黒田職隆廟所(兵庫県)
黒田職隆廟所の感想 黒田職隆(くろだもとたか)は黒田官兵衛の父親で、黒田長政の祖父になります。ものすごい武功を上げたという人物ではありませんが、縁の下の力持ち。もしくは映画やドラマなら名バイプレイヤーのような存在で黒田家になくてはならない人物と言えます。黒田職隆が判断を誤っていれば黒田家は滅んでいたかもしれなかった史実などを知ると黒田職隆の魅力がわかるのでは無いでしょうか? 大河ドラマ軍師官兵衛で […]
黒田職隆廟所の感想 黒田職隆(くろだもとたか)は黒田官兵衛の父親で、黒田長政の祖父になります。ものすごい武功を上げたという人物ではありませんが、縁の下の力持ち。もしくは映画やドラマなら名バイプレイヤーのような存在で黒田家になくてはならない人物と言えます。黒田職隆が判断を誤っていれば黒田家は滅んでいたかもしれなかった史実などを知ると黒田職隆の魅力がわかるのでは無いでしょうか? 大河ドラマ軍師官兵衛で […]
母里太兵衛生誕之地の感想 母里太兵衛生誕之地へ行ってきました。母里太兵衛といえば黒田官兵衛の家臣で黒田二十四騎のうちの一人とか黒田八虎のうちの一人として非常に有名ですね。個人的には大河ドラマの軍師官兵衛で速水もこみちさんが演じられていたのが記憶に残っています。軍師官兵衛でも演じるシーンが出てきますが、母里太兵衛といえば、黒田長政からの命で福島正則の屋敷へ行くことになり福島正則からお酒を勧められます […]
福島正則の墓の感想 福島正則さんのこと知っていますか!?!?!?!?(〃艸〃)ムフッ 福島正則さんは幼名を『市松』といい、尾張の国二つ寺村で桶屋を営む家の長男だったみたいです。再婚された母親がたまたま豊臣秀吉の母(大政所)だったため、身内として豊臣秀吉に重要視されたようですね~(⌒∇⌒) 幼名、市松は相当の暴れん坊だったみたいで、盗人を捕まえ一刀両断したとか!?!?!?いろんな話が上がるほどの暴れ […]
黒田家廟所の感想 御着城のすぐ隣に黒田家廟所がありました。ここの墓所には黒田重隆(くろだしげたか)黒田官兵衛の祖父と明石正風(あかしまさかぜ)の娘=黒田職隆(くろだもとたか)の正室で黒田官兵衛の母親のお墓があります。また、明石正風(あかしまさかぜ)の娘は黒田家の主君である小寺 政職(こでら まさもと)の養女にもなる方です。つまり黒田官兵衛から見るとおじいちゃんと母親のお墓ということになりますね。こ […]
笠原新三郎(清繁)首塚の感想 笠原新三郎(清繁)は志賀城の城主で武田晴信(信玄)との戦いで敗れた武将です。佐久地域を収めたい信玄が1546年に志賀城を攻めて、笠原新三郎は関東管領だった上杉憲政に援軍を依頼しますが、武田軍は援軍を志賀城に近づける前に碓氷峠の辺りで打ち破ります。その時に討ち取った敵将と敵兵の首を武田晴信(信玄)は志賀城の周りにおよそ3000も並べたと言われております。それから、程なく […]
今川氏親の墓の感想 1473年、駿河国の守護大名だった今川義忠の嫡男として生まれました。幼名は龍王丸(たつおうまる)です!(^▽^)/ 今川義忠の奥さん(氏親の母親)は北川殿と呼ばれ、あの北条早雲(伊勢盛時 → 伊勢宗瑞)の姉とされています。 まだ氏親が龍王丸だったころ今川家は混乱の最中でした!1476年に今川義忠が遠江国の塩買坂での戦で戦死してしまいます。龍王丸は未だ幼少だったため、家臣の三浦氏 […]
竹原小早川家墓地の感想 竹原小早川家の墓地が手島屋敷跡のすぐ近くにありました( `ー´)ノ そこには『竹原小早川家墓地』の案内板があり、それによると・・・『宝篋印塔約10基、五輪塔約20基ほどある様です。あらためて木村城の西北の方角にあたる場所にあり竹原小早川家の墓所として間違いないようです。。。殆どが中世末期の様式らしく、墓所から一段高い尾根上にある二基の宝篋印塔は、小早川隆景(毛利元就の三男) […]
友田興藤の墓の感想 友田氏はもともとは佐伯氏だった様ですね。安芸国佐西郡桜尾城主であったとされ、後に友田村に住み友田氏と名乗ったようです。友田氏は代々厳島神社に関わり合いを持ちながら、大内義興と共に京に上り西軍側として戦っているが1518年に大内義興と共に友田興藤も帰国した際に、大内義興に神主職の裁定を愁訴したみたいですが、大内義興は桜尾城や己斐城に城番を送り込んで神領(厳島神社領)を接収してしま […]
陶晴賢の墓の感想 陶晴賢は、周防国・長門国を中心に石見国、豊前国、筑前国を支配した大内氏の重臣を代々務めている大内氏の一族で、父である陶興房(実は養父)の跡を継ぎ、大内義隆の重臣として大内家の屋台骨(特に軍事方面)を支えた武将です。当時は陶隆房(大内義隆から一字もらい受けて)と名乗っていました。 主君である大内義隆が出雲遠征(尼子討伐)に失敗すると、大内義隆は軍事面に無関心となり文化や宴などに没頭 […]
市川少輔七郎元教の墓の感想 市川元教(いちかわもとのり)は毛利家の家臣で、山口奉行を務めていた重臣の市川経好(いちかわつねよし)の嫡男です。1578年に豊後国の大友宗麟の内応に加担し反乱を企てましたが、父である市川経好にバレてしまい市川経好の密命を受けた雑賀隆利と内藤元輔らにより殺害されたと云われています。めちゃめちゃ不思議ですよね・・・市川経好は元々吉川家にいた重臣で当時吉川家の当主だった従兄の […]