下煤孫館跡(岩手県)
下煤孫館跡の感想 下煤孫館(しもすすまごだて)。そんな読み方なの??と思ってしまうお城の名前ですね。別名で煤孫城、古舘、観音館とも呼ばれるそうです。下煤孫館は煤孫氏のお城で和賀氏の支流で家臣だったようです。今回はたまたま地図で見つけたので訪問してますが、元々は1.2Kmほど離れた場所にある上煤孫館を煤孫氏は居城にしていてこちらの下煤孫館に移ってきたみたいです。 説明板に書かれていたものですが、煤孫 […]
下煤孫館跡の感想 下煤孫館(しもすすまごだて)。そんな読み方なの??と思ってしまうお城の名前ですね。別名で煤孫城、古舘、観音館とも呼ばれるそうです。下煤孫館は煤孫氏のお城で和賀氏の支流で家臣だったようです。今回はたまたま地図で見つけたので訪問してますが、元々は1.2Kmほど離れた場所にある上煤孫館を煤孫氏は居城にしていてこちらの下煤孫館に移ってきたみたいです。 説明板に書かれていたものですが、煤孫 […]
岩崎城の感想 岩崎城は和賀氏の家臣だった岩崎氏の居城だったお城になります。築城は正確には不明ながら、南北朝時代とされていて1336年~1392年ごろと言われているようです。1590年に和賀氏が小田原征伐に参加しなかったことで、岩崎氏も改易となり、1592年には、豊臣秀吉の命令によって南部氏が岩崎城を破壊します。その後、1600年に和賀忠親が領地を取り返すため一揆を起こします(岩崎一揆)。この一揆は […]
師山城の感想 師山城(もろやまじょう)は、現在の宮城県大崎市古川師山字城山に位置する南北朝時代から戦国時代にかけての平城です!大崎平野の中央寄り、鳴瀬川と多田川が合流する付近に置かれた要衝で、奥州探題・大崎氏の初期拠点および対伊達氏防衛の最前線として非常に重要な役割を果たしていた様です。1337年頃に笠原重広が奥州に下向して師山城を築城したと云われており、当初師山城を居城としていましたが、笠原重広 […]
中新田城/御仮屋の感想 中新田城は奥州探題大崎氏の居城であったとされる城の1つであり、大崎氏最後の当主となった大崎義隆が名生(みょう)城に移る前に居城としていた城がこの中新田城です( `ー´)ノ 大崎義隆が名生城に移った以降、中新田城には大崎氏の家臣である南条下総守隆信が城代として入った様ですね♪ 因みに・・・この!南条隆信は1588年に起きた大崎合戦で伊達政宗軍を中新田城で迎え撃ち撃退したみたい […]
岩出山城/岩手沢城/岩出山要害/臥牛城の感想 岩出山城は伊達政宗が米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなり入城した城として有名です。もともと岩出山城は岩手沢城と呼ばれており、足利一門であり奥州探題(おうしゅうたんだい)であった大崎氏の家臣氏家氏の城だった様で、伊達政宗が移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康が岩手沢城に約40日滞在して、城の縄張りや改修工事を行った後で伊達政宗に引き渡 […]
名生城/御所館/義隆館の感想 名生(みょう)城の築城年代は定かではありませんが、南北朝時代に斯波家兼によって築かれたと云われています(=゚ω゚)ノ足利氏の流れを組んでいる斯波高経の弟の斯波家兼は奥州探題に任ぜられ下向し大崎氏の祖となり、大崎家兼の二男の兼頼が出羽国に進出し山形で最上氏の祖となった様です。つまり・・・大崎氏と最上氏は元々同じ流れを組む斯波氏の出なんですね~(。◕ˇдˇ◕。)/けど・ […]
高清水城の感想 1532年〜1555年頃に高清水(高泉)直堅によって築かれたと云われる。 高清水直堅は大崎家第9代目の大崎義兼の三男となります。また一方では大崎(高泉)持家が築城したとする伝えもある様で誰が築城したのかは不明みたいですね。奥羽山脈のから東へ延びる築館丘陵の末端部に位置し、沖積平野(ちゅうせきへいや)に面した標高20m程の緩やかで平坦な微高地に造られていた様ですね! 大崎氏(大崎一族 […]
伊治城の感想 伊治城は『いじじょう』『これはりじょう』『これはるじょう』などの呼び方が複数あります(〃艸〃)ムフッ 日本語って本当にむずかしいなぁぁぁ~苦笑 長らく『いじじょう』と音読みされていたみたいですが、多賀城跡から発見された漆紙文書などにより、当時は『これじ』『これはり』または 『これはる』と呼ばれていた可能性が非常に高い様です。 伊治城は奈良時代(8世紀後半)に大和律令政府が東北地方(陸 […]
沢辺館/臥牛館の感想 沢辺(さわべ)館、若しくは、臥牛(がぎゅう)館とも云います。聞きなれない『臥牛』の意味は『伏せて横たわる牛』の姿・カタチを意味している様で、この沢辺館全体がこんもりとした小山に築かれており、その姿が『伏せて横たわる牛』に似ていたのでそのように呼ばれていたんでしょうねぇぇぇ~(`・ω・´)ゞ1199~1201年頃に、葛西氏の家臣だった二階堂常信が衣川より移り住み館を築いたのが始 […]
黒岩元館/岩崎塞の感想 基本的には黒岩城の中になるんだと思われますが、こちらは黒岩元館(くろいわもとだて)もしくは岩崎塞(いわさきのさい)と呼ばれ、和賀氏が最初に築城した古城だったのではないかと思われる場所になります。その後、室町時代、戦国時代と経過する中で城の範囲を拡張整備していき黒岩城の案内図にある城になったと思われます。 黒岩城では遺構を確認することはほとんどできませんでしたが、こちらは堀切 […]