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長野県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

跡部氏館跡(長野県)

跡部氏館跡の感想 『武田信重館跡/武田信重の墓』を作ってて、めちゃめちゃ気になって『あれ?昔、どこかで見かけた武将だなぁ・・・』って過去の写真をひっくり返してみたら・・・ありました!(●^o^●) 長野県佐久市にありました『跡部氏館跡』です( `ー´)ノ 小笠原氏の嫡家であった伴野時長の次男の跡部長朝に始まる。その中心地がこの『跡部氏館』です!(=゚ω゚)ノ  跡部氏館跡は千曲川に面した跡部集落の […]

祢津城 下の城/禰津城 下の城(長野県)

祢津城下の城/祢津城下の城の感想 禰津氏(ねずし/ねつし)は滋野一族の御三家の一つになります。 禰津氏は、東信濃の名族で古くは平安末期の保元の乱(1156年)や源平合戦の文献にも名前が登場している古くからの士族になります。三家の他の士族にも興味がある方は海野氏の海野氏発祥の郷や望月氏の望月城などが記事になっておりますので読んでいただければと思います。 祢津城についてですが、祢津城は「上の城(かみの […]

海野幸義公戦死の地(長野県)

海野幸義公戦死の地の感想 長野県上田市にある海野幸義公戦死の地へ行って来ました。国道18号線沿いの「蒼久保」という交差点の脇にあります。海野幸義は「海野平の戦い(神川合戦)」で亡くなった武将になります。海野氏の当主・海野棟綱の嫡男とも言われる人物ですが棟綱の弟と言う説もあります。海野平の戦いですが、1541年に甲斐の武田信虎(信玄の父)、北信濃の村上義清、諏訪の諏訪頼重の連合軍がこの場所を含む周辺 […]

海野氏発祥の郷(長野県)

海野氏発祥の郷の感想 真田氏のルーツとも言える海野氏発祥の地が木曽義仲挙兵の地と同じ白鳥神社にありました。というか、海野氏発祥の郷を見つけて訪問したら木曽義仲挙兵の地だったという方が正しいのですが。。 まずは、滋野氏から説明していこうと思います。滋野氏は平安時代初期に朝廷から「滋野」の姓を授かった氏族で、元々は宮廷で文官などとして活躍してたとされていいます。その後信濃国の国司や牧監(朝廷の馬を育て […]

木曽義仲挙兵の地/白鳥神社(長野県)

木曽義仲挙兵の地/白鳥神社の感想 長野県東御市の白鳥神社の脇に大きく木曽義仲挙兵の地の案内がありました。この辺り一体として木曽義仲挙兵の地とされているので上田市など他の場所にも挙兵の地として案内がされているようです。 個人的にですが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で木曽義仲と言えば不器用ながらも平家を倒すために邁進し、最後は頼朝から敵視され源義経を送り込まれて、「粟津の戦い」で討たれた印象が強く残っ […]

望月城(長野県)

望月城の感想 望月城は平安時代から鎌倉時代ごろに滋野氏の支流にあたる望月氏によって築城されたようです。戦国時代に入り、武田信玄による信濃方面への侵攻により1543年に落城されたとのことです。その後、望月氏は武田家の家臣となり、望月城は武田氏の佐久支配の拠点として改修されたとのことです。武田氏滅亡後はこの記事の前に書いた伴野城と同様に1582年、天正壬午の乱の時に徳川方の依田信蕃(よだのぶしげ)に攻 […]

伴野城/野沢城(長野県)

伴野城/野沢城の感想 伴野城(とものじょう)は別名野田城とも呼ばれており、室町時代ころに拡張されてその時代に野沢城と呼ばれていたようです。伴野城は鎌倉時代初期、小笠原長清の六男である「伴野時長」によって築かれたとされており、現在残っているのは野沢城時代の本丸跡とのことです。伴野城は室町・戦国時代に城郭(二の丸・三の丸等)へと拡張され周囲に濠と土居を巡らせ、南側に正門、西南の高台に物見櫓があったと説 […]

平賀氏城跡(長野県)

平賀氏城跡の感想 平賀氏城跡は鎌倉時代に平賀義信が築城したと言われているお城になります。その後、平賀氏が代々このお城を居城として戦国時代まで使われていたとのことです。平賀氏は新羅三郎義光(源義光)の子、盛義が祖とされており、長野県佐久市の平賀地域に所領をもらったことで平賀を名乗るようになります。ちなみに新羅三郎義光(源義光)は武田信玄など武田氏の祖でもありますので、平賀氏と武田氏は同じ祖先を持つと […]

内山城(長野県)

内山城の感想 内山城は永世年間(1504年ごろ)に大井美作入道玄岑(おおいみまさかのにゅうどうげんしん)が築城したとされています。1546年に武田晴信(信玄)の佐久侵攻により落城し、その後は武田家臣の小山田 虎満 / 小山田 昌辰(おやまだ とらみつ / おやまだ まさたつ)が城代として入ったお城になります。内山城はその後、1582年に武田氏が滅んだことにより翌1583年に廃城になったようです。そ […]

笠原新三郎(清繁)首塚(長野県)

笠原新三郎(清繁)首塚の感想 笠原新三郎(清繁)は志賀城の城主で武田晴信(信玄)との戦いで敗れた武将です。佐久地域を収めたい信玄が1546年に志賀城を攻めて、笠原新三郎は関東管領だった上杉憲政に援軍を依頼しますが、武田軍は援軍を志賀城に近づける前に碓氷峠の辺りで打ち破ります。その時に討ち取った敵将と敵兵の首を武田晴信(信玄)は志賀城の周りにおよそ3000も並べたと言われております。それから、程なく […]

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