CATEGORY 奈良時代〜平安時代

主に奈良時代〜平安時代に築城、存在した武将、大名などに関するものを表示しています。

藤橋城(東京都)

藤橋城の感想 藤橋城は築城はいつかはわかっていませんが、平山虎吉や藤橋小三郎の居城跡と伝わっています。北条氏照の家臣と云われていますが、そもそも平山氏は武蔵七党のひとつである西党の出身で、源平合戦において名を馳せた平山季重の後裔であると云われています。戦国時代に平山氏の宗家は檜原城を居城とし分流が藤橋城を居城としたとか・・・らしいです。(^▽^)/  ここは東京都青梅市になるのですが、藤橋城に来る […]

土肥城(神奈川県)

土肥城の感想 『土肥城』は相模国の有力豪族中村党の中の一族で土肥郷(現在の湯河原町)を本拠としていた土肥実平(どいさねひら)が築いた城とされています。土肥実平は『桓武平氏良文流中村宗平の次男が相模国土肥荘に土地を持ち『土肥氏』を名乗ったため『相模土肥氏』の祖となります・・・私が土肥城の土肥氏が大好きなのは、尊敬する『毛利元就公』の三男の小早川隆景が養子に入った家で、この土肥実平の子の土肥 遠平(ど […]

茅ヶ崎城(神奈川県)

茅ヶ崎城の感想 茅ヶ崎と聞けば・・・『サザン』『夏』『海岸線』的なイメージじゃないですか!(〃艸〃)ムフッなのに!なのに!ですが・・・めちゃくちゃ内陸側(現在の港北ニュータウン近く)で見つけたのがこの城です・・・『茅ヶ崎城』です(^▽^)/~♪♪♪ 現在は公園になっていますが、行ってみて( ゚Д゚)びっくり!?なかなかガチでいけている城跡でしたよ!!!こんな都心っていうか住宅地で最高でした! 行っ […]

益子古城/高館城跡/西明寺城(栃木県)

益子古城の感想 益子古城は益子氏のお城で、高館城(たかだてじょう)、西明寺城(さいみょうじじょう)とも呼ばれています。実際には高館城(西明寺城)と呼ばれている高館山の山頂にあるお城は詰城で平時はこの益子古城で生活していたものと思われております。益子城は南北朝時代には南朝方のお城として北朝方の攻撃を退け続けましたが1352年に関東六城の中で最後に落城したとのことです。ちなみに南北朝時代の関東六城とは […]

小山城 / 祇園城(栃木県)

小山城 / 祇園城の感想 『小山城』は小山市城山町の思川沿いにある城で、別名は『祇園城(ぎおんじょう)』と呼んでおり、地元の方々は主に『祇園城』と呼んでいるようです。『小山城跡』は『小山氏城跡』と呼ばれる『鷲城』・『祇園城』・『中久喜城跡』をひとつにまとめ『祇園城』とされ国の史跡とされているみたいですねぇ。。。(ややこしぃ~苦笑) 『祇園城』にするのが一番なのかもしれませんが、『関ケ原の戦い』の前 […]

甘崎城 / 天崎城(愛媛県)

甘崎城 / 天崎城の感想 甘崎城は愛媛県今治市上浦町甘崎の古城島にある島城であり、別名を古城・岸の城・荒神城と呼ばれており、築城の歴史はめちゃめちゃ古い可能性があり、古代には大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の東方鎮護として機能した島らしく、古名は『アマノサキ』の意味で『アマ』は海人を、『サキ』は防人(さきもり / ぼうじん)の意を指し、鎌倉時代には海人(海武士)を取り締まるために城砦が築かれた( […]

門司城(福岡県)

門司城の感想 門司城は下関(山口)と北九州(福岡)の間、関門海峡を望む北九州側にあり古城山の山頂に築かれた山城で、古くは源平の合戦時に 平 知盛 が源氏との合戦に備えて築かせた城です。その後は1559年とその2年後の1561年に起こった大友義鎮(大友宗麟)と毛利元就との合戦、『門司城の戦い』の舞台となった城として知られており、毛利元就好きの私も毛利元就を通してこの城も知りました(^▽^)/関門海峡 […]

馬ヶ岳城(福岡県)

馬ヶ岳城の感想 個人的に・・・絶対に攻め落としたかった山城です( `ー´)ノ『馬ヶ岳城(うまがたけじょう)』ですわ!!!!何故かと云えば、俺の大好きな黒田官兵衛が九州征伐後、豊臣秀吉から豊前国八郡のうち六郡(ただし宇佐郡の一部を除く)12万5000石を領地として与えられ入国した際に、豊後国最初に入城したのがこの馬ヶ岳城でした!!!(⌒∇⌒)黒田官兵衛は、当初、馬ヶ岳城を拠点としましたが短期間だった […]

夜須城 / 下夜須城(高知県)

夜須城 / 下夜須城の感想 夜須城(下夜須城)は、平安時代末から鎌倉時代にかけての源氏方の武将であり、源平合戦の壇ノ浦の戦いで敵方の岩国兼秀・兼季兄弟を生け捕りにするという功を立てた、夜須行宗(行家とも???同一人物???)が築いた城だと云われています。夜須川東岸に横たわる標高40mほどの丘陵に築かれており、またの呼び名を三つ城『みつしろ』とも云うみたいですね~((´∀`))夜須城(下夜須城)は長 […]

那須与一の墓(栃木県)

那須与一の墓の感想 全国で約六ヶ所(もっとあるのかもしれませんね)あると云われている源平の合戦で活躍した『那須与一の墓』が栃木県の那珂川町(なかがわまち)恩田(おんだ)の地にありました。 那須与一は死後、京都の即成院(そくせいいん)に葬られましたが、分骨され那須の地の福原玄性寺(げんしょうじ)に移され、那須与一公とその一族のために供養碑を建てられたものと伝えられています。 那須与一の墓画像ギャラリ […]

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