指定史跡

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和田山城(石川県)

和田山城の感想 1506年頃に一乗谷城の越前守護朝倉貞景に追われた南加賀国一向衆の和田坊超勝寺が築いた城とされ、その後、大小の加賀国一向衆同士の小競り合いから、本願寺が和田坊超勝寺側に付き本願寺一向衆側として確立された様です。この辺は古墳が多く(前方後円墳や前方後方墳や円墳など、この辺一帯にも40数基もの古墳が築かれています!凄いですなぁ~Σ(・□・;) 和田山城も古墳を利用した平山城で、手取川南 […]

三増合戦場跡(神奈川県)

三増合戦場跡の感想 武田軍と北条軍が戦った三増合戦の場所になります。元々は今川・武田・北条の三国同盟を組んでいましたが、1560年桶狭間の戦いで今川義元が敗れ武田信玄が三国同盟を破棄して1568年今川領への侵攻を始めます。武田信玄は徳川家康と今川領の分割を条件に手を結びさすがに勝てないとなった今川氏真が1569年掛川城を開城し今川家は滅亡します。今川氏真は小田原北条氏の元に逃げて最終的には徳川家に […]

大聖寺城 / 錦城(石川県)

大聖寺城 / 錦城の感想 大聖寺(だいしょうじ)城は標高約67mの錦城山(古城山)に築かれた城で、築城の時期ははっきりしていませんが鎌倉時代に狩野氏によって築かれたと云われています。昔からあった城なのでモロモロ歴史はあった、例えば1335年に名越(なごえ)時兼(北条時兼)が南下し攻め込んできた時には狩野一族が大聖寺城に籠りこれを撃退したとの記録が残っていたり、1337年には新田義貞に加担した敷地伊 […]

小松城 / 芦城 / 小松の浮城(石川県)

小松城 / 芦城 / 小松の浮城の感想 小松城は先にレポート(城攻めを断念しましたが( ノД`)シクシク…)した、舟岡城の城主若林長門守が築いたと云われています。加賀国一向一揆衆と共に1576年に築かれた城です! 1580年に柴田勝家攻め込んだ際に落城させ、その後、佐久間政盛が1582年に加賀国に侵攻し平定しました。1583年に柴田勝家と羽柴秀吉が激突!!!!(# ゚Д゚)!!!賤ヶ岳の戦い(しず […]

二曲城 / 府峠城(石川県)

二曲城 / 府峠城の感想 『二曲』って書いて『ふとげ』って読みます!二曲城です(^◇^) 二曲城跡は、鳥越城の大日川対岸に位置していて大日川流域や小松方面の支城として築城されたようですね。この地は白山麓門徒の指導者であった鈴木氏の本拠であったとされ、鈴木氏の館の背後にある詰城であったんじゃないかと云われているみたいですねぇ(o^―^o)ニコその後、いつかわかりませんが白山麓本願寺門徒の長として鈴木 […]

鳥越城 / 別宮城(石川県)

鳥越城 / 別宮城の感想 手取川と大日川の合流点に位置する山の先端部を利用して築かれています。丘陵地ではありますが標高は312mの場所に主郭部が築かれており、1573年頃築かれたと思われますが築城者は不明です。城主としては鈴木出羽守と云う者が城主として入城していたとされています。城主の鈴木出羽守に指導された白山麓本願寺門徒は、南加賀一向一揆において最後まで頑強に抵抗し、1580年に織田信長配下柴田 […]

舟岡城/船岡城/剣城/八幡城(石川県)

舟岡城/船岡城/剣城/八幡城の感想 築城はわかっていませんが、この奥にある鳥越城の支城として築かれたんじゃないかと云われています。一向一揆衆の城としてあり、1580年に織田軍が一向一揆衆討伐のために侵攻し、織田信長の重臣佐久間盛政が1582年に一向一揆方の若林長門守を謀殺して落城させたと云われています。(その時に鳥越城も一緒に落城したようです) 1583年に前田利家が金沢城に入城すると、前田利家の […]

太田道灌の墓(洞昌院)(神奈川県)

太田道灌の墓の感想 神奈川県伊勢原市(洞昌院)にある太田道灌のお墓に行ってきました。このお寺(洞昌院)自体が太田道灌が開いたお寺とのことです。太田道灌は最後、先日あげた糟屋館/上杉館跡にて主君だった上杉定正に殺されてしまいます。そしてこの場所にお墓が建てられています。 太田道灌について簡単に説明しておきます。1432年にこのお墓などがある現在の神奈川県伊勢原市あたりで生まれたとされています。父は太 […]

富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑(石川県)

富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑 北陸鉄道の野々市工大前駅前に『富樫城 / 富樫館 / 富樫館跡 石碑』があります! 案内板がありますがそこには『この石碑は、昭和四十二年(1967年)にかな金沢工業大学と富樫卿奉賛会が館の存在を広く知らせるために建てたものである。石碑の裏には『富樫氏歴代の居館したところ富樫城とも云われる九艘川と新兵衛川を外壕とした區域である』と刻まれている。富樫館/守護所は […]

富樫館跡 / 守護所(石川県)

富樫館跡 / 守護所の感想 1335年に富樫高家が加賀国の守護大名となり、政務をとった館を築いたのが『守護所』であり『富樫館』とも呼ばれていました。富樫高家を初代と考えそれから1488年に第12代目と(1つ飛ばして)第14代目富樫家を継いだ富樫政親が加賀一向一揆衆たちに攻められ富樫氏の詰城だった高尾城に立て籠りますが攻め込まれて殺されてしまいます。その後も富樫泰高(やすたか)稙泰(たねやす)晴貞( […]

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