七沢城(神奈川県)
七沢城の感想 七沢城に訪問してきました。現在は七沢城があった山全体がほぼ、AOI七沢リハビリテーション病院になってしまっており、遺構はあまり残っていないのですが、七沢城の案内板はいくつも建てられていて、城跡だということは分かりやすくしてくれております。 七沢城の歴史ですが、1450年に鎌倉公方である足利成氏(しげうじ)と、関東管領山内上杉憲忠(のりただ)の重臣たちの間で争いが起こり、上杉方に攻めら […]
七沢城の感想 七沢城に訪問してきました。現在は七沢城があった山全体がほぼ、AOI七沢リハビリテーション病院になってしまっており、遺構はあまり残っていないのですが、七沢城の案内板はいくつも建てられていて、城跡だということは分かりやすくしてくれております。 七沢城の歴史ですが、1450年に鎌倉公方である足利成氏(しげうじ)と、関東管領山内上杉憲忠(のりただ)の重臣たちの間で争いが起こり、上杉方に攻めら […]
池和田城の感想 鎌倉時代の名門、三浦氏の一族がこの地に移った和田正治が築いたと云われています。池和田の地名も和田氏に由来するもんなのかなぁ???(=゚ω゚)ノ 戦国時代に入ると和田氏ではなく多賀氏が池和田城の城主となり、常に里見氏と行動を共にした様ですね。池和田城主多賀高明は里見義堯(さとみよしたか)に従軍し第一次国府台合戦・第二次国府台合戦に参戦。結果はすべての合戦に惨敗し勝ちに転じた後北条氏は […]
奥津城 / 興津城 / ゆうげの城の感想 千葉県勝浦市興津字要害にある山城の奥津城/興津城(おくつじょう)です( `ー´)ノ奥津城は1258年頃に地元の武将佐久間兵庫介重吉とその子佐久間兵庫頭重貞によって築城されたと云われています。その後は、真里谷(まりがやつ / まりやつ)氏(真里谷氏は上総武田氏ですね!)や正木氏の傘下に入ります。正木氏が奥津城/興津城を傘下に治めたのは1544年頃だと思われ、 […]
東別府氏館/別府城の感想 東別府氏館は元々別府氏の別府城だった様で、途中で次男の別府行助が西別府氏館を構え移っていったため、別府城は東別府氏館と呼ばれるようになった様です。 別府氏は元々成田氏の流れを組む一族らしく、成田氏館を築城した成田助高の二男の成田行隆が別府の地を領有し別府氏を名乗ったのが始まりだと云われており、別府行隆の長男義行が東別府氏館/別府城を築き居城したと思われます。別府氏は源頼朝 […]
反町館跡/新田義貞公古城跡の感想 新田義貞の居城とも言われている反町館に行ってきました。築城は鎌倉時代から南北朝時代頃とされているので、13世紀から14世紀ごろでしょうか?最初は一重の掘りだったようですが、戦国時代には三重堀に拡張されたとのことです。現在の堀跡は道路工事などで当時のものというわけではないみたいですが、綺麗な水堀なので見る価値ありです! お城の遺構らしきものはほとんど残っていないです […]
平井金山城/金山城の感想 平井金山城は平井城の詰城になります。詰城とは戦いの時に籠るお城のことを言います。平時は生活しやすい麓に平城を建てて生活し、戦になると山城など概ね高いところに作ってある詰城を使用して落城させないようにしているお城が多くありました。同じ群馬県内にもう一つ有名な金山城(新田金山城)と区別するためにこちらは平井金山城と呼ばれます。平井金山城の歴史ですが、1466年に上杉顕定によっ […]
藤岡城/芦田城の感想 藤岡城は方形の平城のお城だったようです。1590年に築城なので、戦国時代末期に建てられたお城ということになります。築城主は依田(芦田)康勝で1590年に小田原攻めで後北条氏が滅んだことによる、徳川家康の関東移封で家康から藤岡に3万石をもらったとのことです。しかし、康勝は1600年に大阪で囲碁で同僚の小栗三助と喧嘩になり小栗三助を殺害してしまいます。康勝はそのまま高野山に蟄居さ […]
山名城の感想 山名城は武田信玄の家臣、木部氏のお城ですが、1395年に尹良親王(ゆきよししんのう)が築城したとされています。山名城があるのは観音山丘陵と呼ばれる丘になるみたいですが、この丘陵には5つの城址があり、1、寺尾上(てらおかみ)城、2、寺尾中(てらおなか)城、3、茶臼山(ちゃうすやま)城、4、根小屋(ねごや)城、5、山名(やまな)城の5つになります。表現としてはあったという方が正しいのかも […]
中牧城/浄古寺城の感想 武田信玄の時代この地を北国防備強化をするために、1548年に地元の豪族大村氏に命じて中牧城/浄古寺城を築城させたと云われており、大村加賀守・大村伊賀守が城主となっています。1582年に武田勝頼が討たれ甲斐武田家が滅亡すると中牧城はそれでも徹底抗戦を行います。しかし、徳川家康に反抗して敗れ落城・・・徳川家康入国後は家臣の内藤三左衛門が城代となり1589年今の規模へ修築したみた […]
連方屋敷跡(古屋氏館跡)の感想 どこのどいつか築いた館跡なのかわかりませんが、案内板の説明と後でモロモロ調べてみたら、戦国時代の時に甲斐武田氏の蔵前衆(甲斐武田家でいう蔵前衆は『金・銀』『米穀』などの重要な蔵を管理する役職)だった古屋(ふるや)氏の館であったと思われ、私はあえて連方屋敷跡の後に(古屋氏館跡)と記載させて頂きました(。-_-。) 連方屋敷跡はきれいに当時を教えてくれるメチャクチャ素敵 […]