木村城(広島県)
木村城の感想 『木村城』は、相模国を本拠地としていた桓武平氏の土肥氏であった土肥実平が源頼朝に支え、源平の合戦後土肥実平の子遠平が安芸国沼田(ぬた)荘の地頭職となり拝領し、これを譲られた養子の影平が安芸国に移住した事から始まります。土肥氏は出身の相模国早河荘から名をとって土肥氏から小早川氏と名を変えたらしく、当初は沼田川が流れる場所に『高山城』を築き本城としたが、1258年に本城だった本郷沼田庄の […]
お城の中で山間部や山頂部に築かれた山城を表示しています。
木村城の感想 『木村城』は、相模国を本拠地としていた桓武平氏の土肥氏であった土肥実平が源頼朝に支え、源平の合戦後土肥実平の子遠平が安芸国沼田(ぬた)荘の地頭職となり拝領し、これを譲られた養子の影平が安芸国に移住した事から始まります。土肥氏は出身の相模国早河荘から名をとって土肥氏から小早川氏と名を変えたらしく、当初は沼田川が流れる場所に『高山城』を築き本城としたが、1258年に本城だった本郷沼田庄の […]
高山城の感想 高山城は相模国早河荘に所領を持っていた土肥実平が、安芸国沼田荘に地頭として入部したことに始まるり、早河荘からの地名から『小早川』と名乗ったのが始まりとされたと云われています。1206年に小早川茂平が高山城を築き居城としたとされ、後に茂平の三男、小早川雅平が沼田荘を引き継ぎ本家筋とし、四男の小早川政景が都宇竹原荘へ移り住み分家として木村城を築いたとされています。のちに本家の『沼田小早川 […]
若山城 / 富田若山城 / 周防若山城の感想 『若山城』は大内氏の重臣『陶氏』の本城として1470年に、陶弘護(すえ ひろもり)が築城したものと考えられています。私が『若山城』を知ったのは陶晴賢の居城としてでした。陶氏は大内氏の一族であり、第斎周防国の守護代を務める重臣であり、陶弘護→陶興房→陶隆房(のちに主君の大内義隆を殺し陶晴賢に名を変えます)となるのですが、陶氏は大内家にとっての大きな柱の一 […]
高嶺城 / 鴻の峰城 / 鴻之峯城の感想 大内館の詰城として築かれたのが『高嶺城(『こうのみね城』と読みます)』です!高嶺城は大内館と築山館の北側にある鴻ノ峰の山頂に築かれた山城です!後で調べてみると・・・この高嶺城の周りには『兄弟山城(おとどいやま)』、『障子ヶ岳城(しょうじがだけじょう)』『古城ヶ岳城(こじょうがたけじょう)』『七尾山城』『姫山城』などの大内氏の主要拠点となる城が点在しています […]
勝山御殿 / 勝山城 / 且山城の感想 しくじりました・・・(´;ω;`)ウゥゥ且山城(勝山城)を目指しここに来たのですが・・・且山城(勝山城)ではなく『勝山御殿跡』でした!!!(´;ω;`)ウッ…勝山御殿跡且山城/も勝山城の一部らしいのですが、勝山御殿跡の北側にある山に且山城/勝山城があります。。。本当はそこに行きたかったので、今回はあえて分けて『勝山御殿跡』としてレポートさせて頂きます(`・ω […]
門司城の感想 門司城は下関(山口)と北九州(福岡)の間、関門海峡を望む北九州側にあり古城山の山頂に築かれた山城で、古くは源平の合戦時に 平 知盛 が源氏との合戦に備えて築かせた城です。その後は1559年とその2年後の1561年に起こった大友義鎮(大友宗麟)と毛利元就との合戦、『門司城の戦い』の舞台となった城として知られており、毛利元就好きの私も毛利元就を通してこの城も知りました(^▽^)/関門海峡 […]
獅子ケ城 / 獅子城 / 鹿家城の感想 1069年に松浦党の祖となる 源 久 が松浦郡宇野御厨の荘官(しょうかん)となり、源からその地名の松浦を名乗るようになり、松浦党を結成したと云われております。松浦党は古くは平安時代から戦国時代に組織された松浦氏の武士集団の連合軍で、その一族は48にも別れていたと云われています。そのことから『松浦四十八党』とも呼ばれ、現在の長崎県~佐賀県北部まで幅広く分散され […]
梶谷城の感想 ここも訪れたかった城です!松浦党の発祥の地!そして松浦党の祖となった『源 久(松浦 久)』が築いたとされるのが、この梶谷城だと云われています。『???党??? 家とか一族とかじゃないの?』と思われる方も多いでしょうが、松浦党は古くは平安時代から戦国時代に組織された松浦氏の武士集団の連合軍で、その一族は48にも別れていたと云われています。そのことから『松浦四十八党』と呼ばれた水軍武士団 […]
筑前 大野城の感想 高橋紹運の岩屋城と同じ場所に築かれている壮大な山城『大野城』があります。今から約1360年(記載時は2024年12月)前の飛鳥時代だった665年に太宰府政庁の防衛のために築かれた 『古代山城(こだいさんじょう)』の一つだと云われています。飛鳥時代の大和朝廷は『白村江の戦い』で、唐・新羅の連合軍に大敗を喫した倭国(後の日本)が大宰府防衛を目的として築いた城だと考えられています。『 […]
筑前 岩屋城の感想 平城だった高橋城から約20㎞離れた場所にある『岩屋城』です!!!念願です(´;ω;`)ウゥゥ念願の山城!!!岩屋城です!!!♡。゚.(♡´‿人´‿ ♡)゚♡ °・岩屋城は大友宗麟の重臣 立花道雪と共に筑前国(大宰府一帯)を守っていた忠臣 高橋紹運(たかはし じょううん)が、九州統一を目前とする島津軍2万に対し高橋紹運は手勢約700名で岩屋城に籠り壮絶な戦いを行い全員が討死した『 […]