土塁

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上野館(宮城県)

上野館の感想 上野館は案内板によると『近世仙台藩の上級武士茂庭氏の屋敷跡である。寛永8(1631)年茂庭周防良元の下屋敷として築かれ、慶安4(1651)年73才で隠居し千石城の三ノ丸(何で三ノ丸???笑笑)から移った。その後、子周防定元は明暦3(1657)年作事の完成を待って正式に居館として移住し、以後幕末までの約200年間この地が松山統治の中心となった。』 とありました!(`・ω・´)ゞ 上野館 […]

千石城/松山城(宮城県)

千石城/松山城の感想 千石城の築城年代はよくわかっていないみたいですが、鎌倉時代頃に遠藤氏によって築かれたと云われています。 遠藤氏は藤原南家の流れを汲む文覚上人(遠藤盛遠)の後裔らしく、遠藤盛継が鎌倉公方足利満兼から志田郡・玉造郡・加美郡の郡奉行に任ぜられ、1401年に陸奥国へ下向したことに始まると云われています。因みに・・・遠藤氏の元々の祖は千葉氏らしく有名なのは美濃国の遠藤氏もありますが、鎌 […]

桑折城/鶴館(宮城県)

桑折城/鶴館の感想 桑折(こおり)城は、鳴瀬川南岸に沿って東西に伸びる丘陵に築かれていて、城の麓を街道が通る交通の要衝の地で重要な拠点だったんだと思われます。桑折城の築城はいつだかわかっていませんが、大崎氏の四家老であった渋谷相模守が居城としていた城で、政庁というよりは軍事的な色彩が非常に強い要塞だった様です。 1588年に大崎合戦で大崎氏と伊達氏が争った際は、大崎氏の本城だった中新田城へ攻め込ん […]

下煤孫館跡(岩手県)

下煤孫館跡の感想 下煤孫館(しもすすまごだて)。そんな読み方なの??と思ってしまうお城の名前ですね。別名で煤孫城、古舘、観音館とも呼ばれるそうです。下煤孫館は煤孫氏のお城で和賀氏の支流で家臣だったようです。今回はたまたま地図で見つけたので訪問してますが、元々は1.2Kmほど離れた場所にある上煤孫館を煤孫氏は居城にしていてこちらの下煤孫館に移ってきたみたいです。 説明板に書かれていたものですが、煤孫 […]

岩崎城(岩手県)

岩崎城の感想 岩崎城は和賀氏の家臣だった岩崎氏の居城だったお城になります。築城は正確には不明ながら、南北朝時代とされていて1336年~1392年ごろと言われているようです。1590年に和賀氏が小田原征伐に参加しなかったことで、岩崎氏も改易となり、1592年には、豊臣秀吉の命令によって南部氏が岩崎城を破壊します。その後、1600年に和賀忠親が領地を取り返すため一揆を起こします(岩崎一揆)。この一揆は […]

師山城(宮城県)

師山城の感想 師山城(もろやまじょう)は、現在の宮城県大崎市古川師山字城山に位置する南北朝時代から戦国時代にかけての平城です!大崎平野の中央寄り、鳴瀬川と多田川が合流する付近に置かれた要衝で、奥州探題・大崎氏の初期拠点および対伊達氏防衛の最前線として非常に重要な役割を果たしていた様です。1337年頃に笠原重広が奥州に下向して師山城を築城したと云われており、当初師山城を居城としていましたが、笠原重広 […]

中新田城/御仮屋(宮城県)

中新田城/御仮屋の感想 中新田城は奥州探題大崎氏の居城であったとされる城の1つであり、大崎氏最後の当主となった大崎義隆が名生(みょう)城に移る前に居城としていた城がこの中新田城です( `ー´)ノ 大崎義隆が名生城に移った以降、中新田城には大崎氏の家臣である南条下総守隆信が城代として入った様ですね♪ 因みに・・・この!南条隆信は1588年に起きた大崎合戦で伊達政宗軍を中新田城で迎え撃ち撃退したみたい […]

岩出山城/岩手沢城/岩出山要害/臥牛城(宮城県)

岩出山城/岩手沢城/岩出山要害/臥牛城の感想 岩出山城は伊達政宗が米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなり入城した城として有名です。もともと岩出山城は岩手沢城と呼ばれており、足利一門であり奥州探題(おうしゅうたんだい)であった大崎氏の家臣氏家氏の城だった様で、伊達政宗が移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康が岩手沢城に約40日滞在して、城の縄張りや改修工事を行った後で伊達政宗に引き渡 […]

名生城/御所館/義隆館(宮城県)

名生城/御所館/義隆館の感想 名生(みょう)城の築城年代は定かではありませんが、南北朝時代に斯波家兼によって築かれたと云われています(=゚ω゚)ノ足利氏の流れを組んでいる斯波高経の弟の斯波家兼は奥州探題に任ぜられ下向し大崎氏の祖となり、大崎家兼の二男の兼頼が出羽国に進出し山形で最上氏の祖となった様です。つまり・・・大崎氏と最上氏は元々同じ流れを組む斯波氏の出なんですね~(。◕ˇдˇ​◕。)/けど・ […]

高清水城(宮城県)

高清水城の感想 1532年〜1555年頃に高清水(高泉)直堅によって築かれたと云われる。 高清水直堅は大崎家第9代目の大崎義兼の三男となります。また一方では大崎(高泉)持家が築城したとする伝えもある様で誰が築城したのかは不明みたいですね。奥羽山脈のから東へ延びる築館丘陵の末端部に位置し、沖積平野(ちゅうせきへいや)に面した標高20m程の緩やかで平坦な微高地に造られていた様ですね! 大崎氏(大崎一族 […]

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