曲輪

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曲輪の残っているお城

安芸城 / 安芸(安喜)土居(高知県)

安芸城 / 安芸(安喜)土居の感想 長宗我部元親にとって、土佐国の西の雄は一条氏(一条兼定)であり東の雄はこの安芸城を居城とする安芸氏(安芸国虎)だったと云え、土佐国においても最大の勢力を持っていたと思われます。安芸氏の祖先は蘇我赤兄(『そがのあかえ』と呼ぶそうです。。。蘇我って・・・めちゃめちゃ古くねぇΣ(・□・;))とし古くからこの安芸の地を有する武将だった様で『土佐七雄』の一角に数えられてい […]

本山城(高知県)

本山城の感想 いよいよ本山城・・・高知県(土佐国)です(^▽^)/ 本山城は本山氏の居城で、本山氏は清和源氏の流れを組む吉良氏の一族の八木氏とか、平家の流れを組む八木氏とかとも云われており、八木氏が土着しこの土地の『本山』を名乗ったともされています。全盛期は本山茂宗(梅慶)であり5千貫の領地を有してたと云われています。本山茂宗は土佐七雄の中では最も勢力が強力だったとされ、山深い土佐北部から出て経済 […]

白地城(徳島県)

白地城の感想 白地城は四国の中央部の山間地に立地し、西の境目峠を越えると伊予国に・・・北の猪ノ鼻峠を越えると讃岐国に・・・東の吉野川を下っていくと徳島平野が広がる阿波国に・・・そして南の大歩危小歩危という難所を越えると土佐国に行ける、四国の中心地であることがよくわかります。調べてみると、白地城の大西氏は細川の流れでも小笠原(三好)の流れでもなく、白地の地の荘官だった近藤京帝が白地城を構え大西氏を名 […]

重清城(徳島県)

重清城の感想 重清城は1399年に小笠原長親によって築城された城と云われており、1577年に重清城の城主だった小笠原長政は、約25km離れた白地城の大西覚養の弟で、長宗我部元親に人質として出されていた大西頼包と中鳥城主の久米刑馬(川島城の川島氏と関係が深い一族とも云われているみたいです)に二人によって殺害され、一度、長宗我部に降り弟を人質に出したが三好氏に復帰し長宗我部氏を裏切ったため、長宗我部元 […]

岩倉城(徳島県)

岩倉城の感想 岩倉城は現在の徳島県美馬市にある城で近くには脇城もあり、この岩倉城と脇城とが連携し三好氏がこの一帯を強く支配をしていたことがわかる城ですね。。。(^▽^)岩倉城主で代表的なのは、三好長慶の叔父である三好笑岩(みよししょうがん/元々は三好康長と云い隠居して笑岩/咲岩と称したようですね)の城と云われており、戦国の動乱期は三好笑岩は近畿の織田政権・豊臣政権との駆け引きを展開する一方、この岩 […]

脇城 / 虎伏城(徳島県)

脇城 / 虎伏城の感想 脇城は三好長慶が築いた城であり、蜂須賀家政の頃は『阿波九城』のひとつとされた城なので城攻めしてみたのですが、実は後でよくよく調べてみると面白く不思議な城であったと思いました!((´∀`*))ヶラヶラ 元々は脇権守と云う武将が館を構えたのが最初らしいですね。1533年に三好長慶が阿波国の西側の防御のために脇城をあらためて築いたらしく、三河守兼則が城主として入城していたらしい。 […]

上桜城(徳島県)

上桜城の感想 吉野川沿いの四国山脈の北側に位置し、標高142mの山に築かれた山城が『上桜城』です。吉野川沿いに築かれた川島城からは約1㎞の場所に位置しており、上桜城が落城してから川島城が築かれたことからも、この辺一帯が当時の国政において重要な場所だったことがわかりますね!また、上桜城の城主は篠原長房で、篠原長房は三好長慶の弟三好実休の家臣で、三好長慶・実休と共に畿内を転戦し成果を上げていた勇将であ […]

川島城(徳島県)

川島城の感想 川島城は吉野川沿いに築かれた中世の平山城で、地元の土豪の川島兵衛之進(川島惟忠)が築いた城です。川島氏がこの地を与えられ川島城を築くに至るまでに、元々は三好実休の重臣であった篠原長房が支配をしていましたが、三好家の内紛により絶対的執権だった篠原長房が滅ぼされたため、篠原長房の居城であった上桜城に代わり川島城は築かれたようですね。。。 1585年に蜂須賀家正(蜂須賀小六(正勝)の息子) […]

一宮城(徳島県)

一宮城の感想 長宗我部元親ファンの俺には『一宮城』は念願のお城です!(〃艸〃)ムフッ 一宮城は南北朝時代に築かれた山城で、本丸部分は標高約144mとなり本丸以外にも明神丸・小倉丸・才蔵丸・稚丸・水ノ手丸など山全体に多くの丸を築いています。北側には鮎喰川・東側には船戸川と園瀬川が天然の濠となった、なかなか堅固で大規模な山城では徳島県内で最大級の山城であることは間違いないですね!!!!(*`艸´)ウシ […]

高天神城(静岡県)

高天神城の感想 高天神城へ行ってきました!静岡県で行きたかったお城の一つです。高天神城は武田信玄・勝頼親子の徳川・織田との戦いの中心になったお城。元々は今川氏の支城であったが、今川氏が滅亡し取り合いになり、徳川が援軍を送れずに武田に攻められて高天神城の城主であった小笠原氏が城を開城し武田側のお城となりました。この時に難攻不落の高天神城を開城させたのは武田信玄ではなく息子の勝頼でした。武田を滅ぼした […]

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