小山城 / 祇園城(栃木県)
小山城 / 祇園城の感想 『小山城』は小山市城山町の思川沿いにある城で、別名は『祇園城(ぎおんじょう)』と呼んでおり、地元の方々は主に『祇園城』と呼んでいるようです。『小山城跡』は『小山氏城跡』と呼ばれる『鷲城』・『祇園城』・『中久喜城跡』をひとつにまとめ『祇園城』とされ国の史跡とされているみたいですねぇ。。。(ややこしぃ~苦笑) 『祇園城』にするのが一番なのかもしれませんが、『関ケ原の戦い』の前 […]
栃木県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。
小山城 / 祇園城の感想 『小山城』は小山市城山町の思川沿いにある城で、別名は『祇園城(ぎおんじょう)』と呼んでおり、地元の方々は主に『祇園城』と呼んでいるようです。『小山城跡』は『小山氏城跡』と呼ばれる『鷲城』・『祇園城』・『中久喜城跡』をひとつにまとめ『祇園城』とされ国の史跡とされているみたいですねぇ。。。(ややこしぃ~苦笑) 『祇園城』にするのが一番なのかもしれませんが、『関ケ原の戦い』の前 […]
栃木城の感想 栃木駅の近くにああります・・・『栃木城』です!!!(〃艸〃)ムフッ なかなか行けない城は勢いで行っちゃってから、後で調べてみて驚き(楽しみ)があるのですがぁぁぁ~♪♪♪『皆川城』の皆川広照の時代に、山城から平山城に移すべく築かれたのが『栃木城」らしいです! 栃木城は、1591年に、皆川広照の居城だった皆川城にかわって築かれたとされ、本丸や東二ノ丸とか、蔵屋敷や東三之丸、南三之丸からな […]
大田原城 / 龍城 / 龍体城の感想 『大田原(おおたわら)城』は、大田原資清(おおたわらすけきよ)によって築城され、1543年~1545年には大田原氏の本拠としていたと思われます。大田原氏は元々『大俵氏』だったらしく、14代だった資清の代に「大田原」に改姓したらしいですね。。。この辺の判断など、大田原資清の判断力と実行力には結果的に驚かされますね(〃艸〃)ムフッ大田原氏は那須氏の有力武将の『那須 […]
黒羽城の感想 黒羽城は現在の栃木県大田原市(下野国)にある県北でも那須烏山城と同様に大規模な山城で、白旗城にいた大関高増が新たに黒羽城を築き自らの居城として移り住んだ様です。この大関高増は元々は大田原資清の長男でしたが戦略上大関氏へ養子に出され、大関氏の家督を継いだものと思われます。那須氏の傘下にいましたが1560年小田倉の戦い(白河結城氏と蘆名氏が那須氏を滅ぼすために侵攻した戦い)で、数で劣る那 […]
下野 白旗城の感想 兵庫(播磨国)赤松氏の城で白旗城があるので、ここでのタイトルは『下野 白旗城』とさせて頂きます。白旗城は1394年~1428年ぐらいに大関増清によって築かれた城と云われており、この頃の大関氏は那須家に属した武将集団『那須七騎(主家の那須氏と、一族の蘆野氏・伊王野氏・壬本氏・福原氏と、重臣だった大田原氏とこの大関氏)』の旗頭だった大関氏が大関城から拠点を白旗城に移し築城した(大関 […]
大関城の感想 関東に住んでいてイロイロ歴史の事を調べていると『大関氏』と云う一族の名を知ることが出来ます。大関氏を調べてみると、大関氏は武蔵七党(横山党・猪俣党・児玉党・村山党・野与党・西党・丹党の七党)の丹党の末裔と云われており本姓は『丹治(たじひ)』氏と云われているみたいです。しかしそれはイロイロあって大関高増が大田原氏から養子に入った時に大関氏の系図を書き直し(虚偽)て丹治氏を名乗った疑いが […]
那須与一の墓の感想 全国で約六ヶ所(もっとあるのかもしれませんね)あると云われている源平の合戦で活躍した『那須与一の墓』が栃木県の那珂川町(なかがわまち)恩田(おんだ)の地にありました。 那須与一は死後、京都の即成院(そくせいいん)に葬られましたが、分骨され那須の地の福原玄性寺(げんしょうじ)に移され、那須与一公とその一族のために供養碑を建てられたものと伝えられています。 那須与一の墓画像ギャラリ […]
下野 壬生城 / 馬蹄城の感想 広島(安芸)にも壬生城が存在(有名か有名じゃないかは別として!苦笑)するため、あえてタイトルは『下野 壬生城』にさせて頂きます!(^▽^)/ 壬生城は壬生 胤業(たねなり)とも壬生 綱重(胤業の息子)とも云われており、胤業が壬生城の近くに今でいう古城を築き綱重が現在の壬生城を築いたらしく、古城も併せ壬生城であったのではないかと思います。これはこの土地に来てみないと感 […]
足利氏宅跡(鑁阿寺)の感想 足利義康を祖とする足利氏の館跡に行って来ました。鑁阿寺(ばんなじ)として本堂が国宝に指定されており、途中で修繕されているとのことですが、1299年に建てられたとのことです。震災など地震もありながら今でも残っていることが奇跡に感じます。今後も大事に残してほしいですね。この足利氏館は義康の息子である足利氏2代目の義兼によって1197年に建てられたとのことです。この義兼の妻は […]
足利城(両崖山城)の感想 藤性足利氏の初代、足利成行(あしかがしげゆき)のお城になります。築城はなんと西暦1054年と1000年以上も前に築城されたお城。両崖山は高さは258.6mとそれほど高い山に感じませんが実際はかなりの険しい岩山の上にあるお城になります。遺構的なものは本丸以外あまりよくわからないですが、二の丸、馬場、武者走りなどがあるようです。この足利城は戦国時代には足利長尾氏のお城として使 […]