置塩城(兵庫県)

置塩城の感想 置塩城と書いて「おしおじょう」もしくは「おじおじょう」と読みます。置塩城は赤松氏が居城としたお城で、赤松 政則(あかまつ まさのり)が1469年に築城したお城になります。その後、100年、5代が居城にしたとのことです。赤松氏はもともと名門なのですが、1441年に赤松満祐が室町幕府の第6代将軍・足利義教を暗殺(嘉吉の乱)。ここで踏ん張れれば幕府を討ち、事実上の天下統一?くらいで教科書に […]

龍野城(兵庫県)

龍野城の感想 龍野城は1499年に赤松村秀(あかまつむらひで)が鶏籠山(けいろうざん)の山頂に築城して始まります(こちらは龍野古城とも言われています。)が、1577年に赤松氏が羽柴(豊臣)秀吉にお城を明け渡します。ただ、秀吉は姫路城に入ったので、蜂須賀正勝が龍野城に入りました。1658年に龍野城に入っていた京極氏が丸亀城へ移封となり一旦龍野城は廃城となります。今回はその後、第2期目として1677年 […]

妻鹿城/国府山城(兵庫県)

妻鹿城/国府山城の感想 妻鹿城(めがじょう)もしくは国府山城(こうざんじょう)と読みます。妻鹿城は妻鹿長宗によって1330年ごろに築城されたと言われております。その後、詳細な経緯は不明ですが、1573年に黒田官兵衛の父、黒田職隆(くろだもとたか)が居城として入ります。黒田官兵衛も羽柴(豊臣)秀吉に姫路城を譲った後、この妻鹿城に短い間ですが入ります。1585年、父の黒田職隆が亡くなるとこの妻鹿城も廃 […]

大江広元邸址(神奈川県)

大江広元邸址の感想 『大江広元邸址』屋敷は、大江広元のお墓がある山の下にある明王院の向かい側、『明石橋』の交差点の所に滑川が流れていますが、その滑川沿いに屋敷があったものと思われます。 『大江広元邸址碑』にはこぉ書かれていました・・・(=゚ω゚)ノ『大江氏 奕世(えきせい:累代)学匠として顕(あらわ)る 嘗(かっ)て匡房(まさふさ) 兵法を以て義家に授く 広元は其の匡房の曽孫(ひまご)なり 頼朝に […]

伝 大江広元の墓(神奈川県)

伝 大江広元の墓の感想 大江広元は毛利元就の祖として、私とかはとても重要な人物と考えていました。(毛利元就も一時、幕府側に出す書状に大江元就と記載していたことがあります) 大江広元は京都の儒学を専門とする京都で朝廷に務める下級貴族だった中原広季の養子となったとあります。大江広元もその時は中原広元と名乗っていたようですね。途中、1216年にあらためて大江広元と改めた様です。京都にいたころ、兄の中原親 […]

遠江 飯田古城(静岡県)

遠江 飯田古城 太田川東岸中飯田の段丘上に『曹洞宗崇信寺』があります。 山門前の寺名を刻んだ石柱には『飯田城主山内対馬守開基』と記載しています。 ここが『遠江飯田古城』があった場所だと思われます♪山内氏は鎌倉期に飯田荘の地頭となり、次第に勢力を拡大して室町期には天方本城を中心に勢力を拡大し、今度は約7km先に南下し新たに遠江飯田古城を山内対馬守道美が築いたとされています。その後、山内道美の孫となる […]

遠江 飯田城(静岡県)

遠江 飯田城の感想 遠江(遠州)飯田城は山内道美の孫(三代目)である山内大和守通泰によって築かれた城みたいです。元々は山内道美が築いた飯田古城(当時はそんな呼び名ではなかっでしょうね)があったようですが、そこから新たに築き移り住んだとされています。時代は戦国時代真っ只中ですからね~!?!?!? 1569年に徳川家康の家臣である榊原康政と大須賀康高らに攻められ落城し、山内通泰は討死してしまいます!1 […]

姫路城(兵庫県)

姫路城の感想 ある意味有名すぎているかもでは避け続けてきたお城なのですが、ついに姫路城へ行ってきました。厳密にはいるかも始める前には行ってますが。。姫路城といえば、国宝であり、世界遺産でもあり、現存天守を持つお城、現存12天守のうちの一つでもあります。世界的にみても日本で一番有名なお城と言っても過言ではないお城なのでこのサイトで取り扱わなくても調べればいくらでも情報が出てくるので取り扱ってきません […]

枝吉城(兵庫県)

枝吉城の感想 枝吉城(えだよしじょう・しきつじょう)は明石氏の居城で、明石氏は赤松氏に使える被官だったとのことです。枝吉城は1429年ごろに築城されたとのことですが、明石氏自体は鎌倉から室町時代初め頃には播磨地域に存在していたようです。1539年に第一次枝吉城の戦いで明石氏は赤松氏と和睦し、赤松氏の傘下に入ります。1554年第二次枝吉城の戦いで三好長慶と戦い1555年に和睦。明石氏は別所氏が織田軍 […]

横倉城(兵庫県)

横倉城の感想 横倉城へ行ってきました。現在は横蔵寺というお寺になっていて遺構は多分ほぼなさそうです。説明もほぼなく、駐車場の脇に細い標柱で横倉城跡と書かれているだけで歴史的な内容はわからずです。調べてみると別所氏の支流となる野口厚躬(のぐちあつとみ?あつみ?)なる武将の居城だったみたいです。いつ築城されていつ無くなったのか、野口氏がどんな武将だったのか全くわかりませんでした。お寺は雰囲気の良い、庭 […]

1 56

最新記事