山城(登頂難易度「易」)

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比較的軽装(スニーカー程度)でも登れる山城

壁田城(長野県)

壁田城の感想 壁田城(へきだじょう)へ行ってきました。かなり上の方まで車で行けるので比較的登頂の楽な山城です。壁田城は高梨氏のお城として甲斐の武田信玄に対抗するために使われていたお城のようです。高梨氏は信州の中野市周辺を治めていた豪族で武田氏に対抗するために上杉謙信方に付き、また高梨政頼の時代には武田が攻めてくるまで同じ信濃の領有権を争って戦っていた村上義清と手を組んで武田信玄を撃退したこともある […]

白鳥城(富山県)

白鳥城の感想 白鳥城は、呉羽丘陵の最高峰(145.3メートル)に築かれた富山平野の中央にある山城です。昔から越中における軍事重要要塞と考えられていたみたいで、上杉謙信の進軍を恐れ、今井氏・神保氏が白鳥城を居城とし防衛ラインを張っていた様です。神保氏が上杉謙信に降伏すると城は神保氏が守ることとなりますが、一向一揆衆に西側から攻められて神保氏と白鳥城は落城してしまいます。 1586年(天正13)には富 […]

鵜殿城(三重県)

鵜殿城の感想 鵜殿城へ行って来ました。正直、鵜殿氏知りませんでした。鵜殿城はもう一人のいるかもの記事を書いているライターポンタさんに新宮城へ行くと言ったら鵜殿氏っていう海賊の城があったと思うから行ってみたら。と言われて知りました。調べてみると鵜殿氏は江戸幕府の旗本や鳥取藩の家老などになっている家系。その鵜殿氏の発祥の地が紀伊の新宮鵜殿になるようです。現在は鵜殿は三重県紀宝町になり新宮ではなくなって […]

新宮城/丹鶴城(和歌山県)

新宮城/丹鶴城の感想 和歌山県新宮市にある新宮城へ行って来ました。新宮城は特別歴史の表舞台に出てくる有名なお城ではないですが、国の指定史跡になっているくらい遺構が残っているお城で江戸時代のお城の作りを知るにはとても良いお城だと思います。平山城で街中に隣接してあるのもアクセスが良くておすすめです。新宮城は浅野忠吉が1601年築城を始めますが、一国一城令(1615年)で一時廃城。その後主君、浅野 長晟 […]

大廻小廻山城(岡山県)

大廻小廻山城の感想 『大廻小廻山城→おおさこ こさこ さんじょう』と読みます(^▽^) 先日、宇喜多氏を訪ねて備中国の城攻めをしていた時に発見しました!私の職場の同僚に『小廻(こさこ)』さんって方がいて、すごく興味と縁を感じ探し当てました。小廻さんに城を見つけたとご連絡すると『祖父がそのあたりの出身ですよ』って聞かされて、驚きと感動がありました。何かしら関係があったのかもしれませんね!  大廻小廻 […]

亀山城/沼城(岡山県)

亀山城の感想 亀山城は周りを湿地と深田に囲まれた小さな山に築かれた城で、その山のカタチが亀に似ていることから『亀山』と言われたり、周りの湿地と深田から『沼』と呼ばれていた平山城です。 築城は浦上宗景の家臣であった中山勝政(信正)とされ、元々は浦上氏に敵対する松田氏に付いていたが浦上氏に鞍替えした思われ、東は赤松氏、西は三村氏(松田氏)や毛利氏(小早川氏)の圧力が入り乱れていた時代だったと思います。 […]

長井坂城(群馬県)

長井坂上の感想 何の期待もせずに・・・ただ、今の自分の中で『長井』と言うキーワードが気になってて、たまたまWebのマップで見つけたので行ってみました。 長井坂城です!群馬県の沼田市と渋川市(長井坂城はたぶん渋川にあるんだと思いますがぁ・・・)の間ぐらいにある山城です(”◇”)ゞ 誰が築城したかは不明なのですが、上杉謙信が関東に進出した際にこの長井坂城に布陣し、北条軍と沼田の […]

大森城(福島県)

大森城の感想 大森城は福島市の少し南(福島南IC付近)にある小高い丘の城です。行ったときは朝早く気晴らしに行ってみたのですが・・・・え???伊達氏とすごく所縁のある城で、しかも城主が伊達実成だった時もあるんだなんて!?勉強不足は申し訳ないのですが、行ってみて初めて知ることもめちゃめちゃありますねぇ~(〃艸〃)ムフッ 大森城がいつ築かれたのはよくわからないみたいですね~ ただ、昔から有力国人の城だっ […]

三戸城(青森県)

三戸城の感想 三戸(さんのへ)城です。通称は留ヶ崎城とも言いますが、ここでは三戸城で行きます!三戸城はもともと家臣が放火して焼け落ちた城に、南部23代目当主 南部晴政があらためて三戸城を築かせ、勢力拡大と共に大規模な城と家臣たちの収集に利用した城だと言われています。当時の南部は二戸・七戸・八戸・九戸などに別れておりその南部一族の統一と、陸奥の雄である安東氏との争いや、大浦・九戸の南部からの独立阻止 […]

長浜城(静岡県)

長浜城の感想 長浜城は静岡県沼津市の伊豆方面にある長浜・重須(おもす)湊を含む西浦7カ村(重寺・三津・長浜・重須・木負・久連・平沢村)を守るために築かれた城の様であり、現在の海賊城になったのは当初伊豆を支配した北条早雲の時代ではなくて、三代目氏康・四代目氏政の時代に本格的な水軍強化のために築城された城ではないかと思います。二代目氏綱時代から本格的に戦うようになった里見氏(安房)にも対抗するように、 […]

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