寺林城(岩手県)
寺林城の感想 寺林城(てらばやしじょう)は鎌倉時代、1279年に河野通重(かわのみちしげ)によって築城されたと言われています。名前だけ見た時に甲斐の武田家臣の河野通重が最後は岩手県に来ていたのか。と思いましたが同名の別の武将でしたね。ただ、伊予国(愛媛県)の河野氏の家系であることはどちらの武将も変わらないので、同じ家系の別時代の同姓同名の武将ということになります。ややこしい笑 でも、鎌倉時代に伊予 […]
寺林城の感想 寺林城(てらばやしじょう)は鎌倉時代、1279年に河野通重(かわのみちしげ)によって築城されたと言われています。名前だけ見た時に甲斐の武田家臣の河野通重が最後は岩手県に来ていたのか。と思いましたが同名の別の武将でしたね。ただ、伊予国(愛媛県)の河野氏の家系であることはどちらの武将も変わらないので、同じ家系の別時代の同姓同名の武将ということになります。ややこしい笑 でも、鎌倉時代に伊予 […]
太田城の感想 『戸沢三十五城』のひとつとされる太田城です(=゚ω゚)ノ大仙市にある太田城跡は小神成(こがなり)地域の隣「築地古館」と呼ばれる場所にある城館跡です。現在は、大仙市太田支所や幼稚園敷地となっています。築城は太田四郎秀頼が築城したと云われており、その後の書物には『太田城は太田小治郎某の居城』とされている様で、1587年の唐松野合戦においては太田源七郎名が記載されている様です。東西65m× […]
角館城/小松山城/古城山城の感想 1424年頃、門屋城の戸沢氏は南に約9km先の角館城に移動し居城としたらしいのですがそれもいろいろったらしく、角館城の前身の小松山城を築城したと云われる戸沢家重臣の菅能登守利邦(若しくは、角館能登守)が上浦郡の小野寺氏と通じて戸沢氏に対し謀叛を起こしたため、主君の戸沢飛騨守家盛は謀反がわかると小松山城(角館城)に攻め込み菅能登守利邦(角館能登守?)を討伐し小松山城 […]
山崎館/白坂館/加治館の感想 山崎館(やまざきだて)と呼ぶようです。館主は白坂右近太夫であったと云われているみたいですね。近くには泉館や大堤館という館跡もあります。距離も距離なだけに何かしらの関連性も考えられますがよくわかっていません。山崎館は白幡神社の背後にある丘陵に築かれており、現在は登山道が整備されている様ですが、行った際は熊が頻繁に出没していたため入口で断念しました。 山崎館/白坂館/加治 […]
秋田城の感想 秋田城の歴史はめちゃくちゃ古いですね~((+_+))一応、城と表記をしていますが元々は『城柵(じょうさく)』と云うみたいです。『城柵』とは、7世紀(601年~)~11世紀(~1100年)の古代日本において大和朝廷(ヤマト王権、中央政権)が、本州北東部を征服する事業の拠点として築いた施設だったようで、『城柵』は朝廷が蝦夷の居住地域に支配を及ぼすための拠点となる政治の中心の施設だったと思 […]
浦城の感想 浦城は現在の秋田県南秋田郡八郎潟町にある山城で浦城は三浦兵庫守盛永(みうらひょうごのかみもりなが)の居城でした。三浦氏は現在の神奈川県三浦半島の衣笠城に居住し『三浦平太』と姓を改めたのが三浦家(こっちの方が有名ですね)の元祖となった一族で、この三浦家に関係する三浦の名前が出てくるのは今から約450年前。始祖であるとなったのが三浦兵庫頭盛永(みうらひょうごのかみもりなが)でみたいです( […]
脇本城の感想 脇本城は知る人ぞ知る!男鹿半島から日本海を臨む東日本屈指の規模を誇る山城で、その広さは150haに及ぶ想像もつかないぐらいの大規模な山城で、標高約100mの丘陵を活かし整備した土づくりの城で石垣は存在していません。私が脇本城を知ったのは安東愛季(あんどうちかすえ)の存在で、この脇本城を居城にしようと改築を行っていたみたいです。 安東氏は元々安部氏といい、その昔、平安時代の頃は陸奥国( […]
和田山城の感想 1506年頃に一乗谷城の越前守護朝倉貞景に追われた南加賀国一向衆の和田坊超勝寺が築いた城とされ、その後、大小の加賀国一向衆同士の小競り合いから、本願寺が和田坊超勝寺側に付き本願寺一向衆側として確立された様です。この辺は古墳が多く(前方後円墳や前方後方墳や円墳など、この辺一帯にも40数基もの古墳が築かれています!凄いですなぁ~Σ(・□・;) 和田山城も古墳を利用した平山城で、手取川南 […]
大聖寺城 / 錦城の感想 大聖寺(だいしょうじ)城は標高約67mの錦城山(古城山)に築かれた城で、築城の時期ははっきりしていませんが鎌倉時代に狩野氏によって築かれたと云われています。昔からあった城なのでモロモロ歴史はあった、例えば1335年に名越(なごえ)時兼(北条時兼)が南下し攻め込んできた時には狩野一族が大聖寺城に籠りこれを撃退したとの記録が残っていたり、1337年には新田義貞に加担した敷地伊 […]
今江城 / 御幸塚城の感想 今江城は御幸塚(みゆきづか)城とも云い、花山法皇の御幸があったことが由来しているからだそうです。。。築城は不明ですが富樫氏が加賀国の守護大名になる前の富樫泰高の頃に今江城を築いたのではないかと云われています。 1488年に長亨の一揆(高尾城攻防戦)が勃発すると、加賀一向一揆勢に対し富樫泰高はこの今江城に籠城したと云われています。 富樫政親の代になり富樫氏が加賀国守護とな […]