曲輪

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曲輪の残っているお城

新庄城(奈良県)

新庄城の感想 新庄城は平田荘の荘官より成長した有力国人のひとり布施氏が築いた城だと云われており築城された年は不明です。布施氏は筒井氏との関係が深く、松永久秀が大和国に侵攻してくると筒井順慶は敗走を重ねて勢力を失墜してしまいます。多くの国人衆が松永久秀に屈するなかで、布施氏は筒井氏への誼を捨てず松永久秀に頑強な抵抗を続けます。そして、福住氏、山田氏、秋山氏らと抵抗戦線を結び、筒井城を失って没落した筒 […]

片岡城 / 下牧城(奈良県)

片岡城 / 下牧城の感想 ここは面白そうな城だな!って思って訪問しましたが・・・結論から言えば・・・断念しました!!!( ノД`)シクシク… 心残りのお城です。 奈良県北葛城郡上牧町にあります『片岡城』です(`・ω・´)ゞ 上牧町にあるのに別名は『下牧城』ですってぇぇぇ笑((´∀`))ケラケラ いつ築城されたかははっきりわかっていませんが、室町時代に片岡氏が築城したと云われています。1498年に畠 […]

西宮城(奈良県)

西宮城の感想 西宮城は『西宮古墳』を利用した城だったと思われ、ちょうど嶋氏の居城だった椿井城と松永久秀の信貴山城の間の盆地に築かれた城です。椿井城もそうなのですが筒井氏の家臣だった嶋氏の城だったとされ、松永久秀が椿井城を奪った際にこの西宮城も奪われ支配されていたんじゃないかと思います。また、北側には下垣内(しもがいと)城が築かれており、西宮城と下垣内城の間には大きな谷間(人工なのだろうかぁぁぁ?) […]

松永屋敷跡(奈良県)

松永屋敷跡の感想 信貴山城からの続きで・・・信貴山城から徒歩5~7分ぐらいの所に『松永屋敷跡』がありました!!!\(◎o◎)/!あまり調べていなくて現地で偶然気が付き『え???屋敷ってだいたい山城の麓に造っているケースが多く、戦になるとみんなで山城に登って籠るんじゃないの?』って勝手に思っていましたの何だろうあぁ???って思って向かってみました。信貴山城の土塁を感じながら下っていくとありました♪  […]

信貴山城 / 信貴城 / 磯城(奈良県)

信貴山城 / 信貴城 / 磯城の感想 信貴山(しぎさん)城は戦国の梟雄 松永久秀の居城として有名であり、織田信長の息子 信忠を総大将とした大軍に攻められ信貴山城で日本初の自爆(爆死)した武将とされていますが・・・たぶんそんなことはないでしょう!((´∀`))ケラケラ(けど、私はそっちの方が好きなので松永久秀=爆死にしてあります♪)そんなエピソードなど・・・大和国や筒井氏からすれば悪魔の様な武将がい […]

雑賀城 / 妙見山城(和歌山県)

雑賀城 / 妙見山城の感想 雑賀城です♪ 歴史好きの方ならピン♪と来るかもしれませんが、鉄砲集団雑賀衆の雑賀衆の中心となった城であり、雑賀(鈴木)孫一(鈴木孫一)の城としても有名な城です(。◕ˇдˇ​◕。)/雑賀城は鈴木佐大夫(すずき さだゆう←鈴木孫一のお父さん!)が築いた城である様ですが、元々は妙見山上に『妙見堂』が建つ丘山上の北側に「千畳敷」と呼ばれる台状地があり、ここに居城を構え城下町を整 […]

湯浅城(和歌山県)

湯浅城の感想 湯浅城は1143年頃に紀伊国佐田郡に青木山に鎌倉時代の武将 湯浅 宗重(ゆあさ むねしげ)によって築かれた城と云われております。湯浅宗重は平清盛に平治の乱の一報を伝え共に上洛したことから有力武将のひとりとされ、その後、平重盛の子 平忠房と共に湯浅城に籠城し源氏と戦いますが、源頼朝に降伏し1186年には所領も安堵されたため紀の川流域の辺まで勢力を拡大し、『湯浅党』と呼ばれていたみたいで […]

八幡山城 / 吉田城(和歌山県)

八幡山城 / 吉田城の感想 1346年頃(かなり古いですねぇ~)に旧矢田荘領主の吉田頼秀によって築かれた山城と云われている様です。吉田頼秀は近隣の土生城主逸見氏や山崎城主川上氏と縁戚を結び、連携をとってこの地を納めていたものと思います。三男の吉田金毘羅丸(すげぇ~激しい名前ですね!?(;゚Д゚))の居城となると、亀山城主の湯川(湯河)氏が日高平野に侵攻してきたため、吉田氏らは敗れ・・・没落したと云 […]

入山城(和歌山県)

入山城の感想 紀伊国にある入川城は、西側に西川が流れ堀として東側には亀山城を備える両城で連携した山城だと思われます。丘陵中央部は標高76mの『城山』部分と南端の標高は34mの『本丸』部分の二か所を備えた山城です。築城は定かではありませんが、三好義長が1522年に阿波国から紀伊国に侵攻した際に畠山氏と戦った際に築かれた山城だと云われているみたいですね。その後は、一度敗れた畠山氏が地元の豪族湯川(湯河 […]

村岡城/高谷砦(神奈川県)

村岡城/高谷砦の感想 村岡城は現在村岡城址公園になっており、住宅街にある普通の子供が遊んだりできる公園になっています。遺構らしきものはほとんどなく村岡城の説明板などで城跡だったのがわかる程度です。公園内にある説明を読むと、10世紀に桓武平氏の平良文(村岡五郎良文)がこの辺りに荘園を開いたと書かれていてこの城跡だったかまではわからないですが、この辺りに館などが築かれていたものと推測されるみたいです。 […]

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