西山肥後守通倫之墓(愛媛県)
西山肥後守通倫之墓の感想 花見山城内に『西山肥後守通倫之墓』がありました!(`・ω・´)ゞ 西山通倫(みちとも)は代々花見山城の居城としていた西山氏の第4代目城主が西山通倫です。この西山通倫はこの地方の地域の発展や開発、村人の救済に尽くした功績が非常に高い城主だった様で村人からの人望はとても高かった城主なんだと思います。因みに・・・西山氏第6代目当主の西山通周(みちちか)も同様に地域の発展に尽力し […]
武将や大名などにまつわる場所を表示しています。
西山肥後守通倫之墓の感想 花見山城内に『西山肥後守通倫之墓』がありました!(`・ω・´)ゞ 西山通倫(みちとも)は代々花見山城の居城としていた西山氏の第4代目城主が西山通倫です。この西山通倫はこの地方の地域の発展や開発、村人の救済に尽くした功績が非常に高い城主だった様で村人からの人望はとても高かった城主なんだと思います。因みに・・・西山氏第6代目当主の西山通周(みちちか)も同様に地域の発展に尽力し […]
河野通清公供養塔の感想 そもそも河野通清ってどんな人かと云えば、平安時代末期に伊予国の豪族であった越智氏の流れを汲む河野通清は、代々受け継いだ風早の地高縄山城を拠点に勢力を誇っていました。河野家の当主が代々その名に用いる『通』の字(通字)を本格的に定着させ、河野氏を歴史の表舞台へ押し上げた実質的な開山祖です。1180年に伊豆国で源頼朝が平家打倒の挙兵を果たすと、河野通清はその令旨(呼びかけ)に呼応 […]
香川民部少輔の墓の感想 香川民部少輔(かがわ みんぶのしょう)の墓とありますが、『民部少輔:みんぶのしょう』とは『官位』ことなので、当時を考えると香川之景(ゆきかげ)で西庄(にししょう)城の城主・・・元々は天霧城の城主だった香川氏の一族です(‘◇’)ゞ 戦国時代の西讃岐(香川県西部)を治めた絶対的実力者でありました。香川氏は室町幕府の讃岐守護代を務めた名門の家柄でありなが […]
十河城主の墓/十河一存・在保の墓の感想 十河城から歩いて2分・・・元々は十河城の二の丸だった場所に『十河城主の墓/十河一存・在保の墓』がありました!(十河歴史資料館もあるよ!) 十河一存(そごう かずまさ) 『鬼十河』と恐れられた猛将です!( `ー´)ノ三好長慶の弟として生まれ、讃岐の名門・十河氏の養子となった武将です。圧倒的な武勇で知られ、「鬼十河」の異名で全国の戦国大名から恐れられていました! […]
六車宗旦の墓の感想 六車城の直ぐ近くに『六車宗旦の墓』がありました。六車宗旦とは・・・雨滝城の城主であり主君であった安富盛定(やすとみもりさだ)が1572年に三好長治の命により居城を雨滝城から虎丸城へ移された際に、安富盛定の代わりに六車城から雨滝城に入城し城主になったのが六車宗湛であり、またの名前(法名かもしれませんね)六車宗旦であったんじゃないかと思われます( `ー´)ノ その六車宗旦の墓がこの […]
源義経 衣川古戦場跡の感想 1189年に藤原泰衡が、源頼朝の圧力に耐えきれず、源義経の衣川館を攻撃し、義経を自害に追い込んだとされる場所、源義経終焉の地になります。「奥州平泉の役」としてモニュメントがありました。さらにその前の時代の前九年の役や後三年の役なども一緒に刻まれています。源義経は関係ないですが、この場所が平安時代から戦い場所として選ばれてきたことがわかりますね。 源義経と言えば大河ドラマ […]
藤原泰衡の首洗い井戸の感想 鎌倉時代、奥州藤原氏最後の当主(第4代)で、源義経を大将に頼朝と戦うことを目指しますが、結局は鎌倉幕府の圧力と朝廷を通じた討伐令に耐えられず義経を自害に追いやった武将になります。1189年、源頼朝から義経を匿ったことでお咎めを受けて幕府と戦うことになります。結局泰衡は負けて敗走するのですが、平泉から河田次郎に助けを求めて贄の柵(にえのさく)(現在の大館市)に逃げますが、 […]
山口玄蕃頭宗永公之碑の感想 大聖寺城の城内本丸の場所に『山口玄蕃頭宗永公之碑』がありました(`・ω・´)ゞ かつての大聖寺城主の山口宗永(玄蕃頭)とその息子・修弘(むねひろ)の最期を追悼し、その忠義を後世に伝えるために建てられた顕彰碑(慰霊碑)だそうです。 山口宗永は、元々は織田家臣の丹羽長秀に仕え、のちに豊臣秀吉の直臣(側近)として山城国の宇治田原城や近江国の大石淀城の城主にもなり重用された武将 […]
太田道灌の墓の感想 神奈川県伊勢原市(洞昌院)にある太田道灌のお墓に行ってきました。このお寺(洞昌院)自体が太田道灌が開いたお寺とのことです。太田道灌は最後、先日あげた糟屋館/上杉館跡にて主君だった上杉定正に殺されてしまいます。そしてこの場所にお墓が建てられています。 太田道灌について簡単に説明しておきます。1432年にこのお墓などがある現在の神奈川県伊勢原市あたりで生まれたとされています。父は太 […]
高山右近の碑の感想 高山右近の高山氏は摂津国三島郡高山庄出身の国人衆で、高山右近も荒木村重の家臣として摂津国の戦国武将として活躍していました。荒木村重が織田信長に謀反を企てると、村木村重の謀反を知った右近はこれを翻意させようと考え、妹や息子を有岡城に人質に出して誠意を示しながら謀反を阻止しようとしたが失敗してしまいます。織田信長は摂津国の高槻城主だった高山右近を味方につけるべく畿内の宣教師達を説得 […]