井戸

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井戸の残っているお城をまとめております。 お城の遺構として井戸や井戸跡(埋められている)などのあるお城をまとめております。籠城戦では必須となる水の確保として井戸は重要なものでした。

池和田城(千葉県)

池和田城の感想 鎌倉時代の名門、三浦氏の一族がこの地に移った和田正治が築いたと云われています。池和田の地名も和田氏に由来するもんなのかなぁ???(=゚ω゚)ノ 戦国時代に入ると和田氏ではなく多賀氏が池和田城の城主となり、常に里見氏と行動を共にした様ですね。池和田城主多賀高明は里見義堯(さとみよしたか)に従軍し第一次国府台合戦・第二次国府台合戦に参戦。結果はすべての合戦に惨敗し勝ちに転じた後北条氏は […]

鶴舞城 / 鶴舞城本丸之跡 / 鶴舞藩庁跡(千葉県)

鶴舞城 / 鶴舞城本丸之跡 / 鶴舞藩庁跡の感想 大多喜街道(国道号線)から少し外れた鶴舞看護専門学校への道を進むと舞鶴城/舞鶴藩庁跡があります。舞鶴城/舞鶴藩庁跡は意外と築城?は浅く明治元年に入ってからで、浜松城6万石の城主だった井上正直公が、 1868年(明治元年) に徳川家移封に伴い鶴舞へ転封となり築城したと云われています。舞鶴城/舞鶴藩庁跡は養老川の支流である平蔵川の 右岸の台地上に位置し […]

万木城/万喜城/満喜城/万騎城(千葉県)

万木城/万喜城/満喜城/万騎城の感想 万木城/万喜城(満喜城)は摂津国から上総国へ入国した土岐時政築いたとされていますが、正確には時期も築城者もわかっていない様です。表舞台に出てくるのが土岐為頼(ときためより)の時で、土岐為頼は隣国の巨大勢力安房国の里見義堯(さとみよしたか)と婚姻関係を結んで勢力拡大を図りますが、第二次国府台合戦で里見氏が敗北すると、後北条に上総国も圧力が掛けられ里見氏から鞍替え […]

升方城/舛方城(富山県)

升方城/舛方城の感想 升方城は椎名氏が松倉城の支城として築城したお城とされています。椎名氏は越中の守護代として室町時代あたりに来たと思われます。同じ時代に守護代として神保氏も越中に来ており、戦国時代にもなると両者の間で越中の領国支配で争いが加熱して行きます。武田や一向宗を味方につけた神保氏と上杉を味方に付けた椎名氏で争いますが、神保氏の勢力が弱まると椎名氏は武田氏を味方につけて上杉に反旗を翻します […]

若江城(大阪府)

若江城の感想 若江城の築城は不明ですが、1460年に京都を追われた畠山義就(はたけやまよしなり)若江城に入城したと文献にあるので、その頃には畠山氏関係の城として築かれていたんじゃないかと思います。(*´ω`*) この頃、応仁の乱の引き金となる畠山氏の家督争いが始まり、畠山政長が畠山義就の若江城を攻めると畠山義就は敗れ嶽山城(だけやまじょう)に逃げ去ると、若江城に畠山政長が入城します。たぶん若江城が […]

私部城 / 交野城(大阪府)

私部城 / 交野城の感想 私部城は『さきのべ』城と読むようですね~難しい~(*´ω`*) 文献か何かに『サキノヘノ城』と呼ばれる城が出てくるようです。また、この地点は交通の要所から『片野』と呼ばれていた様で、片野から『交野』となり、交野(かたの)城とも呼ばれていいた様ですね( ̄▽ ̄)築城は1558年~1560年頃だと云われ安見右近によって築城された様です。安見氏は元々畠山氏の家臣でしたが、畠山氏が […]

大多喜城(千葉県)

大多喜城の感想 大多喜城に行ってきました! 築城は真里谷(武田)信清が築城したお城で、里見氏が安房の統一を図るために苦心したお城で、私は正木時茂さんのお城だと思って期待していきましたが、地元は本多忠勝さんのお城として盛り上がっていました。その理由は・・・あとあと伝えるとして・・・ 大多喜城は元々『小多喜城』として築かれていたとされ、元々は『根古屋城/大多喜根古屋城』のひとつだった城(砦)が『小多喜 […]

伊作城/亀丸城(鹿児島県)

伊作城/亀丸城の感想 伊作城(いざくじょう)と読みます。伊作城は別名中山城とも呼ばれるみたいですが、伊作城は各曲輪を「城」と呼ぶ山城で、本丸を亀丸城、他にも御仮屋城・山之城・蔵之城・東之城・西之城・花見城などと呼ばれる曲輪があります。山城としての規模もかなりのものですが、曲輪一つ一つが独立しているお城くらいに堀切が深く広いのでこのような呼び方にしたのかな?なんて思ったりします。 伊作城の歴史ですが […]

平松城(鹿児島県)

平松城の感想 平松城は蒲生氏が敗れた後に島津義弘が岩剣城の在番を任されて入りますが、岩剣城が山城で普段の生活に使うには厳しい場所にあったために、麓にこの平松城を建てました。お城の築城としては1554年ごろかと思われますが、島津義弘が平松城(屋形)を居館としたのは1605年ごろから1615年ごろまでとされています。1607年に島津義弘の夫人がこの場所で亡くなられているとのことです。島津義弘はその後、 […]

鳥取城 / 久松城 / 久松山城(鳥取城)

鳥取城 / 久松城 / 久松山城の感想 鳥取城は1532年~1555年頃に山名氏によって築かれたと云われ、標高263mの久松山の山頂(って云うよりは山全体!?)に築かれた山城です。鳥取城って云いますが、久松山に城が築かれたことから『久松城(きゅうしょうじょう)』『久松山城(きゅうしょうざんじょう)』という別名もあります。ただ、今の鳥取城は江戸時代に入ってから池田輝政の孫の池田光政が鳥取藩32万石の […]

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