十二丁目城/獅子ヶ鼻城(岩手県)

十二丁目城/獅子ヶ鼻城の感想 十二丁目城(じゅうにちょうめじょう)と読みます。そのまま読むんだ笑築城時期は不明ですが、稗貫氏(ひえぬきし)の家臣だった伊藤氏が十二丁目氏を名乗って居城にしたとのことです。1590年の奥州仕置によって稗貫氏、十二丁目氏も滅ぼされて寺林城同様に浅野氏が十二丁目城に入りますが、1592年に廃城になったとのことです。 現在の城跡ですが、遺構は水田になってしまっており残ってな […]

寺林城(岩手県)

寺林城の感想 寺林城(てらばやしじょう)は鎌倉時代、1279年に河野通重(かわのみちしげ)によって築城されたと言われています。名前だけ見た時に甲斐の武田家臣の河野通重が最後は岩手県に来ていたのか。と思いましたが同名の別の武将でしたね。ただ、伊予国(愛媛県)の河野氏の家系であることはどちらの武将も変わらないので、同じ家系の別時代の同姓同名の武将ということになります。ややこしい笑 でも、鎌倉時代に伊予 […]

善知鳥館(岩手県)

善知鳥館の感想 善知鳥館(うとうだてあと)と読みます。難しい😓 善知鳥館は安倍貞任(あべのさだとう)の家臣。善知鳥文治安方(うとうぶんじやすかた)の居館跡と伝えられているそうです。つまり安倍氏の館ということになるかと思います。 町のHPを見ると、「昭和38年6月、紫波町教育委員会が主体となり、岩手大学板橋源教授を主任調査員として発掘調査を実施した結果、この遺跡は、安倍氏の柵か、もし […]

樋爪館(岩手県)

樋爪館の感想 樋爪館(はしづめだて)は平安時代末ごろに藤原清衡(ふじわらのきよひら)の四男である藤原清綱(ふじわらのきよつな)がこの地をもらったことで、樋爪氏を名乗るようになり、築いた館とされています。ここが重要拠点だった理由はこの地で産出する砂金等を流通させる北方交易の拠点にもなっていたとのことで、金以外にも馬、漆、米などを主に取引していたようです。 樋爪館は1189年の源頼朝による奥州藤原氏討 […]

北条館遺跡(岩手県)

北条館遺跡の感想 北条館遺跡(ほうじょうだていせき)は鎌倉時代の館跡になります。発掘調査で平安時代のかわらけや土師器、中世の陶磁器などが出土しているみたいです。現在は埋め戻されているので、土塁と堀跡が見られる程度ですが、城館跡の雰囲気は感じ取れるくらいの遺構は残っています。 誰の館跡なのかははっきりとわかっていないそうですが、樋爪氏とも北条氏の末裔ともいわれているそうですが、町のHPでは天正20年 […]

高水寺城/斯波御所/郡山城(岩手県)

高水寺城/斯波御所/郡山城の感想 名門奥州斯波氏の居城、高水寺城(こうすいじじょう)です。斯波御所とも言われます。高水寺城は1335年に奥州管領として斯波家長がこの地に来た時に築城されたと言われています。そこから約400年間もの間、斯波氏の居城として使用されます。そんな名門だった斯波氏も戦国時代に入り、南部氏が力をつけてくると、南部氏から養子として中野康実を送りこまれます。これ以降、斯波家の乗っ取 […]

久々館(岩手県)

久々館の感想 たまたま見つけた久々館遺跡の標柱。どんな館跡なのかと車を止めて見て見ましたが藪に覆われて遺構などはわからず。また、道路整備の際に作られたもののようで関係ないみたいです。 久々館(くくだて)は書物など資料には出てこないようで伝承とかも謎のようですが、状況から判別して中世から近世にかけての方形の居館跡とのことです。現在は中央部を南北に通る県道盛岡石鳥谷線によって東西に分断されてしまってい […]

藤原泰衡の首洗い井戸(岩手県)

藤原泰衡の首洗い井戸の感想 鎌倉時代、奥州藤原氏最後の当主(第4代)で、源義経を大将に頼朝と戦うことを目指しますが、結局は鎌倉幕府の圧力と朝廷を通じた討伐令に耐えられず義経を自害に追いやった武将になります。1189年、源頼朝から義経を匿ったことでお咎めを受けて幕府と戦うことになります。結局泰衡は負けて敗走するのですが、平泉から河田次郎に助けを求めて贄の柵(にえのさく)(現在の大館市)に逃げますが、 […]

本堂城(秋田県)

本堂城の感想 本堂城は本堂氏が築いた平城で、『戸沢三十五城』の1城と云われています。城跡の北西側を矢島川が南西方向に流れており、東西182m・南北273mの矩形をなして幅は約10mで東西南北にめぐらされ内堀が築かれていた様です。本堂城の周囲には内堀に接して高さ4mの土塁が築かれていた様で、今ではよくわかりませんが西門の付近に少し土塁の形跡が確認できます!本堂氏は清和源氏の流れを組む一族で鎌倉時代に […]

太田城(秋田県)

太田城の感想 『戸沢三十五城』のひとつとされる太田城です(=゚ω゚)ノ大仙市にある太田城跡は小神成(こがなり)地域の隣「築地古館」と呼ばれる場所にある城館跡です。現在は、大仙市太田支所や幼稚園敷地となっています。築城は太田四郎秀頼が築城したと云われており、その後の書物には『太田城は太田小治郎某の居城』とされている様で、1587年の唐松野合戦においては太田源七郎名が記載されている様です。東西65m× […]

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