山名城の感想
山名城は武田信玄の家臣、木部氏のお城ですが、1395年に尹良親王(ゆきよししんのう)が築城したとされています。
山名城があるのは観音山丘陵と呼ばれる丘になるみたいですが、この丘陵には5つの城址があり、1、寺尾上(てらおかみ)城、2、寺尾中(てらおなか)城、3、茶臼山(ちゃうすやま)城、4、根小屋(ねごや)城、5、山名(やまな)城の5つになります。表現としてはあったという方が正しいのかもしれないですね。
高崎市のホームページを見ると山名城の本丸と二の丸部分が市の指定史跡になっているみたいです。
歴史を見ていくと、新田義重の子、義範がこの山名の地をもらったことにより、山名氏を名乗るようになったみたいです。
個人的におもしろいなぁと思うのは、新田義重は新田氏の祖で子孫の新田氏の8代目が鎌倉幕府を滅ぼした新田義重になります。そして、この山名城の山名氏ですが、こちらの子孫は応仁の乱を起こした張本人である山名宗全を輩出した家系になります。
諸説ありますが山名宗全は幕府を弱体化させ戦国時代の始まりつくった人とも言われている武将になります。どちらも新田氏の家系なんですよね。この家系は幕府を滅ぼすような家系なんですかね笑
その後の木部氏ですが、武田信玄が関東管領の山内上杉氏が納めていたこの辺りに侵攻して山内上杉氏から武田信玄の家臣になったみたいです。寝返ったということですね。この木部氏の時代に信玄の命令で山名城を改修し、根小屋城などを築城して今遺構が残っている山名城などの姿になったみたいです。
木部氏ですが、最後は木部範虎という武将で、武田勝頼を最後まで裏切らずに戦い討ち死にしてしまいます。木部氏は武田家滅亡で一緒に武家としては滅亡したみたいです。
上杉から武田に主君を変えた武将でさらに家督も信玄から勝頼にかわっているのに忠義を尽くしたのはなぜだろう?とも考えてしまいますね。
山名城画像ギャラリー
だいぶ劣化していて読めないですが、周辺の雰囲気だけ感じてください。笑

駐車場も少し離れてますがあります。それでは登っていきます!



馬頭観音説明版
馬頭観音があったみたいですが、最後の締めくくりが、「錯覚のみが残っている。」ってなかなか自虐的にも感じますww


山上古墳
古墳(石室)がありました。被葬者がわかっている古墳みたいですね。確かに珍しい!





では先に進みます!!なんか山城に来ている雰囲気に変わりましたねー



なんか歌が書かれているみたいですね。個人的に興味がないので。。

山名城址説明版
山名城址の説明版発見!!ワクワク!
図を見ると蓮郭式の山城ような感じですね!

それではさらに奥へ本丸?目指して行ってみます。猪注意はあったけど、熊も居そうですよねー(^^;)



水戸黄門??うーん。まぁ好きな人にとってはアニメの聖地巡礼てきな感じであの話の場所だ!ってなるんですかね。


さらに進みます!


堀切のようなものが見えますねー!と思っていたら階段が現れました。これは曲輪があるってことですね!!o(^-^)o


登った先は開けた場所になっているみたいです!

ベンチがあって整備されたところに着きました!本丸かな?



本丸(山名城址石標)
石標見つけました!ということは本丸ですね!到着です!


本丸からの眺望
ちょっと雲が多い日でしたがなかなか良い景色でした!





麓まで降りてきました!山名城登城完了です!


山名城情報
| 築 城 | 1462年 |
| 城 主 | 壬生氏、結城氏、日根野氏、阿部氏、三浦氏、松平氏、加藤氏、鳥居氏 |
| 住 所 | 栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33 |
| 種 別 | 平城 |
| 廃 城 | 1871年 |
| 特 徴 | – |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 |
山名城へのアクセス
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