獅子ケ城 / 獅子城 / 鹿家城(佐賀県)

獅子ケ城 / 獅子城 / 鹿家城(佐賀県)

獅子ケ城 / 獅子城 / 鹿家城の感想

1069年に松浦党の祖となる 源 久 が松浦郡宇野御厨の荘官(しょうかん)となり、源からその地名の松浦を名乗るようになり、松浦党を結成したと云われております。松浦党は古くは平安時代から戦国時代に組織された松浦氏の武士集団の連合軍で、その一族は48にも別れていたと云われています。そのことから『松浦四十八党』とも呼ばれ、現在の長崎県~佐賀県北部まで幅広く分散されていたと考えられます。

その中で、松浦党の祖 松浦 久(源 久)の孫である『松浦 披(たぶん、『ひらく』と呼ぶんだと思われます)源 披 』が、1177年~1189年頃に築城したと伝えられており、敵が安易に攻め落とすことのできない天険の山城だった様です。(実際に行ってみましたが感動しました♪)
1532年~1555年頃に松浦党の鶴田氏(鶴田 前(たぶん、『まさる』と呼ぶんだと思われます))が獅子ケ城 を引き継ぎ復活させます!
因みに・・・調べてて気付いたのですが、鶴田氏は元々、相模国の渋谷一族では 相模国 早川城 の渋谷高重は和田義盛に組し鎌倉幕府に反乱した『和田合戦』を行い討伐されますが、他の渋谷一族は許され宝治合戦の際には多くの軍功を上げたため、褒賞として渋谷氏は薩摩国入来院(いりきいん)などの所領を与えられ多くの渋谷一族は薩摩に移り、その内の薩摩国鶴田の地を与えられ(現在の鹿児島県薩摩郡さつま町鶴田)四男の重茂がその地の鶴田を名乗り鶴田氏となり、鶴田氏は九州中に広がったんじゃないかと思います。因みに・・・本家の鶴田氏は島津氏の傘下にいましたが、島津氏が総州家と奥州家とに分かれて争うようになり、4代目の鶴田重成は奥州家の島津元久についていたが敗れてしまい滅んでしまったとも云われています。

話は脱線しましたが・・・苦笑い
肥前国にあった獅子ケ城は、後藤氏や大勢力の大友氏、新興勢力で破竹の勢いがある竜造寺氏や有馬氏からの圧力を激しく掛けられるようになります。1544年には竜造寺氏の激しい攻撃を受けますが撤退させ、翌年にも竜造寺氏に攻められ城を落とされ占領されますが5日後に奪い返すなど、獅子ケ城は重要な要害の山城だったことがわかります。
1558年~1570年には波多氏(上松浦党の最大一族)が何度も襲来しますがそのたびに撃退ししています。波多 親(ちかし)が波多17代当主となると、当時、獅子ケ城の城主だった 鶴田 賢(『まさる』だと思われます)は波多 親 の傘下に入ります。しかし、波多氏はその後この地を追放されてしまうと鶴田氏は後藤氏の傘下に入り獅子ケ城は廃城となってしまいます。

豊臣秀吉の時代になってから、秀吉に仕えていた寺沢 広高(てらざわ ひろたか)が肥前国唐津の6万石を拝領し入国。。。朝鮮の役で戦功をあげ筑前国怡土郡の2万石を加増されてます。豊臣秀吉が没すると徳川家康に近づき、関ケ原の戦い(1600年)では東軍に与した。戦後に関ヶ原の戦功によって天草4万石を加増され、12万石を治めた武将となります。寺沢 広高はその後、肥前国唐津藩の初代藩主となります。寺沢 広高が現在の石垣のある城としますが、たぶん、一国一城令により1615年に廃城になってしまったと思われます。。。

獅子ケ城は唐津市厳木町にある白山の山頂標高228mに築城され、城の周囲は急な崖となっています!その周囲は切り立った岩肌に囲まれ見るからに天然の要害となっている。とにかく石垣って云うよりは、岩!岩!岩!の城ってイメージでめちゃくちゃ感動しました!『天然の要害』とはまさに『獅子ケ城』の様な城の事を云うんだと思いました!最高です!(o^―^o)ニコ

獅子ケ城画像ギャラリー

佐賀県道32号伊万里畑川内厳木線に『獅子ケ城』があり、案内板が出ていますのでわかり易いと思います。

クルマでは三ノ丸下まで行けて駐車場もありました!(〃艸〃)ムフッ

案内板がありましたが、『獅子ケ城の縄張り図』がありましたが・・・壮絶ですね!マジ最高な縄張り図だと感じました!!!山城好きで本当に良かった~(*`艸´)ウシシシ

かすれ過ぎて・・・読めん・・・(´;ω;`)ウッ…

さてさて・・・まずは三ノ丸に突撃したいと思います!(^▽^)/

マジ!雰囲気が最高!!! 山城センサーがビビビ!!!ってきまくりです!(`・ω・´)ゞ

三の丸に到着です!三ノ丸は『北側の三の丸』と『南側の三の丸』に別れており、ここは南側の三ノ丸だと思われかなり広いですね!!!

石垣がちらちら見えます♪ けどこの天然の激しい岩と石垣のコンビネーションが気が狂う程楽しくてたまらない状況を生み出しています!((´∀`*))ヶラヶラ  北側の三の丸に移動したいと思います♪

二の丸に入るこの巨大な『岩の門』は本気でかっこいいです!!!

二の丸に突入します!!!!!!( `ー´)ノ

井戸曲輪の石垣も堪能しながらいよいよ本丸に攻め込んでみます~♪ (。◕ˇдˇ​◕。)/

井戸曲輪です!

いよいよ・・・本丸に攻め込んでみます!!!( `ー´)ノ楽しみです~♪

本丸に到着です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(*´ω`*)

『獅子ケ城』の本丸説明案内です!

本丸には虎口と呼ばれる出入口を4か所ありますが、虎口に繋がる道筋は厳しい山道になっており、本丸をしっかりと守っている感じがしますね。

本丸には鶴田氏のかな????誰のかわかりませんが墓標がありました(+o+)

獅子ケ城は私の様な『松浦党』に興味を持っている人だけではなく、山城好きな方であれば絶対に後悔しない最高の山城だとお勧めできます!!!
話は脱線しますが・・・私が松浦党に興味を持ったのは同僚の先輩が松浦党出身だったからです。そんな中、この『残照の波濤: 松浦党風雲録 / 著:牛尾日秀』を読んだからです。この佐賀県唐津から長崎県まで『松浦党』の武将たちが散らばって点在しており1069年~1600年の約550年間、戦国の荒波にもまれながら各一族が生き残りをかけて戦い続ける姿には感動しかありません!是非!皆さんもこの本を読んでみて下さい(o^―^o)

獅子ケ城周辺おすすめグルメ情報

獅子ケ城からクルマで30分のところにある『名代 井手ちゃんぽん 本店(佐賀県武雄市北方町)』に行ってみたのですが・・・・めちゃくちゃ超行列してて生き急ぐ俺には100%無理!ってことで断念してしまいました~( ノД`)シクシク… でもどぉしても食べたくて、『名代 井手ちゃんぽん 大和店(佐賀県佐賀市大和町)』に閉店まじかに飛び込みました!!!

せっかくなので『特製 ちゃんぽん』を注文していました~(〃艸〃)ムフッ   ほどなくして・・・無事に『特製 ちゃんぽん』が着丼しました♪

お???何だろう???想像よりも黒い!笑笑
この黒いのは『キクラゲ』らしく、特製ちゃんぽん(玉子・キクラゲ入り)なのだぁぁぁぁ(* ´艸`)クスクス

いつも思うのですが、ちゃんぽんって野菜がたくさんでボリューミーでまろやか!甘い(野菜の甘み?)感じがしますね~!!!俺のパターンはそんなちゃんぽんに死ぬほど胡椒を入れます!( `ー´)ノ

食べ終わって店を出たら・・・本日は終了していました・・・苦笑

名代 井手ちゃんぽん 大和店へのアクセス

獅子ケ城情報

築 城不明(1177年~1189年頃)
城 主源氏、鶴田氏
住 所栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8−33
種 別山城
廃 城1615年
特 徴県指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

獅子ケ城へのアクセス

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