十河城/十川城/西尾城(香川県)
十河城/十川城/西尾城の感想 十河(そごう)城は高松市の南部に位置しており、東側を春日川、西側を前島川に挟まれた台地の北端に位置しています。台地の微高地を利用して本丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置し、周囲には深掘りされた水堀や土塁、切岸をめぐらせて防御力を高めていた平城(微妙な平山城!?笑)だったと思われます( `ー´)ノ南北朝時代から桃山時代まで約230年の間 十河氏の居城となっていたようです […]
十河城/十川城/西尾城の感想 十河(そごう)城は高松市の南部に位置しており、東側を春日川、西側を前島川に挟まれた台地の北端に位置しています。台地の微高地を利用して本丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置し、周囲には深掘りされた水堀や土塁、切岸をめぐらせて防御力を高めていた平城(微妙な平山城!?笑)だったと思われます( `ー´)ノ南北朝時代から桃山時代まで約230年の間 十河氏の居城となっていたようです […]
桑折城/鶴館の感想 桑折(こおり)城は、鳴瀬川南岸に沿って東西に伸びる丘陵に築かれていて、城の麓を街道が通る交通の要衝の地で重要な拠点だったんだと思われます。桑折城の築城はいつだかわかっていませんが、大崎氏の四家老であった渋谷相模守が居城としていた城で、政庁というよりは軍事的な色彩が非常に強い要塞だった様です。 1588年に大崎合戦で大崎氏と伊達氏が争った際は、大崎氏の本城だった中新田城へ攻め込ん […]
黒岩元館/岩崎塞の感想 基本的には黒岩城の中になるんだと思われますが、こちらは黒岩元館(くろいわもとだて)もしくは岩崎塞(いわさきのさい)と呼ばれ、和賀氏が最初に築城した古城だったのではないかと思われる場所になります。その後、室町時代、戦国時代と経過する中で城の範囲を拡張整備していき黒岩城の案内図にある城になったと思われます。 黒岩城では遺構を確認することはほとんどできませんでしたが、こちらは堀切 […]
堅田城の感想 堅田(かただ)城は標高113mの丘陵先端部に立地し国道159号線(金沢東部環状道路)のトンネルが走っています。当時も北陸道・小原越(おはらごえ)といった主要街道や、日本海・河北潟(かほくがた)・森下(もりもと)川を見渡すことができる水陸交通の要衝に位置していたと思われます。堅田城の築城は木曽義仲が築城したとの言い伝えがある様ですが実際は不明で、ここ一帯の加賀国は一向一揆が盛んな国とし […]
平松城の感想 平松城ですが、こちらは曽於市にある平松城になります。姶良市の平松城はこちらの記事になります。この平松城は末吉町橋野の陣ノ山というところに築かれており、市のHPの説明では天正年間(1573年〜1592年)に、北郷氏の永山刑部が築城したと書かれていました。ただ、肝付氏の家臣が築城したとも言われていて正確にはわかっていないようです。 今回のこのお城訪問ですが、大雨の後に訪問してしまったので […]
茂木城 / 桔梗城の感想 茂木城は八田知家(鎌倉幕府有力御家人のひとりで鎌倉幕府十三人の合議制のメンバー)が源頼朝に下野国茂木郷の地頭職を承り、八田知家の三男であった八田知基(とももと)が現地へ遣わされ、そこで土着し八田氏→茂木氏に名を変えたと云われ、1192年頃、茂木城を築城したと云われています。茂木氏の勢力はなかなかで、この地では宇都宮氏・那須氏・佐竹氏、そしてこの茂木氏が覇権を奪い合っていま […]
赤塚城の感想 赤塚城は1456年に市川城(国府台城)から千葉自胤(ちばよりたね)この地に移った際に築いた城だと云われています。千葉氏は下総国にいたが古河公方足利成氏と手を結んだ原胤房と馬加康胤(まくわりやすたね)に伯父の千葉胤直や父親の千葉胤賢ら一族を殺されたため(市川合戦)、兄の千葉実胤と共に市川城に逃れますが、市川城も落城したため武蔵国に逃れ赤塚城を築いたようですね。扇谷上杉氏の家宰である太田 […]
弓木城の感想 弓木城は丹後国(現在の京都府与謝野町岩滝)にあり、鎌倉時代の末期頃に稲富氏が築いたことから始まったとされいるみたいですね。稲富氏は元々伊勢平氏の流れを組む山田氏だった様で、丹後国に侵攻した際にこの稲富姓を名乗り土着したようです。室町時代になり足利一門の一色氏が丹後国の守護大名となるとそれに従い家臣として務めていた様です。 戦国時代に入ると室町幕府四職筆頭格だった一色家当主の一色義定が […]
淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]
久米城の感想 久米城は佐竹氏の支流佐竹北家のお城です。築城は藤原秀郷の系譜の小野崎氏と言われていて、14世紀末から15世紀初頭にかけて建てられたのではないかと言われております。その後、佐竹義武がこの久米城に入り、山入氏と戦いますが、義武は討死となり、久米城は山入氏のお城となります。義武の父、佐竹義治、弟の義信が久米城を奪還し、義信が久米城に入ります。義信のことを「北殿」と呼んだことから義信の家系を […]