土塁

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土塁のあるお城

築山館 / 築山御殿(山口県)

築山館 / 築山御殿の感想 築山館/築山御殿はこは大内家28代当主の大内教弘(のりひろ)の頃に建てられた館みたいです。築山館は大内氏の迎賓館的な館とされていたみたいで、庭園を備えて80間四方を土塁で囲み、その外面は大石をたたみあげられていたと云われています。中世の連歌師宗祇は『池はうみこずゑは夏の深山かな』と詠まれており、この句からかっては豪華絢爛な庭園があった様子が想像できますね。。。築山館は大 […]

大内氏館跡(山口県)

大内氏館跡の感想 『大内氏館跡』は室町時代~戦国時代に周防国・長門国などを治めた守護大名・大内氏の居館であり、現在は『龍福寺』となっており『大内氏遺跡 附 凌雲寺跡』として国指定史跡となっており、龍福寺の本堂が国指定重要文化財となる貴重な場所となっています。 西国の雄となった名将だった大内家24代当主 大内弘世が同族争いを制し山口に大内氏の本拠地を定め大内館を建てたと云われています。大内弘世は京の […]

松ヶ崎城(千葉県)

松ヶ崎城の感想 松ヶ崎城は誰が作ったのかよくわかっていないお城とのことですが、遺構としては非常に多く残っていて見どころのあるお城でした!お城も結構広いのでそれなりにきちんとした屋敷が立っていて居城として使用されていたのではないかと思います。砦とか出城などではなさそうな気がしますが、これほどの広さがあり遺構の残っているお城でもわからないのは残念です。いつか詳細が書かれた書物など出てきたら嬉しいです。 […]

前ヶ崎城(千葉県)

前ヶ崎城の感想 前ヶ崎城は小金城の城主だった高城氏のお城と言われており、大谷口城(小金城)の出城として築かれたみたいです。高城氏の居城だった小金城の支城としての役割を担っていたとのことです。他の周辺の城跡同様に公園として整備されていて、現在の公園となっている部分は白の本丸あたりになるようです。見どころとしては土塁や堀跡も残っていて小さいながらも遺構が見られる良いお城でした! 前ヶ崎城画像ギャラリー […]

幸谷城/幸谷城館(千葉県)

幸谷城/幸谷城館の感想 幸谷城(こうやじょう)は狐山という場所に築かれたお城で、現在は一般の方の土地になっている場所を開放してくれているところのようです。とてもありがたいです。そのため、特に案内も無く、地元の方でないと人の家に入るような場所が入り口となっており入って良い場所なのか躊躇する感じです。私はぐるりと一周して意を決して入ってみたら合ってました。幸谷城は発掘調査としては近世、戦国時代くらいの […]

増尾城(千葉県)

増尾城の感想 増尾城は小金城の城主、高城氏の家臣、平川若狭守が城主だったと言われているお城になります。平川若狭守がどんな人だったのかはよくわかりませんが、戦国時代後期で後北条氏滅亡まで使われていたお城なのではないかと推測されます。増尾城も他の柏市の城跡と同様公園として整備されており、土塁や曲輪、空堀などが残っています。柏市、松戸市、流山市の城跡は公園として整備されているところが多く、正直有名ではな […]

根木内城(千葉県)

根木内城の感想 根木内城はよく国道6号線を走っているときにすぐ脇にある城跡の公園なので気にはなっていました。ただ、なかなか誰のお城か知らなかったので興味が湧かず何年も通り過ぎるだけになっており、今回は松戸、柏、流山などのお城を巡ろうと決めてやっと訪問してきました!結果としては良いお城でした!かつての関東平野の湿地帯を活かした沼城で今も城の周囲は湿地が残っています。また、公園として整備されながらも空 […]

小金城(千葉県)

小金城の感想 小金城は高城氏のお城で、高城氏は諸説ありますが、千葉氏の流れの家系で、原氏の家臣として活躍しこの小金城のある千葉の東葛地域を所領するようになります。高城氏は、原氏に支えた後に、後北条氏と豊臣秀吉の戦いで北条氏が滅亡すると同時に高城氏も滅亡し小金城は1593年に廃城となりました。高城胤則は小田原城でなくなりますが、子の高城胤重が関東を徳川が収めるようになると旗本として召し抱えられたとの […]

花輪城(千葉県)

花輪城の感想 花輪城は平本定虎のお城と言われており、小金城の城主だった高城氏の家臣だったとのことです。平本定虎がどんな武将だったかはよくわからないですが、平本氏は高城氏の支流の家系になるようです。花輪城は小金城の支城だったと思われていて、小金城の高城氏の家柄出自など詳細はあまりわかっていないようですが、千葉氏の系譜で原氏が千葉氏宗家を倒してこの千葉県西部に進出する際に高城氏も従うようになったのでは […]

筑前 大野城(福岡県)

筑前 大野城の感想 高橋紹運の岩屋城と同じ場所に築かれている壮大な山城『大野城』があります。今から約1360年(記載時は2024年12月)前の飛鳥時代だった665年に太宰府政庁の防衛のために築かれた 『古代山城(こだいさんじょう)』の一つだと云われています。飛鳥時代の大和朝廷は『白村江の戦い』で、唐・新羅の連合軍に大敗を喫した倭国(後の日本)が大宰府防衛を目的として築いた城だと考えられています。『 […]

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