岡部六弥太忠澄の墓(埼玉県)
岡部六弥太忠澄の墓画像ギャラリー 岡部六弥太忠澄は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武蔵武士です。岡部氏は武蔵七党のひとつ猪俣党に属し、祖父の猪俣六太夫忠綱が岡部に居住して岡部を称したことにはじまると云われてます。岡部六弥太忠澄は源義朝(源頼朝の父親)の家人として保元・平治の乱に活躍したみたいです。源平盛衰記には『待賢門(たいけんもん)の戦い』で熊谷直実、斎藤実盛、猪俣小平六など源氏十七騎のひ […]
武将や大名、もしくはその家臣など関係者にまつわるお墓(廟)を表示しています。
岡部六弥太忠澄の墓画像ギャラリー 岡部六弥太忠澄は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武蔵武士です。岡部氏は武蔵七党のひとつ猪俣党に属し、祖父の猪俣六太夫忠綱が岡部に居住して岡部を称したことにはじまると云われてます。岡部六弥太忠澄は源義朝(源頼朝の父親)の家人として保元・平治の乱に活躍したみたいです。源平盛衰記には『待賢門(たいけんもん)の戦い』で熊谷直実、斎藤実盛、猪俣小平六など源氏十七騎のひ […]
安田義定一族之墓/安田氏五輪塔付宝篋印塔の感想 安田義定館跡から約1.8km先に『安田義定一族之墓』があります( `ー´)ノ 安田義定館跡にも記載しましたが、安田義定の嫡男の安田義資は越後守に任じられるなど、父子ともども長く鎌倉幕府を支えた安田一族でしたが、建1193年に安田義資が艶書を女房の聴聞所へ投げ入れたと鎌倉幕府から言い掛かりをつけられ安田義資は梟首させられ、安田義定も縁坐で所領を没収され […]
武田信廉(武田信綱)の墓の感想 どっちなんだろう・・・マップ上では『武田信綱(武田信廉)の墓』とあるのですが、個人的には信綱よりも信廉かと思いますので逆に表記しました。(入道した時には信綱なんで信綱が前に来ているんですかね???) 武田信廉は信虎の6男であり、兄の武田信玄が父の信虎を駿河国に追放後、諏訪国に侵攻し支配をするのですが、諏訪国統治を確立しつつあった頃、武田方に謀反を起こした諏訪西方衆( […]
武田信重館跡/武田信重の墓の感想 武田信重は甲斐源氏第14代目当主であり武田氏第11代目当主でもあります。武田信重の父をたどっていくと父:信満→信春→信成→武田信武(本人は甲斐武田の当主、弟が初代安芸武田氏の武田氏信)に辿り着きます(^◇^) 武田信重が誕生したころの甲斐国は管理下に置く鎌倉府の支配国のひとつでしたが、京都に置く室町幕府で何事も決定される複雑な国運営をしていた様です。室町幕府側は逸 […]
奈胡十郎義行の墓の感想 奈胡十郎義行は1160年頃甲斐国奈胡荘を拠点とした武将で、甲斐源氏清光の十男として生まれたと云われています。甲斐源氏といえば1130年に源義清(武田冠者)と源清光(逸見冠者)の両名は常陸国より甲斐国に配流されましたが、甲斐国で各自が勢力を伸ばし拡大していきます。源清光は官牧の発達していた逸見郷へ進出し源清光の長男の光長が『逸見氏』を名乗ることとなります。。。その十男目の義行 […]
海野幸義公戦死の地の感想 長野県上田市にある海野幸義公戦死の地へ行って来ました。国道18号線沿いの「蒼久保」という交差点の脇にあります。海野幸義は「海野平の戦い(神川合戦)」で亡くなった武将になります。海野氏の当主・海野棟綱の嫡男とも言われる人物ですが棟綱の弟と言う説もあります。海野平の戦いですが、1541年に甲斐の武田信虎(信玄の父)、北信濃の村上義清、諏訪の諏訪頼重の連合軍がこの場所を含む周辺 […]
武田信武・武田勝頼之墓の感想 本当にたまたま見つけてブラリって入った史跡ですが・・・結果的には私の中でかなりの衝撃的な出会いになりました!!!(`・ω・´)ゞ 甲府市内にある法泉寺に『武田信武・武田勝頼之墓』がありました!!! 武田信武!知らないので調べてみました!\(゜ロ\)(/ロ゜)/甲斐源氏第10代目当主であり武田氏7代目当主でもあります(因みに・・・武田信玄の父親の武田信虎は甲斐源氏第18 […]
椿城跡五輪塔群/大井氏一族の墓の感想 もう一つ!!!( `ー´)ノ 椿城内には『椿城跡五輪塔群/大井氏一族の墓』もありました♪ 大井氏の大井の方は武田信虎の正室となり武田信玄を生みます(*´ω`*)大井氏は後の信濃守となる小笠原遠光の小笠原氏の流れを組む一族みたいです。椿城は小笠原氏・秋山氏などが居城とし大井氏が居城としたみたいです。城内に大井氏一族の墓があり地元の子供たちが紹介してくれています( […]
椿城跡五輪塔群/秋山氏一族の墓の感想 椿城(上野城)の本丸に椿城跡五輪塔群/秋山氏一族の墓がありました(;゚Д゚) 秋山氏は甲斐源氏武田氏の分流らしく、西郡へ拠った加賀美遠光の嫡男の光朝を祖とし巨摩郡秋山を本貫とし秋山氏を名乗ったが始まりとされている様です。治承・寿永の乱の際に甲斐源氏の武田義信に率いられ源頼朝の挙兵に参加しています。が、武田有義と小笠原氏そして秋山氏は平家側に近く秋山光朝は平重盛 […]
武田晴信室三条氏墓(たけだはるのぶしつさんじょうしのはか)の感想 武田晴信(信玄)の継室(けいしつ)三条の方のお墓です。継室とは相手の正室が死別や離婚を受けての当主の正式な再婚者として嫁いできた方の事を云い、武田信玄は当初、扇谷上杉氏の上杉朝興の娘と結婚し『上杉の方』がいたのですが早くに亡くなってしまい、その後に嫁いできたのが『三条の方』です。武田信玄と云えば『諏訪御寮人』が有名ですが、三条の方も […]