都道府県指定史跡

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都道府県にて文化財などに指定されているもの

飯山城(長野県)

飯山城の感想 今回は長野県北東部にある飯山市のお城、飯山城に行ってきました。飯山城は室町時代頃に泉弥七郎が築城したお城ですが、戦国時代に入り、上杉謙信が信濃に進行してくる武田信玄に対抗するための重要な拠点として改修整備したお城でもあります。武田信玄の幾度かの攻めにも飯山城は落ちることは無かったと伝えられています。確かに実際に行ってみると、平山城なのですが、千曲川などの河川が自然の堀の代わりをしてい […]

葛尾城(長野県)

葛尾城の感想 村上義清の居城、葛尾城に行ってきました。と言ってもナビの案内通りの葛尾城の駐車場はとてつもない道を通って行く道で今回は大失敗でした。(道中の動画は下へスクロールしていただくと見られます。)動画では伝わりづらいかもしれないですが、SUV系の車でも腹下をするくらい道がひどいのと結構砂利の勾配がキツく2駆だと空転するような場所もあります。途中からずっと4駆で走りました。あと大きい車も道幅が […]

武田勝頼(夫人/信勝 )生害石(山梨県)

武田勝頼(夫人/信勝 )生害石の感想 前回の武田勝頼/夫人/信勝の墓からの流れで、同じ景徳院内に3名の生害(自害)した場所があります。3名がお互いに生害石(その石の上に座って自害した場所)がありました。何とも言えない気持ちが湧き出てきて、苦しさがたくさんあったと思うのですが、その時の疲れと諦めと切なさと・・・複雑な気持ちが入り乱れていたと容易に想像がつきます。 是非!皆さんも足を運んで感じて頂けれ […]

於曽屋敷跡(山梨県)

於曽屋敷跡の乾燥 今は公園として整備されていますが、しっかりと土塁・堀の跡を残しています。於曽(おぞ)屋敷跡です。於曽屋敷は甲斐源氏の祖となった源義光の子である義清の四男であった、加賀美遠光(かがみ とおみつ)が加々美荘を支配したことから始まるようです。当初、この一帯は旧豪族の三枝一族が支配していたが、甲斐源氏であった加賀美遠光の四男光経と五男光俊がこの地を支配し於曽氏と称したようです。於曽氏の創 […]

高山城(岐阜県)

高山城の感想 飛騨国高山の名城『高山城』です。 高山城は名将(って自分は熱く想っています)金森長近が築いた城です。金森長近は美濃の多治見で生まれ金森氏は土岐氏の一門だった様ですが、戦乱激しい美濃を離れ近江野洲郡の金森へ移住したようです。元々、金森長近の父親は大畑氏を名乗っていたのですが金森に移住し金森氏を名乗ったようですね。近江の金森も戦乱の中で一向一揆の勢力が強く難しい土地だったはずなのですが商 […]

松倉城(岐阜県)

松倉城の感想 昔でいう南飛騨地域、今は岐阜県高山市にある『松倉城』です!地味に・・・やっぱりここの見どころは石垣なんですよねぇ~(〃艸〃)ムフッ 松倉城は元々飛騨国守であった京極氏の家臣三木氏が姉小路(あねがこうじ)氏を名乗り築城したのが始まりだと云われています。築城したのは姉小路頼綱といわれ、姉小路頼綱は当初三木氏を名乗っていたみたいですね。姉小路(三木氏)頼綱は、武田氏と対立し武田信玄の命を受 […]

末森城(石川県)

末森城の感想 末森城は能登国、現在の石川県能登半島の付け根にある山城です。前々から行ってみたく、たまたま金沢に行く用事があり宿泊したので、朝の4時に起床し出発前に朝駆け!山城一発勝負をやるために末森城を訪れてみました。 末森城を知ったのは、『原哲夫』先生の漫画『花の慶次』で、傾奇者の前田慶次郎が佐々成政が率いる軍15,000人で包囲された末森城を助けに行き、末森城の城主、奥村永福との友情や爽やかさ […]

亀山城(三重県)

亀山城の感想 亀山城へ行ってきました。亀山城と名のつくお城が多いため、伊勢亀山城とでも呼んでおきます。別名としては粉蝶城(こちょうじょう)とも呼ばれているそうですが、わかる人が少なさそうなので伊勢亀谷城です。元々は関氏のお城で1265年に関実忠によって築かれたと言われています。1590年、豊臣秀吉の名により岡本良勝が亀山城城主となりますが、岡本良勝は関ヶ原で西軍に付いたために桑名城で自害します。以 […]

竹中氏陣屋跡(岐阜県)

竹中氏陣屋跡の感想 ここは竹中半兵衛の息子竹中重門が築いた陣屋ですが、岩手城とも呼ばれ現在は門だけですが、水堀などで囲われてお城のような作りになっていたようです。城ではなく陣屋の理由は5000石で旗本だったため、大名(1万石以上)ではないので陣屋と呼ばれているとのことです。現在見学できるところは櫓門のみで中に入れますが、門の周囲のみ。理由は陣屋跡は現在小学校になっているためです。しかも現在はこの門 […]

神戸城(三重県)

神戸城の感想 三重県鈴鹿市にある神戸城です。神戸城は元々、神戸氏の城で神戸氏は北畠氏に仕えていた家系と言われています。その後、織田信長の三男、織田信孝を養子にして神戸信孝と名乗り、信孝は8代当主に就きました。信孝の時代には天守閣もあったお城だったのですが、秀吉に自刃に追い込まれました。信孝が亡くなった後、天守閣は桑名城に移されました。江戸時代には城主は神戸氏ではなくなっていましたが、神戸藩のお城と […]

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