岩崎城の感想
岩崎城は和賀氏の家臣だった岩崎氏の居城だったお城になります。築城は正確には不明ながら、南北朝時代とされていて1336年~1392年ごろと言われているようです。
1590年に和賀氏が小田原征伐に参加しなかったことで、岩崎氏も改易となり、1592年には、豊臣秀吉の命令によって南部氏が岩崎城を破壊します。その後、1600年に和賀忠親が領地を取り返すため一揆を起こします(岩崎一揆)。この一揆は伊達政宗にそそのかされたことで起こしたと言われていて、和賀忠親は最後、岩崎城に籠城し南部氏と交戦しますが、翌1601年4月に落城し和賀忠親は自害に追い込まれて滅亡してしまいます。
1602年に勝利した南部氏の家臣、柏山氏が城主になったとのことですが、いつ城が廃城になったかは不明のようです。
岩崎城の構造ですが、三つの曲輪(くるわ)が東西に並んでいる構成で二の丸が崖下の夏油川沿いにある少し変わった構成のお城のようです。二の丸を除くと台地に本丸が置かれている構成で、本丸の西に三の丸でさらに西側の隣に組小路(くみこうじ)といわれる曲輪の構成になっていたようです。三の丸も武家屋敷が並んでたと書いてあったのですが、組小路も武家屋敷が並んでたみたいですね。組小路は運動公園のあたりになるみたいです。崖下に二の丸がある理由は普段の住まいのために生活しやすい崖下に二の丸を置いていたようです。
岩崎城画像ギャラリー
土塁
岩崎城のナビ案内中に少し手前で岩崎城の土塁がありました!
と言うことはもう岩崎城の中に入っていると言うことですね。なんか道も曲がっているので当時は門でも合ったんですかね!


枡形
と思ったらやっぱり!枡形!確実にお城の門跡ですね!ワクワクo(^-^)o


三の丸
曲輪跡、たぶん三の丸になるところだと思います。案内がなかったので確定できず。三の丸を分断するように道路が作られています。武家屋敷があったところと後で出てくる説明版に書かれてました。
道の左側


道の右側



橋
三の丸から本丸へ行くのに橋がかかってました!その脇に説明版があります。ということは堀切になっていると言うことですね!

説明版

堀切
画像では堀切が全然わからないですね。。ここはぜひ訪問して堀切の形を見てみてください!なかなか綺麗に残ってました!


本丸
本丸です!昔はここに公民が立っていて天守閣の形をしていたみたいですね!時期的に秋に訪問したわけではないですが紅葉した木々が綺麗でした!


本丸跡の奥に土塁が見えますね!


綺麗!


岩崎城趾舞楽殿
たぶん以前はここに天守閣風の公民館があったと思われます。今は舞楽殿になってました。



本丸からの眺望



堀切を渡り帰りに朽ちてる三の丸の標柱を見つけました。やっぱり最初の曲輪は三の丸で合ってたみたいです。


岩崎城情報
| 築 城 | 不明(南北朝時代14世紀ごろ) |
| 城 主 | 岩崎氏、柏山氏 |
| 住 所 | 岩手県北上市和賀町岩崎18-90 |
| 種 別 | 平山城 |
| 廃 城 | 不明(江戸時代) |
| 特 徴 | – |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 有り(無料)※岩崎城運動公園の駐車場に停められます |
岩崎城へのアクセス
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