松葉城/岩瀬城(愛媛県)
松葉城/岩瀬城の感想 松葉城(岩瀬城)は、1236年に西園寺公経(きんつね)が現在の宇和島一帯を荘園となったことから始まり、西園寺公良(きみよし?)の時に、1376年に前身の岩瀬城に入城したと云われています。それから岩瀬城は松葉城となり、伊予西園寺氏第19代目当主の西園寺実充(さねみつ)が黒瀬城に居城を移すまでの約170年間を伊予西園寺氏の本城としていた様です。(説明板に書いてありました!) 松葉 […]
松葉城/岩瀬城の感想 松葉城(岩瀬城)は、1236年に西園寺公経(きんつね)が現在の宇和島一帯を荘園となったことから始まり、西園寺公良(きみよし?)の時に、1376年に前身の岩瀬城に入城したと云われています。それから岩瀬城は松葉城となり、伊予西園寺氏第19代目当主の西園寺実充(さねみつ)が黒瀬城に居城を移すまでの約170年間を伊予西園寺氏の本城としていた様です。(説明板に書いてありました!) 松葉 […]
轟城/大西城の感想 築城年代は定かではありませんが、1394年〜1428年頃に信藤正国によって築かれた城だと云われています。 その後、信藤氏が七代続き約100年間も信藤氏の居城でありましたが、信藤正親の時に何があったのか全くわかりませんが、権力の座から降りて民間人となり轟城は一時は居城になっていた様です。。。(そんな事あるんかい!?(+o+)) 1574年に大西備中守元武によって城が修築され大西氏 […]
芝山城の感想 香西氏の本拠地である勝賀城は標高約364mの堂々たる山城ですが、その東側に位置する標高約188mの芝山(高松市香西北町)に築かれたのが芝山城です。芝山城の山頂の曲輪からは、香西の港(旧香西港)や瀬戸内海、そして香東川を挟んだ高松平野が一望できます。水陸交通の要衝を常に見張り、異常があれば即座に本城へ伝える極めて重要な『監視台・物見の城』だったんじゃないかと思われます( `ー´)ノ ま […]
勝賀城の感想 勝賀城(かつがじょう)は1221年の承久の乱(じょうきゅうのらん)で戦功をあげた、香西資村(藤原資村)が標高365mの勝賀山山頂に中世山城を築き詰城とし、東麓に平時の居城である佐料城(館)を築いて勝賀城は本城とした様です。因みに・・・藤原資村(すけむら)が讃岐国香川郡綾南条に入国した際に、この地名をとって『香西こうざい)氏』を名乗るようになったみたいですね(`・ω・´)ゞ 南北朝時代 […]
古館/一栗城 古城の感想 たぶんなんですが・・・ここが、一栗放牛(いちくりほうぎゅう)が築いたとされる古館がここだと思います(; ・`д・´)!? たまたま古館八幡神社の前に住んでいる方にお会いでき、いろいろとお話を聞いていたら(殆どが神社の説明でしたが・・・)、最初に(一栗城を)築いたのはここだよ的なお話があったので、後々調べてみてここが『古館』と呼ばれる一栗放牛が築いた城/館だったんじゃないか […]
岩谷堂城の感想 岩谷堂城(いわやどうじょう)は平安時代にこの場所に藤原経清・清衡が館を構えたのが始まりとされているみたいです。 近くに豊田館があり、そこが藤原経清・清衡の居城と言われてますが、どういう関係なんですかね?豊田館は平城っぽいのでこちらが詰城なのか。時代的に平安時代ってそんなことしてたのか?うーん。謎ですねー 実際に城として使われていたのがわかっているのは、南北朝時代に葛西氏の一族だった […]
箕冠城/箕冠山城の感想 日本(漢字)って難しいですなぇ~(=゚ω゚)ノ箕冠城(みかぶりじょう)と読みます!!! 箕冠城は越後国にあり上杉謙信の居城の春日山城や高田城の直ぐ近く、信濃国から越後国に攻められるときの越後国の入口を向かいの山城である鳥坂城と共に抑える非常に重要な位置づけにある山城です。 箕冠城は越後国守護の上杉家の重臣大熊氏が守る重要な城で、上杉謙信の時代には大熊朝秀(おおくまともひで) […]
二曲城 / 府峠城の感想 『二曲』って書いて『ふとげ』って読みます!二曲城です(^◇^) 二曲城跡は、鳥越城の大日川対岸に位置していて大日川流域や小松方面の支城として築城されたようですね。この地は白山麓門徒の指導者であった鈴木氏の本拠であったとされ、鈴木氏の館の背後にある詰城であったんじゃないかと云われているみたいですねぇ(o^―^o)ニコその後、いつかわかりませんが白山麓本願寺門徒の長として鈴木 […]
鳥越城 / 別宮城の感想 手取川と大日川の合流点に位置する山の先端部を利用して築かれています。丘陵地ではありますが標高は312mの場所に主郭部が築かれており、1573年頃築かれたと思われますが築城者は不明です。城主としては鈴木出羽守と云う者が城主として入城していたとされています。城主の鈴木出羽守に指導された白山麓本願寺門徒は、南加賀一向一揆において最後まで頑強に抵抗し、1580年に織田信長配下柴田 […]
舟岡城/船岡城/剣城/八幡城の感想 築城はわかっていませんが、この奥にある鳥越城の支城として築かれたんじゃないかと云われています。一向一揆衆の城としてあり、1580年に織田軍が一向一揆衆討伐のために侵攻し、織田信長の重臣佐久間盛政が1582年に一向一揆方の若林長門守を謀殺して落城させたと云われています。(その時に鳥越城も一緒に落城したようです) 1583年に前田利家が金沢城に入城すると、前田利家の […]