入場料無料

1/37ページ
城内や天守に入るのが無料のお城 ※場内にある博物館などお城と関係ないものが有料の場合がございます。

鞆城(広島県)

鞆城の感想 『鞆城(ともじょう)』は現在の広島県福山市にある『鞆の浦』と云うめちゃくちゃ雰囲気のいい港町の面影を残した場所にあります。私は広島出身なのですが『鞆の浦』と云えば昔から古き良き港町のイメージがあり、今でも是非皆様に行って欲しいスポットのひとつです!!!(^▽^)/ 『鞆城』を私が知ったのは、戦国時代、織田信長に京を追い出され足利義昭が毛利氏を頼って辿り着いた場所がここ鞆の浦と云われてい […]

竹原小早川家墓地(広島県)

竹原小早川家墓地の感想 竹原小早川家の墓地が手島屋敷跡のすぐ近くにありました( `ー´)ノ そこには『竹原小早川家墓地』の案内板があり、それによると・・・『宝篋印塔約10基、五輪塔約20基ほどある様です。あらためて木村城の西北の方角にあたる場所にあり竹原小早川家の墓所として間違いないようです。。。殆どが中世末期の様式らしく、墓所から一段高い尾根上にある二基の宝篋印塔は、小早川隆景(毛利元就の三男) […]

手島屋敷跡(広島県)

手島屋敷跡の感想 木村城のすぐ近くに『手島屋敷跡』があります♪『手島屋敷』はかって『西殿(にしんどん)屋敷』と呼ばれており、竹原小早川家の居館であったようです。(戦になり籠城する時は木村城を詰城として使っていたんじゃないかと思います) 竹原小早川氏の当主となった小早川隆景が、1550年に本家の沼田小早川家も継ぐことになり、沼田小早川家の本城の高山城に入城した際に家臣の手島氏がこの屋敷を賜り受け継い […]

木村城(広島県)

木村城の感想 『木村城』は、相模国を本拠地としていた桓武平氏の土肥氏であった土肥実平が源頼朝に支え、源平の合戦後土肥実平の子遠平が安芸国沼田(ぬた)荘の地頭職となり拝領し、これを譲られた養子の影平が安芸国に移住した事から始まります。土肥氏は出身の相模国早河荘から名をとって土肥氏から小早川氏と名を変えたらしく、当初は沼田川が流れる場所に『高山城』を築き本城としたが、1258年に本城だった本郷沼田庄の […]

高山城(広島県)

高山城の感想 高山城は相模国早河荘に所領を持っていた土肥実平が、安芸国沼田荘に地頭として入部したことに始まるり、早河荘からの地名から『小早川』と名乗ったのが始まりとされたと云われています。1206年に小早川茂平が高山城を築き居城としたとされ、後に茂平の三男、小早川雅平が沼田荘を引き継ぎ本家筋とし、四男の小早川政景が都宇竹原荘へ移り住み分家として木村城を築いたとされています。のちに本家の『沼田小早川 […]

桜尾城(広島県)

桜尾城の感想 桜尾城が築城された当時は三方を海に囲まれた複郭式の海城だったと云われています。調べてみると江戸時代までは手付かずの状況であったらしいのですが、近代になってから埋立地が広がり住宅地も整備され、面影も何も無くなっています・・・(´;ω;`)ウゥゥ 桜尾城は1221年に後鳥羽上皇と鎌倉幕府の執権だった北条義時との争いが起きた承久の乱(じょうきゅうのらん)後に、鎌倉幕府の要人だった藤原親実が […]

陶晴賢の墓(広島県)

陶晴賢の墓の感想 陶晴賢は、周防国・長門国を中心に石見国、豊前国、筑前国を支配した大内氏の重臣を代々務めている大内氏の一族で、父である陶興房(実は養父)の跡を継ぎ、大内義隆の重臣として大内家の屋台骨(特に軍事方面)を支えた武将です。当時は陶隆房(大内義隆から一字もらい受けて)と名乗っていました。 主君である大内義隆が出雲遠征(尼子討伐)に失敗すると、大内義隆は軍事面に無関心となり文化や宴などに没頭 […]

山崎興盛自刃之地(山口県)

山崎興盛自刃之地の感想 須々万沼城 (すすまぬまじょう)のすぐ近くに須々万沼城 の城番だった山崎興盛の『山崎興盛自刃之地』があります。山崎興盛は大内氏の家臣であり、後に陶氏の家臣になった人物だと思われますが詳しくはわかりません。名前に『興』の文字があることから大内義興(大内義隆の父親)との関係が強いものだと思われます。 須々万沼城 の籠城戦で山崎興盛親子、江良賢宣、宮川伊豆守らと毛利軍と […]

須々万沼城 / 沼城(山口県)

須々万沼城の感想 須々万沼城 (すすまぬまじょう)は、毛利元就が厳島の戦いで陶晴賢(大内方)に勝利し、防長二か国を本格的に侵攻した際(防長経略)に、鞍掛山城(くらかけやまじょう)の戦い(鞍掛合戦)に続く激戦となった場所がこの須々万沼城 (すすまぬまじょう)です!( `ー´)ノ 須々万沼城 は三方を沼地に囲まれた城で、見た目よりもかなり攻めずらい城だった様です。大内氏の […]

若山城 / 富田若山城 / 周防若山城(山口県)

若山城 / 富田若山城 / 周防若山城の感想 『若山城』は大内氏の重臣『陶氏』の本城として1470年に、陶弘護(すえ ひろもり)が築城したものと考えられています。私が『若山城』を知ったのは陶晴賢の居城としてでした。陶氏は大内氏の一族であり、第斎周防国の守護代を務める重臣であり、陶弘護→陶興房→陶隆房(のちに主君の大内義隆を殺し陶晴賢に名を変えます)となるのですが、陶氏は大内家にとっての大きな柱の一 […]

1 37