山口玄蕃頭宗永公之碑(石川県)

大聖寺城の城内本丸の場所に『山口玄蕃頭宗永公之碑』がありました(`・ω・´)ゞ かつての大聖寺城主の山口宗永(玄蕃頭)とその息子・修弘(むねひろ)の最期を追悼し、その忠義を後世に伝えるために建てられた顕彰碑(慰霊碑)だそうです。 山口宗永は、元々は織田家臣の丹羽長秀に仕え、のちに豊臣秀吉の直臣(側近)として山城国の宇治田原城や近江国の大石淀城の城主にもなり重用された武将みたいです。検地や政務に長け […]

大聖寺城 / 錦城(石川県)

大聖寺(だいしょうじ)城は標高約67mの錦城山(古城山)に築かれた城で、築城の時期ははっきりしていませんが鎌倉時代に狩野氏によって築かれたと云われています。昔からあった城なのでモロモロ歴史はあった、例えば1335年に名越(なごえ)時兼(北条時兼)が南下し攻め込んできた時には狩野一族が大聖寺城に籠りこれを撃退したとの記録が残っていたり、1337年には新田義貞に加担した敷地伊豆守・山岸新左衛門らが大聖 […]

今江城 / 御幸塚城(石川県)

今江城 / 御幸塚城の感想 今江城は御幸塚(みゆきづか)城とも云い、花山法皇の御幸があったことが由来しているからだそうです。。。築城は不明ですが富樫氏が加賀国の守護大名になる前の富樫泰高の頃に今江城を築いたのではないかと云われています。 1488年に長亨の一揆(高尾城攻防戦)が勃発すると、加賀一向一揆勢に対し富樫泰高はこの今江城に籠城したと云われています。 富樫政親の代になり富樫氏が加賀国守護とな […]

小松城 / 芦城 / 小松の浮城(石川県)

小松城 / 芦城 / 小松の浮城の感想 小松城は先にレポート(城攻めを断念しましたが( ノД`)シクシク…)した、舟岡城の城主若林長門守が築いたと云われています。加賀国一向一揆衆と共に1576年に築かれた城です! 1580年に柴田勝家攻め込んだ際に落城させ、その後、佐久間政盛が1582年に加賀国に侵攻し平定しました。1583年に柴田勝家と羽柴秀吉が激突!!!!(# ゚Д゚)!!!賤ヶ岳の戦い(しず […]

二曲城 / 府峠城(石川県)

二曲城 / 府峠城の感想 『二曲』って書いて『ふとげ』って読みます!二曲城です(^◇^) 二曲城跡は、鳥越城の大日川対岸に位置していて大日川流域や小松方面の支城として築城されたようですね。この地は白山麓門徒の指導者であった鈴木氏の本拠であったとされ、鈴木氏の館の背後にある詰城であったんじゃないかと云われているみたいですねぇ(o^―^o)ニコその後、いつかわかりませんが白山麓本願寺門徒の長として鈴木 […]

鳥越城 / 別宮城(石川県)

鳥越城 / 別宮城の感想 手取川と大日川の合流点に位置する山の先端部を利用して築かれています。丘陵地ではありますが標高は312mの場所に主郭部が築かれており、1573年頃築かれたと思われますが築城者は不明です。城主としては鈴木出羽守と云う者が城主として入城していたとされています。城主の鈴木出羽守に指導された白山麓本願寺門徒は、南加賀一向一揆において最後まで頑強に抵抗し、1580年に織田信長配下柴田 […]

舟岡城/船岡城/剣城/八幡城(石川県)

舟岡城/船岡城/剣城/八幡城の感想 築城はわかっていませんが、この奥にある鳥越城の支城として築かれたんじゃないかと云われています。一向一揆衆の城としてあり、1580年に織田軍が一向一揆衆討伐のために侵攻し、織田信長の重臣佐久間盛政が1582年に一向一揆方の若林長門守を謀殺して落城させたと云われています。(その時に鳥越城も一緒に落城したようです) 1583年に前田利家が金沢城に入城すると、前田利家の […]

小沢古城址(神奈川県)

小沢古城址の感想 小沢古城址(こさわこじょう)は武蔵七党の横山党の小沢(こさわ)氏の城とされているお城になります。小沢氏は平安時代末から鎌倉時代初期に活躍した一族とされていて、この城は鎌倉時代に築城されたお城と言われています。横山党は武蔵七党の最大派閥と言われていて、この辺りでは相模川の対岸に田名氏、相模川上流に小倉氏の領地があったようです。小沢氏と血縁関係のあったとされています。小沢氏は1213 […]

牛ヶ淵古戦場(神奈川県)

牛ヶ淵古戦場の感想 武田信玄と小田原北条氏が戦った場所とされている古戦場になります。1569年、武田信玄の相模侵攻の際に戦場になった場所の一つになります。明確にこの地で戦ったとの証拠が残っているわけではなく伝承として語られているものではないかと思われます。実際、武田信玄の相模侵攻後の撤退戦で有名な三増合戦の話では武田軍は平塚で方向を変えて三増の地で北条氏照・氏邦と戦っているとの史実が残っています。 […]

  • 2026.07.25

愛甲三郎館跡(神奈川県)

愛甲三郎館跡の感想 愛甲三郎季隆(あいこうさぶろうすえたか)の居館跡に訪問。近くを通ったので訪問。事前知識無しで誰?と思いながら訪問してきました笑 市のHPによると、「愛甲氏は、平安時代末期に武蔵国で興った武蔵七党と呼ばれた有力な武士団の一つ、横山党の流れをくむ一族です。」とのことで横山党の武将になります。平安末期から鎌倉時代に活躍した方になりますね。今度別で横山党の発祥(横山神社)については記事 […]

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