山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地の感想
山本信供/勘助(二代目)/勘蔵の墓から約4㎞豊川沿いの愛知県新城市大海字下林まで北上したところに、『山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地』があります。
脇道にそれた住宅地の中にひっそりとありましたが、この豊川沿いを更に北上したところに、馬場信春の討死した場所があることから、私個人的には長篠・設楽原の合戦に負けた武田勝頼が撤退したルートではないかと思っています。武田勝頼を逃すために山本信供や馬場信春などの武将が盾となって討死していったんじゃないかと思っています。
山本勘助の息子、山本信供(勘助(二代目)・勘蔵)が討死した後は、山本信供の後見であった山本十左衛門尉が山本家を継ぐこととなり、山本家も後紆余曲折ありながらも子孫が江戸時代を生き続けたようです。
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山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地情報
年 代 | 1575年 |
住 所 | 新城市大海字下林38 |
種 別 | 史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 無し |
山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地へのアクセス
山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地レビュー
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