時崎城(千葉県)
時崎城の感想 全く偶然見つけブラリと城攻めした城『時崎城』です。誰が城主で何の目的で築かれた城なのか全然わかりません!( ノД`)シクシク…しかし、時崎城の案内板を読むと、時崎城は佐倉市市民文化資産に指定されており、地域住民にとっては貴重な文化資産とされていました・・・Σ(・□・;) 城内は小ぶりですが土塁や曲輪(かなり小さめ)が確認され、確かに・・・城だよなぁ・・・っと納得できる築城状況です。大 […]
主に南北朝時代1400年頃までの室町時代に存在したものを表示しています。
時崎城の感想 全く偶然見つけブラリと城攻めした城『時崎城』です。誰が城主で何の目的で築かれた城なのか全然わかりません!( ノД`)シクシク…しかし、時崎城の案内板を読むと、時崎城は佐倉市市民文化資産に指定されており、地域住民にとっては貴重な文化資産とされていました・・・Σ(・□・;) 城内は小ぶりですが土塁や曲輪(かなり小さめ)が確認され、確かに・・・城だよなぁ・・・っと納得できる築城状況です。大 […]
小竹城の感想 小竹城も臼井城の支城として築かれた城の様で、案内板からすると、臼井氏同様千葉紙の流れを組む小竹氏の城だった様で、1390年頃、小竹五郎高胤が築いたとされています。簡単ではありますが土塁や空堀のある城だった様ですが、行ったときは草がボーボーで全然よくわからず、しかも立ち入り禁止の看板があったので、この案内板だけしか確認できませんでした!(´;ω;`)ウッ… 小竹城画像ギャラリー 小竹城 […]
師戸城の感想 「臼井家由来抜書」によると、鎌倉時代末期には臼井氏の支城として師戸(もろと)城は支城として築城されていた様です。印旛沼(西印旛沼)を囲むように、臼井城の北側に支城として築かれ、西側には飯野城も築かれており印旛沼の水路の要としてあったんだと思われます。築城時期はよくわかっていないようですが、臼井氏四天王のひとり師戸四郎の居城としていた様です。その後、上杉謙信の侵攻にも奇跡的に防いだ臼井 […]
久米城の感想 久米城は佐竹氏の支流佐竹北家のお城です。築城は藤原秀郷の系譜の小野崎氏と言われていて、14世紀末から15世紀初頭にかけて建てられたのではないかと言われております。その後、佐竹義武がこの久米城に入り、山入氏と戦いますが、義武は討死となり、久米城は山入氏のお城となります。義武の父、佐竹義治、弟の義信が久米城を奪還し、義信が久米城に入ります。義信のことを「北殿」と呼んだことから義信の家系を […]
馬坂城の感想 佐竹氏発祥のお城と言われている馬坂城に行ってきました。馬坂城の築城は平安時代の末期で、新羅三郎(源)義光の孫、源昌義が佐竹を名乗るようになります。その昌義が居城としたのが馬坂城です。ちなみに、新羅三郎義光は武田信玄などで有名な甲斐武田氏の祖でもあります。武田氏発祥の地も茨城県ですので興味がある方はそちらも訪問してみるのをおすすめします。馬坂城は三つの曲輪を持つ平山城で、北側に鶴が池、 […]
足利学校の感想 足利学校に行ってきました。足利学校は日本最古の学校で創建は平安時代とも鎌倉時代とも言われています。今でこそ日本の最高学府といえば東京大学ですが、日本歴史全体で見ると長らく1000年くらい足利学校だったんですよね。いぁーすごいですね!!!足利学校は室町時代ころには一時廃れていたとの話もありますが、室町時代の永享11年(1439年)に関東管領の上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在は国宝 […]
鳴海城 / 根古屋城の感想 当初は足利義満の配下の安原宗範が命により築いた城だと云われています。当初は成海神社があり城(当時は砦だったのかもしれませんね)を築いたんだと思われます。その後、成海神社が北の乙子山に移された事と、安原宗範が亡くなってしまったため、鳴海城は一度廃城になったとされています。 戦国時代に入ると尾張国に勢力を広げる織田信秀が支配下を拡大すると、織田信秀の配下である山口教継に城主 […]
花園城の感想 花園城は1156年~1159年頃に藤田政行(←元々は猪俣正行と名乗っていて藤田荘に入り藤田氏を名乗った様です)により築城されたとされたいます。そして・・・江戸時代末期に編纂された『新編武蔵風土記考』によりますと!?『花園城』は藤田氏15代が在城したと記されている様です!?(@_@)!?!?すごっ!!!!この藤田氏もなかなかで・・・(o^―^o) 藤田氏は『武蔵七党』のひとつ『猪俣党』 […]
中城の感想 中城は小川盆地にある先端部に約100m四方に巡らした平山城で、鎌倉時代に増尾郷の豪族で郷内にある猿尾荘を領していた猿尾種直(ましお たねなお)の居館だったと云われていた様です。。。(o^―^o)ニコ南北朝時代初期では斎藤重範(さいとう しげのり)が同地の地頭となって支配したと伝えられています。。。一方、中城は太田道灌ゆかりの城でもあるそうです。 太田道灌が関東管領山内上杉顕定の側近の高 […]
高見城 / 四ツ山城 / 四津山城の感想 高見城 / 四ツ山城の築城年代や築城者は不明ですが、太田道灌が1480年に書いた書状に『高見』『高見在番衆』というのがあったらしく、その名が登場することからこの年頃には築かれていたんじゃないかなぁ~!?!?って云われています(〃艸〃)ムフッ現在の小川町駅(東武東上線?)から約3.5km北方面、比企丘陵(ひききゅうりょう)最北部の丘陵部・四津山(標高197m […]