佐竹家霊屋(秋田県)
佐竹家霊屋の感想 秋田藩主佐竹氏歴代の墓所で、菩提寺天徳寺の本堂の西側にあります(`・ω・´)ゞ天徳寺は秋田藩主佐竹氏の菩提寺で佐竹氏の国替えの際、常陸国(茨城県)から久保田城下南郊の楢山村に移されたあと、火災があり、1672年、3代藩主・佐竹義処の時代に今の場所に建てられました。秋田藩初代・佐竹義宣から最後の12代・佐竹義堯(よしたか)までのお墓があるようです。 説明板には『入母屋造、妻入で、正 […]
佐竹家霊屋の感想 秋田藩主佐竹氏歴代の墓所で、菩提寺天徳寺の本堂の西側にあります(`・ω・´)ゞ天徳寺は秋田藩主佐竹氏の菩提寺で佐竹氏の国替えの際、常陸国(茨城県)から久保田城下南郊の楢山村に移されたあと、火災があり、1672年、3代藩主・佐竹義処の時代に今の場所に建てられました。秋田藩初代・佐竹義宣から最後の12代・佐竹義堯(よしたか)までのお墓があるようです。 説明板には『入母屋造、妻入で、正 […]
本堂城の感想 本堂城は本堂氏が築いた平城で、『戸沢三十五城』の1城と云われています。城跡の北西側を矢島川が南西方向に流れており、東西182m・南北273mの矩形をなして幅は約10mで東西南北にめぐらされ内堀が築かれていた様です。本堂城の周囲には内堀に接して高さ4mの土塁が築かれていた様で、今ではよくわかりませんが西門の付近に少し土塁の形跡が確認できます!本堂氏は清和源氏の流れを組む一族で鎌倉時代に […]
東別府氏館/別府城の感想 東別府氏館は元々別府氏の別府城だった様で、途中で次男の別府行助が西別府氏館を構え移っていったため、別府城は東別府氏館と呼ばれるようになった様です。 別府氏は元々成田氏の流れを組む一族らしく、成田氏館を築城した成田助高の二男の成田行隆が別府の地を領有し別府氏を名乗ったのが始まりだと云われており、別府行隆の長男義行が東別府氏館/別府城を築き居城したと思われます。別府氏は源頼朝 […]
上杉憲英公の墓/上杉氏歴代墓の感想 庁鼻和(こばなわ)城内に建てられたとされる『国済寺』に『上杉氏憲英公の墓/上杉歴代墓』があります。 上杉憲英は南北朝時代から室町時代に掛けて活躍した武将で、関東管領山内上杉氏の有力な一門で上杉 憲顕(うえすぎ のりあき)の六男として誕生し、庁鼻和(こばなわ)城を築城し『庁鼻和(こばなわ)上杉氏』を名乗っていた様です。上杉憲英は上野国守護や蔵人大夫、奥州管領などを […]
庁鼻和城の感想 庁鼻和(こばなわ)城の築城は定かではありませんが、関東管領山内上杉憲顕の六男 上杉憲英によって築かれたことから始まったとされ、庁鼻和(こばなわ)上杉氏と名乗り山内上杉氏の有力な分家のひとつとされました( `ー´)ノ その後になりますが、上杉憲英の曾孫にあたる上杉憲房が庁鼻和城を出て新たに深谷城を築き深谷上杉氏を称し一族で勢力を拡大していきます。その流れから庁鼻和上杉氏は深谷上杉氏と […]
深谷城/木瓜城の感想 深谷城の築城はさだけではありませんが、深谷上杉氏の上杉房憲が台地の北端部付近に築いた平山城です!深谷上杉氏の祖とされる上杉憲英(のりふさ)は、はじめは庁鼻和(こばなわ)城を本拠としたため、「庁鼻和上杉氏」と称されました。主家にあたる山内上杉氏は、鎌倉を出て古河を拠点とした古河公方足利成氏に対抗するために、五十子(本庄市)に陣を置いたと云われています。庁鼻和上杉氏である上杉房憲 […]
平井金山城/金山城の感想 平井金山城は平井城の詰城になります。詰城とは戦いの時に籠るお城のことを言います。平時は生活しやすい麓に平城を建てて生活し、戦になると山城など概ね高いところに作ってある詰城を使用して落城させないようにしているお城が多くありました。同じ群馬県内にもう一つ有名な金山城(新田金山城)と区別するためにこちらは平井金山城と呼ばれます。平井金山城の歴史ですが、1466年に上杉顕定によっ […]
連方屋敷跡(古屋氏館跡)の感想 どこのどいつか築いた館跡なのかわかりませんが、案内板の説明と後でモロモロ調べてみたら、戦国時代の時に甲斐武田氏の蔵前衆(甲斐武田家でいう蔵前衆は『金・銀』『米穀』などの重要な蔵を管理する役職)だった古屋(ふるや)氏の館であったと思われ、私はあえて連方屋敷跡の後に(古屋氏館跡)と記載させて頂きました(。-_-。) 連方屋敷跡はきれいに当時を教えてくれるメチャクチャ素敵 […]
岡部六弥太忠澄の墓画像ギャラリー 岡部六弥太忠澄は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武蔵武士です。岡部氏は武蔵七党のひとつ猪俣党に属し、祖父の猪俣六太夫忠綱が岡部に居住して岡部を称したことにはじまると云われてます。岡部六弥太忠澄は源義朝(源頼朝の父親)の家人として保元・平治の乱に活躍したみたいです。源平盛衰記には『待賢門(たいけんもん)の戦い』で熊谷直実、斎藤実盛、猪俣小平六など源氏十七騎のひ […]
金窪城の感想 金窪城は1177年~1181年頃に武蔵七党と呼ばれる武士集団のひとつ丹党の加治家季が築いた城と云われておりますが、案内板を読んだら新田義貞が金窪城を築き家臣の畑時能が金窪城を居城とさせたとも書いてありますねぇ~(‘◇’)ゞ武蔵七党の加治氏はもっと南の入間・飯能の地域が勢力下なのでここまで離れた場所に金窪城を築くのは何かしらの理由があったのか不思議な感じがします […]