CATEGORY 奈良時代〜平安時代

主に奈良時代〜平安時代に築城、存在した武将、大名などに関するものを表示しています。

瀬原古戦場(岩手県)

瀬原古戦場の感想 前九年の役(1051年〜1062年)の合戦の古戦場の一つです。1057年9月、源頼義率いる源氏軍と、この地を本拠地とした安倍一族の間で激しい戦いが行われました。安倍軍がこの場所にあった本陣に源氏軍を誘い込んで、源氏軍は北上川の東岸長島から渡河して衣川に攻めてきたところを陣場山に密かに待機した安倍軍が、源氏軍を充分に引き寄せさせて攻撃を加えて大損害を与えたと共に、その退路を遮断した […]

水沢城/水沢要害(岩手県)

水沢城/水沢要害の感想 水沢城は1057年に源頼義によって築かれたとも言われているみたいですが、築城は不明のようです。葛西氏の家臣だった、蜂谷氏、佐々木氏、柏山氏などのお城とも言われているそうです。室町時代、戦国時代に葛西氏の配下にあったことは確実なようですね。1591年に奥州仕置で葛西氏が改易されると、木村吉清の領地となり水沢城には家臣だった松田源太郎左衛門が城主になったとのことです。葛西・大崎 […]

胆沢城(岩手県)

胆沢城の感想 胆沢城(いさわじょう)と読みます。胆沢城は、平安時代 802年に坂上田村麻呂が作ったと言われています。城というより時代的に「柵」(政治などの役所的なもの)になるかと思います。808年ごろに多賀城から軍政を司る「鎮守府」が遷されて10世紀後半頃まで鎮守府胆沢城として使われたとのことです。 胆沢城は大正時代に国指定史跡に指定されていて(だいぶ昔に指定されているんですね!)現在は令和元年6 […]

金ヶ崎城/金ヶ崎要害(岩手県)

金ヶ崎城/金ヶ崎要害の感想 平安時代に坂上田村麻呂が館を築いたという伝説もある岩手県の金ヶ崎城です!基本的に現在の遺構としては1591年に 伊達領にこの地がなった時に南部氏の領地と接しているために金ヶ崎要害として作られたとされているみたいです。その後、桑折氏や留守氏が金ヶ崎城に入り、1644年に伊達一族の大町氏が明治維新まで城主となったようです。 現在の金ヶ崎城ですが、概ね城の曲輪や土塁などの遺構 […]

岩谷堂城(岩手県)

岩谷堂城の感想 岩谷堂城(いわやどうじょう)は平安時代にこの場所に藤原経清・清衡が館を構えたのが始まりとされているみたいです。 近くに豊田館があり、そこが藤原経清・清衡の居城と言われてますが、どういう関係なんですかね?豊田館は平城っぽいのでこちらが詰城なのか。時代的に平安時代ってそんなことしてたのか?うーん。謎ですねー 実際に城として使われていたのがわかっているのは、南北朝時代に葛西氏の一族だった […]

名生館官衙遺跡(宮城県)

名生館官衙遺跡の感想 7世紀末って云うのだから・・・飛鳥時代?~平安時代に営まれた律令期の役所(官衙)跡の様です。大崎平野の北西部にあり標高40mで、周辺との比高10mほどの台地上に立地しています。 遺跡の範囲は南北1,100m・東西700mの広さがであります。中世奥州探題大崎氏の名生城としても有名らしいですね。って云うか、名生城として組み込まれ使われていたんだと想像します(`・ω・´)ゞ 継続的 […]

前九年の役 阿久利川古戦場跡(宮城県)

前九年の役 阿久利川古戦場跡の感想 『前九年の役』とは陸奥国の大豪族安倍氏と朝廷側の源頼義父子の戦いで1051〜1062年に東北で起きた長期戦です。前九年の役後、安倍氏が滅び代わって清原氏と源氏の力が強まる結果となりました。 『前九年の役 阿久利川古戦場跡』はその『前九年の役』で行われた合戦そのものではなく『前九年の役』が泥沼の全面戦争へと再燃する直接の引き金となった『阿久利川事件』の舞台(事件発 […]

伊治城(宮城県)

伊治城の感想 伊治城は『いじじょう』『これはりじょう』『これはるじょう』などの呼び方が複数あります(〃艸〃)ムフッ 日本語って本当にむずかしいなぁぁぁ~苦笑 長らく『いじじょう』と音読みされていたみたいですが、多賀城跡から発見された漆紙文書などにより、当時は『これじ』『これはり』または 『これはる』と呼ばれていた可能性が非常に高い様です。 伊治城は奈良時代(8世紀後半)に大和律令政府が東北地方(陸 […]

払田柵跡(秋田県)

払田柵跡の感想 払田柵跡(ほったのさくあと)は、平安時代の初めころ律令国家がこの地方の統一を進めるために造った政治的・軍事的拠点として、また儀式の場としての役割を持っていたと云われています。まぁ~秋田城と同じような役割だったんだと思います(`・ω・´)ゞ 外柵(がいさく)と呼ばれる角材(高さ3.6m/縦・横30cm)を並べた材木塀は総延長約3.6km、遺跡の総面積は約87.8haにもなるめちゃくち […]

樋爪館(岩手県)

樋爪館の感想 樋爪館(はしづめだて)は平安時代末ごろに藤原清衡(ふじわらのきよひら)の四男である藤原清綱(ふじわらのきよつな)がこの地をもらったことで、樋爪氏を名乗るようになり、築いた館とされています。ここが重要拠点だった理由はこの地で産出する砂金等を流通させる北方交易の拠点にもなっていたとのことで、金以外にも馬、漆、米などを主に取引していたようです。 樋爪館は1189年の源頼朝による奥州藤原氏討 […]

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