湯築城/湯月城(愛媛県)
湯築城/湯月城の感想 愛媛県は『名城!松山城!』だけじゃない!!!(。◕ˇдˇ◕。)/愛媛県松山市の道後温泉に隣接する湯築城(ゆづきじょう)は、伊予国の守護大名である河野(こうの)氏が約250年にわたり本拠とした水濠と土塁に囲まれた平山城です。 湯築城は1335年頃に守護大名であった伊予国の河野通盛(こうのみちもり)によって築かれたと云われています。この河野氏は越智氏(おちし)の流れを汲む伊予国 […]
湯築城/湯月城の感想 愛媛県は『名城!松山城!』だけじゃない!!!(。◕ˇдˇ◕。)/愛媛県松山市の道後温泉に隣接する湯築城(ゆづきじょう)は、伊予国の守護大名である河野(こうの)氏が約250年にわたり本拠とした水濠と土塁に囲まれた平山城です。 湯築城は1335年頃に守護大名であった伊予国の河野通盛(こうのみちもり)によって築かれたと云われています。この河野氏は越智氏(おちし)の流れを汲む伊予国 […]
金子城/金子山城/橘江城の感想 伊予国新居郡金子山に金子氏が築いた金子城ではありますが、築城はいつなんだかわかっていません。しかし、金子氏は武蔵国の金子氏. 蜻蛉 (桓武平氏村山党). 武蔵七党のひとつ村山党の一族らしく、武蔵七党とは鎌倉時代に活躍した武士集団なので、金子氏はかなり昔に伊予国に下って来たものだと思われます( `ー´)ノ(持論!苦笑) 金子城と云えば!!!金子元宅(かねこもといえ)で […]
藤尾城の感想 香西氏が佐料城から居城を移したのがこの藤尾城跡です!(。◕ˇдˇ◕。)/現在ここは宇佐八幡神社となっています。 戦国時代ここは海に突き出た半島のようなところで『磯崎山』と呼ばれていたみたいです。香西氏の代々は勝賀城を詰城とし居城を現在の鬼無町佐料にある佐料城を居城としていましたが、佐料城が平地で防御しにくく攻め込まれる度に勝賀城に立てこもって応戦する必要があったため、香西氏の最後の […]
勝賀城の感想 勝賀城(かつがじょう)は1221年の承久の乱(じょうきゅうのらん)で戦功をあげた、香西資村(藤原資村)が標高365mの勝賀山山頂に中世山城を築き詰城とし、東麓に平時の居城である佐料城(館)を築いて勝賀城は本城とした様です。因みに・・・藤原資村(すけむら)が讃岐国香川郡綾南条に入国した際に、この地名をとって『香西こうざい)氏』を名乗るようになったみたいですね(`・ω・´)ゞ 南北朝時代 […]
十河城/十川城/西尾城の感想 十河(そごう)城は高松市の南部に位置しており、東側を春日川、西側を前島川に挟まれた台地の北端に位置しています。台地の微高地を利用して本丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置し、周囲には深掘りされた水堀や土塁、切岸をめぐらせて防御力を高めていた平城(微妙な平山城!?笑)だったと思われます( `ー´)ノ南北朝時代から桃山時代まで約230年の間 十河氏の居城となっていたようです […]
昼寝城の感想 昼寝城(ひるねじょう)は、香川県さぬき市多和の標高約280m(比高約130m)の要害に位置する中世山城です。へんてこな名前ですよねぇ~((´∀`))ケラケラ けど、城名とは裏腹にとても堅固な山城でした!!!! 一説には・・・周囲の地形があまりにも急峻で防御性能が高いため、『攻め寄せる敵など恐れるに足らず、城内で『昼寝』ができるほど安心な要害である』ということから名付けられたという話も […]
胆沢城の感想 胆沢城(いさわじょう)と読みます。胆沢城は、平安時代 802年に坂上田村麻呂が作ったと言われています。城というより時代的に「柵」(政治などの役所的なもの)になるかと思います。808年ごろに多賀城から軍政を司る「鎮守府」が遷されて10世紀後半頃まで鎮守府胆沢城として使われたとのことです。 胆沢城は大正時代に国指定史跡に指定されていて(だいぶ昔に指定されているんですね!)現在は令和元年6 […]
金ヶ崎城/金ヶ崎要害の感想 平安時代に坂上田村麻呂が館を築いたという伝説もある岩手県の金ヶ崎城です!基本的に現在の遺構としては1591年に 伊達領にこの地がなった時に南部氏の領地と接しているために金ヶ崎要害として作られたとされているみたいです。その後、桑折氏や留守氏が金ヶ崎城に入り、1644年に伊達一族の大町氏が明治維新まで城主となったようです。 現在の金ヶ崎城ですが、概ね城の曲輪や土塁などの遺構 […]
岩谷堂城の感想 岩谷堂城(いわやどうじょう)は平安時代にこの場所に藤原経清・清衡が館を構えたのが始まりとされているみたいです。 近くに豊田館があり、そこが藤原経清・清衡の居城と言われてますが、どういう関係なんですかね?豊田館は平城っぽいのでこちらが詰城なのか。時代的に平安時代ってそんなことしてたのか?うーん。謎ですねー 実際に城として使われていたのがわかっているのは、南北朝時代に葛西氏の一族だった […]
千石城/松山城の感想 千石城の築城年代はよくわかっていないみたいですが、鎌倉時代頃に遠藤氏によって築かれたと云われています。 遠藤氏は藤原南家の流れを汲む文覚上人(遠藤盛遠)の後裔らしく、遠藤盛継が鎌倉公方足利満兼から志田郡・玉造郡・加美郡の郡奉行に任ぜられ、1401年に陸奥国へ下向したことに始まると云われています。因みに・・・遠藤氏の元々の祖は千葉氏らしく有名なのは美濃国の遠藤氏もありますが、鎌 […]