湯築城/湯月城(愛媛県)
湯築城/湯月城の感想 愛媛県は『名城!松山城!』だけじゃない!!!(。◕ˇдˇ◕。)/愛媛県松山市の道後温泉に隣接する湯築城(ゆづきじょう)は、伊予国の守護大名である河野(こうの)氏が約250年にわたり本拠とした水濠と土塁に囲まれた平山城です。 湯築城は1335年頃に守護大名であった伊予国の河野通盛(こうのみちもり)によって築かれたと云われています。この河野氏は越智氏(おちし)の流れを汲む伊予国 […]
湯築城/湯月城の感想 愛媛県は『名城!松山城!』だけじゃない!!!(。◕ˇдˇ◕。)/愛媛県松山市の道後温泉に隣接する湯築城(ゆづきじょう)は、伊予国の守護大名である河野(こうの)氏が約250年にわたり本拠とした水濠と土塁に囲まれた平山城です。 湯築城は1335年頃に守護大名であった伊予国の河野通盛(こうのみちもり)によって築かれたと云われています。この河野氏は越智氏(おちし)の流れを汲む伊予国 […]
勝賀城の感想 勝賀城(かつがじょう)は1221年の承久の乱(じょうきゅうのらん)で戦功をあげた、香西資村(藤原資村)が標高365mの勝賀山山頂に中世山城を築き詰城とし、東麓に平時の居城である佐料城(館)を築いて勝賀城は本城とした様です。因みに・・・藤原資村(すけむら)が讃岐国香川郡綾南条に入国した際に、この地名をとって『香西こうざい)氏』を名乗るようになったみたいですね(`・ω・´)ゞ 南北朝時代 […]
胆沢城の感想 胆沢城(いさわじょう)と読みます。胆沢城は、平安時代 802年に坂上田村麻呂が作ったと言われています。城というより時代的に「柵」(政治などの役所的なもの)になるかと思います。808年ごろに多賀城から軍政を司る「鎮守府」が遷されて10世紀後半頃まで鎮守府胆沢城として使われたとのことです。 胆沢城は大正時代に国指定史跡に指定されていて(だいぶ昔に指定されているんですね!)現在は令和元年6 […]
名生館官衙遺跡の感想 7世紀末って云うのだから・・・飛鳥時代?~平安時代に営まれた律令期の役所(官衙)跡の様です。大崎平野の北西部にあり標高40mで、周辺との比高10mほどの台地上に立地しています。 遺跡の範囲は南北1,100m・東西700mの広さがであります。中世奥州探題大崎氏の名生城としても有名らしいですね。って云うか、名生城として組み込まれ使われていたんだと想像します(`・ω・´)ゞ 継続的 […]
伊治城の感想 伊治城は『いじじょう』『これはりじょう』『これはるじょう』などの呼び方が複数あります(〃艸〃)ムフッ 日本語って本当にむずかしいなぁぁぁ~苦笑 長らく『いじじょう』と音読みされていたみたいですが、多賀城跡から発見された漆紙文書などにより、当時は『これじ』『これはり』または 『これはる』と呼ばれていた可能性が非常に高い様です。 伊治城は奈良時代(8世紀後半)に大和律令政府が東北地方(陸 […]
払田柵跡の感想 払田柵跡(ほったのさくあと)は、平安時代の初めころ律令国家がこの地方の統一を進めるために造った政治的・軍事的拠点として、また儀式の場としての役割を持っていたと云われています。まぁ~秋田城と同じような役割だったんだと思います(`・ω・´)ゞ 外柵(がいさく)と呼ばれる角材(高さ3.6m/縦・横30cm)を並べた材木塀は総延長約3.6km、遺跡の総面積は約87.8haにもなるめちゃくち […]
秋田城の感想 秋田城の歴史はめちゃくちゃ古いですね~((+_+))一応、城と表記をしていますが元々は『城柵(じょうさく)』と云うみたいです。『城柵』とは、7世紀(601年~)~11世紀(~1100年)の古代日本において大和朝廷(ヤマト王権、中央政権)が、本州北東部を征服する事業の拠点として築いた施設だったようで、『城柵』は朝廷が蝦夷の居住地域に支配を及ぼすための拠点となる政治の中心の施設だったと思 […]
脇本城の感想 脇本城は知る人ぞ知る!男鹿半島から日本海を臨む東日本屈指の規模を誇る山城で、その広さは150haに及ぶ想像もつかないぐらいの大規模な山城で、標高約100mの丘陵を活かし整備した土づくりの城で石垣は存在していません。私が脇本城を知ったのは安東愛季(あんどうちかすえ)の存在で、この脇本城を居城にしようと改築を行っていたみたいです。 安東氏は元々安部氏といい、その昔、平安時代の頃は陸奥国( […]
和田山城の感想 1506年頃に一乗谷城の越前守護朝倉貞景に追われた南加賀国一向衆の和田坊超勝寺が築いた城とされ、その後、大小の加賀国一向衆同士の小競り合いから、本願寺が和田坊超勝寺側に付き本願寺一向衆側として確立された様です。この辺は古墳が多く(前方後円墳や前方後方墳や円墳など、この辺一帯にも40数基もの古墳が築かれています!凄いですなぁ~Σ(・□・;) 和田山城も古墳を利用した平山城で、手取川南 […]
大聖寺城 / 錦城の感想 大聖寺(だいしょうじ)城は標高約67mの錦城山(古城山)に築かれた城で、築城の時期ははっきりしていませんが鎌倉時代に狩野氏によって築かれたと云われています。昔からあった城なのでモロモロ歴史はあった、例えば1335年に名越(なごえ)時兼(北条時兼)が南下し攻め込んできた時には狩野一族が大聖寺城に籠りこれを撃退したとの記録が残っていたり、1337年には新田義貞に加担した敷地伊 […]