指定史跡

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国、都道府県、市区町村などで指定史跡として登録されているもの

十河城主の墓/十河一存・在保の墓(香川県)

十河城主の墓/十河一存・在保の墓の感想 十河城から歩いて2分・・・元々は十河城の二の丸だった場所に『十河城主の墓/十河一存・在保の墓』がありました!(十河歴史資料館もあるよ!) 十河一存(そごう かずまさ) 『鬼十河』と恐れられた猛将です!( `ー´)ノ三好長慶の弟として生まれ、讃岐の名門・十河氏の養子となった武将です。圧倒的な武勇で知られ、「鬼十河」の異名で全国の戦国大名から恐れられていました! […]

十河城/十川城/西尾城(香川県)

十河城/十川城/西尾城の感想 十河(そごう)城は高松市の南部に位置しており、東側を春日川、西側を前島川に挟まれた台地の北端に位置しています。台地の微高地を利用して本丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置し、周囲には深掘りされた水堀や土塁、切岸をめぐらせて防御力を高めていた平城(微妙な平山城!?笑)だったと思われます( `ー´)ノ南北朝時代から桃山時代まで約230年の間 十河氏の居城となっていたようです […]

昼寝城(香川県)

昼寝城の感想 昼寝城(ひるねじょう)は、香川県さぬき市多和の標高約280m(比高約130m)の要害に位置する中世山城です。へんてこな名前ですよねぇ~((´∀`))ケラケラ けど、城名とは裏腹にとても堅固な山城でした!!!! 一説には・・・周囲の地形があまりにも急峻で防御性能が高いため、『攻め寄せる敵など恐れるに足らず、城内で『昼寝』ができるほど安心な要害である』ということから名付けられたという話も […]

胆沢城(岩手県)

胆沢城の感想 胆沢城(いさわじょう)と読みます。胆沢城は、平安時代 802年に坂上田村麻呂が作ったと言われています。城というより時代的に「柵」(政治などの役所的なもの)になるかと思います。808年ごろに多賀城から軍政を司る「鎮守府」が遷されて10世紀後半頃まで鎮守府胆沢城として使われたとのことです。 胆沢城は大正時代に国指定史跡に指定されていて(だいぶ昔に指定されているんですね!)現在は令和元年6 […]

金ヶ崎城/金ヶ崎要害(岩手県)

金ヶ崎城/金ヶ崎要害の感想 平安時代に坂上田村麻呂が館を築いたという伝説もある岩手県の金ヶ崎城です!基本的に現在の遺構としては1591年に 伊達領にこの地がなった時に南部氏の領地と接しているために金ヶ崎要害として作られたとされているみたいです。その後、桑折氏や留守氏が金ヶ崎城に入り、1644年に伊達一族の大町氏が明治維新まで城主となったようです。 現在の金ヶ崎城ですが、概ね城の曲輪や土塁などの遺構 […]

師山城(宮城県)

師山城の感想 師山城(もろやまじょう)は、現在の宮城県大崎市古川師山字城山に位置する南北朝時代から戦国時代にかけての平城です!大崎平野の中央寄り、鳴瀬川と多田川が合流する付近に置かれた要衝で、奥州探題・大崎氏の初期拠点および対伊達氏防衛の最前線として非常に重要な役割を果たしていた様です。1337年頃に笠原重広が奥州に下向して師山城を築城したと云われており、当初師山城を居城としていましたが、笠原重広 […]

中新田城/御仮屋(宮城県)

中新田城/御仮屋の感想 中新田城は奥州探題大崎氏の居城であったとされる城の1つであり、大崎氏最後の当主となった大崎義隆が名生(みょう)城に移る前に居城としていた城がこの中新田城です( `ー´)ノ 大崎義隆が名生城に移った以降、中新田城には大崎氏の家臣である南条下総守隆信が城代として入った様ですね♪ 因みに・・・この!南条隆信は1588年に起きた大崎合戦で伊達政宗軍を中新田城で迎え撃ち撃退したみたい […]

名生館官衙遺跡(宮城県)

名生館官衙遺跡の感想 7世紀末って云うのだから・・・飛鳥時代?~平安時代に営まれた律令期の役所(官衙)跡の様です。大崎平野の北西部にあり標高40mで、周辺との比高10mほどの台地上に立地しています。 遺跡の範囲は南北1,100m・東西700mの広さがであります。中世奥州探題大崎氏の名生城としても有名らしいですね。って云うか、名生城として組み込まれ使われていたんだと想像します(`・ω・´)ゞ 継続的 […]

名生城/御所館/義隆館(宮城県)

名生城/御所館/義隆館の感想 名生(みょう)城の築城年代は定かではありませんが、南北朝時代に斯波家兼によって築かれたと云われています(=゚ω゚)ノ足利氏の流れを組んでいる斯波高経の弟の斯波家兼は奥州探題に任ぜられ下向し大崎氏の祖となり、大崎家兼の二男の兼頼が出羽国に進出し山形で最上氏の祖となった様です。つまり・・・大崎氏と最上氏は元々同じ流れを組む斯波氏の出なんですね~(。◕ˇдˇ​◕。)/けど・ […]

古川城(宮城県)

古川城の感想 古川城の築城ははっきりしていませんが、室町時代中ごろに大崎氏第7代目当主の大崎教兼(のりかね)の6男(誰なんだかわかっていません)が居館として構えたことが始まりとなり、後子孫は古川氏を名乗ったと思われ1532年~1555年頃には古川刑部少輔持熈(もちひろ)が城主であったと云われています。また、古川刑部持慧(もちさと)と古川弾正忠隆(ただたか)が大崎氏の家臣だった記載もあり、古川氏を名 […]

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