高天神城(静岡県)
高天神城の感想 高天神城へ行ってきました!静岡県で行きたかったお城の一つです。高天神城は武田信玄・勝頼親子の徳川・織田との戦いの中心になったお城。元々は今川氏の支城であったが、今川氏が滅亡し取り合いになり、徳川が援軍を送れずに武田に攻められて高天神城の城主であった小笠原氏が城を開城し武田側のお城となりました。この時に難攻不落の高天神城を開城させたのは武田信玄ではなく息子の勝頼でした。武田を滅ぼした […]
高天神城の感想 高天神城へ行ってきました!静岡県で行きたかったお城の一つです。高天神城は武田信玄・勝頼親子の徳川・織田との戦いの中心になったお城。元々は今川氏の支城であったが、今川氏が滅亡し取り合いになり、徳川が援軍を送れずに武田に攻められて高天神城の城主であった小笠原氏が城を開城し武田側のお城となりました。この時に難攻不落の高天神城を開城させたのは武田信玄ではなく息子の勝頼でした。武田を滅ぼした […]
信玄公が撃たれた場所の感想 最強武田軍(武田信玄)が織田信奈が包囲網のひとつ『西上作戦』の最中、この徳川軍の野田城を攻めているときに、武田信玄が野田城の菅沼 定盈の家臣だった鳥居三左衛門に狙撃され、即死とはならなかったもの致命傷となり、後に武田信玄は没し・・・西上作戦が断念させられた伝説のある場所です。 野田城攻めの際に武田信玄は夜な夜な聞こえてくる笛の音に興味を持ったとされています。笛の音は村松 […]
川中島古戦場の感想 上杉謙信 対 武田信玄の戦いで有名な川中島古戦場へ行ってきました。実際の戦いがあった場所ではないですし、毎回同じ場所で戦っていたわけでもないのでこの辺りで戦っていたと思って巡るのが良いのかも知れません。一応歴史をおさらいしておくと、川中島の戦いは計5回12年にわたった戦で、第1次合戦:1553年第2次合戦:1555年第3次合戦:1557年第4次合戦:1561年第5次合戦:156 […]
飯山城の感想 今回は長野県北東部にある飯山市のお城、飯山城に行ってきました。飯山城は室町時代頃に泉弥七郎が築城したお城ですが、戦国時代に入り、上杉謙信が信濃に進行してくる武田信玄に対抗するための重要な拠点として改修整備したお城でもあります。武田信玄の幾度かの攻めにも飯山城は落ちることは無かったと伝えられています。確かに実際に行ってみると、平山城なのですが、千曲川などの河川が自然の堀の代わりをしてい […]
川窪詮秋 / 土屋直規 / 望月重氏 の墓の感想 長篠・設楽原の古戦場から向かいの小高い丘の途中、常林寺の裏手に一般の墓地があり、その一般の方の墓地の手前に左手にそれた小脇の道を進んでいくと、川窪詮秋・土屋直規・望月重氏の墓があります。 『川窪詮秋』はよくわかりません!(´;ω;`)ウゥゥ川窪氏は河窪氏とも云うらしく、甲斐河窪村を領し『河窪の城山』として知られる丘に城郭を構えていた一族が川窪(河窪 […]
横田綱松(康景)の墓の感想 内藤昌豊の墓の裏側に、『横田綱松之墓』があります。横田氏と云えば、武田二十四将のひとり『横田高松(よこた たかとし)←どっちが苗字なのかわかり辛い!?』の長男だと思われますが、横田高松が村上義清との戦いの際に武田信玄の最大の敗北『砥石崩れ』の際に殿(しんがり)となり討ち死にしていしまいます。横田高松が討死したため同じ足軽大将であった同じく猛将の原虎胤の息子が横田氏を継ぐ […]
内藤昌豊の墓の感想 新城市立 東郷中こども園の近く、武田勝頼がこの場所で戦の指揮をしたといわれるところに、『内藤修理亮昌豊の墓』があります。 内藤昌豊は武田二十四将のひとりであり武田四天王のひとりでもあります。内藤昌豊は武田信虎の重臣であった工藤虎豊の次男として誕生したみたいです。工藤虎豊が武田信虎に反乱を起こしたが敗北し北条早雲を頼って逃げたようです。その後、武田信玄の時代になると「工藤源左衛門 […]
馬場信春(信房)の墓の感想 馬場信春(信房)は長篠・設楽原の戦いで敗れた武田勝頼を逃すため殿(しんがり)となり討ち死した場所から約3㎞・・・長篠城の近くに『馬場信春(信房)の墓』があります。案内板によると、殿をして討ち死にした馬場信春(信房)の首はここ『馬場美濃守信房の墓』に埋められたとされているようですね。 馬場信春(信房)は武田信虎→武田信玄→武田勝頼の三代に仕え、武田二十四将でもあり武田四天 […]
馬場信春(信房)・勝行の墓の感想 豊川沿いの国道257号線を北上し三差路を左路線の豊川新城線を進むと左手側(道沿い)に、『馬場信春(信房)・馬場勝行』の墓があります。(馬場信春の墓(首を埋葬したと伝えられている)場所はこちら)馬場信春(信房)は武田信虎→武田信玄→武田勝頼の三代にわたって仕えた重臣で、武田二十四将、及び、武田四天王のひとりとされた名将っていいでしょうね!馬場信春(信房)は武田信虎の […]
山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地の感想 山本信供/勘助(二代目)/勘蔵の墓から約4㎞豊川沿いの愛知県新城市大海字下林まで北上したところに、『山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地』があります。脇道にそれた住宅地の中にひっそりとありましたが、この豊川沿いを更に北上したところに、馬場信春の討死した場所があることから、私個人的には長篠・設楽原の合戦に負けた武田勝頼が撤退したルートではないかと思 […]