏の元に逃げて最終的には徳川家に […]
牛ヶ淵古戦場の感想 武田信玄と小田原北条氏が戦った場所とされている古戦場になります。1569年、武田信玄の相模侵攻の際に戦場になった場所の一つになります。明確にこの地で戦ったとの証拠が残っているわけではなく伝承として語られているものではないかと思われます。実際、武田信玄の相模侵攻後の撤退戦で有名な三増合戦の話では武田軍は平塚で方向を変えて三増の地で北条氏照・氏邦と戦っているとの史実が残っています。 […]
実蒔原古戦場の感想 1487年に実蒔原の戦い(さねまきばらのたたかい)があった場所とされている古戦場になります。実蒔原の戦いは太田道灌が主君だった上杉定正の館で殺されたことを発端にして扇谷上杉氏と山内上杉氏の間で起こった戦いになります。同族の上杉氏同士の内紛ですね。長享の乱とも言われる約18年にもわたって争った両者の戦いの中の一つになります。 実蒔原の戦いでは(扇谷)上杉定正の弟、朝昌が守る七沢城 […]
海野幸義公戦死の地の感想 長野県上田市にある海野幸義公戦死の地へ行って来ました。国道18号線沿いの「蒼久保」という交差点の脇にあります。海野幸義は「海野平の戦い(神川合戦)」で亡くなった武将になります。海野氏の当主・海野棟綱の嫡男とも言われる人物ですが棟綱の弟と言う説もあります。海野平の戦いですが、1541年に甲斐の武田信虎(信玄の父)、北信濃の村上義清、諏訪の諏訪頼重の連合軍がこの場所を含む周辺 […]
小山塚の感想 先程の太田城に記載しましたが、第二次太田城の戦いで豊臣秀吉の水攻めにより太田城は奮戦むなしく落城してしまいます。その際に城主であった太田左近を含む53名は自害させられた太田城内三か所(案内板には四か所とも!?)に埋められたとされ、その一か所がこの『小山塚』と云われているみたいですね。 案内板からは『太田左近宗正と武将たちは自刃した。自刃した武将たちの首級は、秀吉検分後、大阪阿倍野の天 […]
三分一ヶ原古戦場の感想 三分一ヶ原古戦場は上杉謙信の父、「長尾為景(ながおためかげ)」を越後守護上杉家の一族柏崎の上条定憲が1530年、1533年、1534年と三度にわたり討伐を図りますが、上手くいかず、1536年4月に府中に進撃してきた琵琶島城城主「宇佐美定満」、柿崎城城主「柿崎和泉守景家」と長尾為景が夷守郷三分一原で激突します。からくも上条方を撃退することができた戦いでした。その合戦のあった場 […]
江古田古戦場跡の感想 現在の哲学道公園から野方6丁目辺り(新青梅街道沿い一帯)では、太田道灌と豊島泰経らが激戦を繰り返した古戦場(江古田・沼袋の戦い)です!トリガーは関東で28年間断続的に続いた内乱の享徳の乱(きょうとくのらん)で、古河公方の足利成氏が関東管領の上杉憲忠を暗殺したことから始まり、室町幕府足利将軍と組んだ山内上杉氏・扇谷上杉氏が鎌倉幕府側の公方足利成氏と関東一円を巻き込んだ争いで、そ […]
金崎古戦場の感想 『金崎古戦場』は金ヶ崎城のレポートに記載しましたが、戦国時代!織田信長が朝倉氏攻めをしているときに浅井氏に裏切られ挟み撃ちをされそうななった時に逃げ出して、織田信長の撤退を成功させるために殿(しんがり)で活躍した羽柴秀吉と徳川家康が壮絶な撤退戦を行った『金ヶ崎の退き口』の古戦場だと思っていましたが全然違いました(´;ω;`)ウッ… 南北朝時代の1336年~1337年に掛けて、金ヶ […]
源平屋島合戦/屋島古戦場 『屋嶋城』を目指し登っていくと、源平の合戦の際に多くのドラマを生んだ『源平屋島合戦/屋島古戦場』を見下ろせる場所があります!!!『源平屋島合戦/屋島古戦場』は、平安時代後期に勃発した『源平合戦』のうち、1185年に讃岐国の屋島(現在の香川県高松市)で行なわれた合戦です。源氏の勢いに天下を治めていた平家は連戦連敗を繰り返し平家一門は都落となってしまいます。平家が西国へと逃げ […]
黒田如水本陣跡の感想 東側に海があり西側の実相寺山に布陣して約2.2km下った石垣原古戦場へ殺到する中、北側に布陣していたのがこの『黒田如水本陣跡』だと思われます。『黒田如水本陣跡』とありますが、黒田官兵衛(如水)本人は赤根峠を越えて国東に進出し富来城の垣見一直を包囲し、続いて安岐城の熊谷直盛攻めて出てきた熊谷軍を撃退し、ここ石垣原に向かっていた様です。黒田如水本陣にいたのは井上九郎衛門と野村市右 […]