「櫓」の検索結果 54件

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飯山城(長野県)

飯山城の感想 今回は長野県北東部にある飯山市のお城、飯山城に行ってきました。飯山城は室町時代頃に泉弥七郎が築城したお城ですが、戦国時代に入り、上杉謙信が信濃に進行してくる武田信玄に対抗するための重要な拠点として改修整備したお城でもあります。武田信玄の幾度かの攻めにも飯山城は落ちることは無かったと伝えられています。確かに実際に行ってみると、平山城なのですが、千曲川などの河川が自然の堀の代わりをしてい […]

勝沼氏館(山梨県)

勝沼氏館の感想 いやぁぁぁ~ナメていました!?(# ゚Д゚)存在は昔から知っていたんですが『館』ってついていたんで、あまり行ってみる気になれずに戦友を誘って城攻めのリハビリ程度に訪問してみました。 『勝沼氏館』・・・マジ神!マジ最高!!!(*`艸´)ウシシシ!!!館っていうか城でも充分いける~♪ 勝沼館は側を流れる日川の河岸段丘に築かれた館で、武田信虎(武田信玄のお父さん)の弟、武田信友が勝沼衆を […]

亀山城(三重県)

亀山城の感想 亀山城へ行ってきました。亀山城と名のつくお城が多いため、伊勢亀山城とでも呼んでおきます。別名としては粉蝶城(こちょうじょう)とも呼ばれているそうですが、わかる人が少なさそうなので伊勢亀谷城です。元々は関氏のお城で1265年に関実忠によって築かれたと言われています。1590年、豊臣秀吉の名により岡本良勝が亀山城城主となりますが、岡本良勝は関ヶ原で西軍に付いたために桑名城で自害します。以 […]

小谷城(滋賀県)

小谷城の感想 浅井氏のお城、小谷城(おだにじょう)へ行ってきました。浅井・朝倉 対 織田信長の戦いで浅井氏はこの城で自害し滅亡してしまいます。浅井氏は滅びますが、戦国時代のキーマンとしての浅井家は面白くて仕方がないですよね!そんな浅井氏3代の居城は楽しみで仕方がないです。浅井家について紹介します。浅井家は小谷城の戦いで家としては滅亡してしまいますが、浅井長政の継室が織田信長の妹「お市の方」で信長は […]

竹中氏陣屋跡(岐阜県)

竹中氏陣屋跡の感想 ここは竹中半兵衛の息子竹中重門が築いた陣屋ですが、岩手城とも呼ばれ現在は門だけですが、水堀などで囲われてお城のような作りになっていたようです。城ではなく陣屋の理由は5000石で旗本だったため、大名(1万石以上)ではないので陣屋と呼ばれているとのことです。現在見学できるところは櫓門のみで中に入れますが、門の周囲のみ。理由は陣屋跡は現在小学校になっているためです。しかも現在はこの門 […]

松坂城(三重県)

松坂城の感想 蒲生氏郷のお城、松坂城へ行ってきました。蒲生氏郷は織田信長、豊臣秀吉の家臣として活躍した武将でこの松坂城のあとは会津若松城(黒川城)に92万石で加増転封となっています。蒲生氏は近江蒲生郡発祥の家系で氏郷は近江の日野城を居城として、浅井、浅倉征伐で信長の家臣として活躍。秀吉の時代には賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いなどに参戦しその功績で12万石でこの伊勢に移封となり、1588年にこの松 […]

大垣城(岐阜県)

大垣城の感想 大垣城は関ヶ原の戦いで西軍の石田三成の本拠地になったお城で有名です。そんな大垣城に今回は行ってきました。大垣城の築城年、築城主は不明のようですが、お城の案内には1535年、宮川安定が築城したと書かれていました。個人的には、犬山城の城主でもあり、織田家というか信長を支えた池田恒興のイメージもあるお城です。恒興は清洲会議にも秀吉、柴田勝家、丹羽長秀と共に参加した武将です。 そんな大垣城で […]

天神山城(岡山県)

天神山城の感想 浦上宗景の居城『天神山城』に城攻めを掛けましたが、一言でいえば壮大!巨大な石垣と山頂の尾根を上手く利用した防衛ラインを備えた壮大な巨大山城だったため、私は一発でやられました!? 浦上氏は下剋上でのし上がった一族で、浦上宗景の父浦上村宗が播磨国の守護大名であった赤松義村を赤松氏の重臣でありながら騙し討ちし生け捕りにして播磨国の室津城に幽閉、その後暗殺して成り上がってゆき、その息子が備 […]

郡山城/大和郡山城(奈良県)

郡山城/大和郡山城の感想 藤堂高虎が縄張りしただけあって、なかなかの石垣を有する城です。 郡山城は郡山衆と云われる国人たちが築いた城だった様で、筒井順慶が筒井城から郡山城に移ってから(筒井城から郡山城まで約4㎞ぐらいかぁ)改築されていったんだと思います。筒井順慶が亡くなると秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次が家督を相続し郡山城の城主となります。長年、秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次は順慶 […]

和歌山城/虎伏城(和歌山県)

和歌山城の感想 和歌山を代表する城、和歌山城です!!!!元々は虎伏山(とらふすやま)に築かれた平山城だったため『虎伏城』とも呼ばれていたようですね。 和歌山城のきっかけ?は、豊臣秀吉時代に弟の豊臣秀長が大和一国の国主となり入国したことからスタートするみたいです。豊臣秀長は当時、大和郡山城を本城としていたため、和歌山城には重臣の桑山重晴を城番として置いたことがスタートみたいですねぇ~(o^―^o) […]

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