一関城/釣山城/高崎城/一関要害(岩手県)
一関城の感想 伝承としては平安時代に坂上田村麻呂が築城したとも言われているようです。ただ一般的に確認できている城主としては、葛西氏の家臣だった小野寺伊賀守道照が天正年間(1573〜1591年)に築城したとされています。その後、奥州仕置によって葛西氏が滅亡すると、木村吉清・高清親子が城主となります。そして1604年に伊達政宗が叔父である留守政景(るすまさかげ)を城主にし、寛文年間(1661〜1672 […]
一関城の感想 伝承としては平安時代に坂上田村麻呂が築城したとも言われているようです。ただ一般的に確認できている城主としては、葛西氏の家臣だった小野寺伊賀守道照が天正年間(1573〜1591年)に築城したとされています。その後、奥州仕置によって葛西氏が滅亡すると、木村吉清・高清親子が城主となります。そして1604年に伊達政宗が叔父である留守政景(るすまさかげ)を城主にし、寛文年間(1661〜1672 […]
前沢城の感想 前澤城は三田将監(みたしょうげん)によって鎌倉時代に築城されたと書いてありました。正直、三田将監が何者なのかよくわからないですが、葛西氏の家臣だった柏山氏の家臣、三田氏のお城になります。戦国時代になり、1588年、三田義広が大崎氏に内通していると疑われて、柏山氏が前沢城を包囲し前沢城は落城。三田義弘も自害して三田氏は滅亡したようです。 その後は、1590年の奥州仕置によって、伊達氏の […]
水沢城/水沢要害の感想 水沢城は1057年に源頼義によって築かれたとも言われているみたいですが、築城は不明のようです。葛西氏の家臣だった、蜂谷氏、佐々木氏、柏山氏などのお城とも言われているそうです。室町時代、戦国時代に葛西氏の配下にあったことは確実なようですね。1591年に奥州仕置で葛西氏が改易されると、木村吉清の領地となり水沢城には家臣だった松田源太郎左衛門が城主になったとのことです。葛西・大崎 […]
金ヶ崎城/金ヶ崎要害の感想 平安時代に坂上田村麻呂が館を築いたという伝説もある岩手県の金ヶ崎城です!基本的に現在の遺構としては1591年に 伊達領にこの地がなった時に南部氏の領地と接しているために金ヶ崎要害として作られたとされているみたいです。その後、桑折氏や留守氏が金ヶ崎城に入り、1644年に伊達一族の大町氏が明治維新まで城主となったようです。 現在の金ヶ崎城ですが、概ね城の曲輪や土塁などの遺構 […]
岩谷堂城の感想 岩谷堂城(いわやどうじょう)は平安時代にこの場所に藤原経清・清衡が館を構えたのが始まりとされているみたいです。 近くに豊田館があり、そこが藤原経清・清衡の居城と言われてますが、どういう関係なんですかね?豊田館は平城っぽいのでこちらが詰城なのか。時代的に平安時代ってそんなことしてたのか?うーん。謎ですねー 実際に城として使われていたのがわかっているのは、南北朝時代に葛西氏の一族だった […]
仙北平野・大崎平野を東に流れる江合川沿いの篦岳丘陵(ののだけきゅうりょう)に築かれているのが涌谷(わくや)城です!!!涌谷城は篦岳丘陵の丘陵上にあり標高約20mの舌状地を城内としています!元々は大崎氏の家臣だった涌谷氏の城だった様ですが、1590年年に豊臣秀吉の奥州仕置きにより大崎氏や葛西氏は改易となってしまいます。その後、大崎葛西一揆を経て伊達氏の所領再編により、伊達政宗の家臣である亘理(わたり […]
岩出山城/岩手沢城/岩出山要害/臥牛城の感想 岩出山城は伊達政宗が米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなり入城した城として有名です。もともと岩出山城は岩手沢城と呼ばれており、足利一門であり奥州探題(おうしゅうたんだい)であった大崎氏の家臣氏家氏の城だった様で、伊達政宗が移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康が岩手沢城に約40日滞在して、城の縄張りや改修工事を行った後で伊達政宗に引き渡 […]
桑折西山城の感想 桑折西山城は、城郭考古学者の千田先生が説明されている動画を見て、行きたいと思っていた山城でした。行ってみた感想はとにかく大きい。規模の大きさに驚きました。国の指定史跡になっている面積だけで東京ドーム約6個分。高低差もあるのでもっと広く感じます。そんな桑折西山城の築城主は伊達稙宗(たねむね)で1532年に築いたお城になります。伊達稙宗は伊達政宗の曾祖父にあたり、伊達氏の本拠は米沢に […]
三春城の感想 三春城は戦国武将田村氏の居城であり、築城されたのはいつだかわかっていません。田村氏はその昔、蝦夷討伐軍で活躍した坂上田村麻呂が祖となりこの田村郡一帯を支配してきた一族とされています。 三春城は三春町の中心部にある標高400mぐらいの丘陵地に築かれた山城です。本丸を中心に二の丸と三の丸が南西の尾根上にあって、中腹にはかつての家臣団の屋敷があったようです。石垣跡も残っておりなかなか魅力的 […]
人取橋古戦場の感想 青森から東京まで続く国道4号線沿い、福島県本宮市の東流する瀬戸川流域のかつて太田ともいわれた場所には、佐竹・蘆名氏らの連合軍と伊達軍との激戦が行われた『人取橋古戦場』があります。 人取橋古戦場とは、伊達政宗が畠山義継(二本松城城主)によって父である伊達輝宗が拉致され国境を超える場所で政宗が阻止・殺害(両名を)し、『父親の弔い合戦』として二本松城を攻撃したのをきっかけに、勢力拡大 […]