二曲城 / 府峠城(石川県)
二曲城 / 府峠城の感想 『二曲』って書いて『ふとげ』って読みます!二曲城です(^◇^) 二曲城跡は、鳥越城の大日川対岸に位置していて大日川流域や小松方面の支城として築城されたようですね。この地は白山麓門徒の指導者であった鈴木氏の本拠であったとされ、鈴木氏の館の背後にある詰城であったんじゃないかと云われているみたいですねぇ(o^―^o)ニコその後、いつかわかりませんが白山麓本願寺門徒の長として鈴木 […]
二曲城 / 府峠城の感想 『二曲』って書いて『ふとげ』って読みます!二曲城です(^◇^) 二曲城跡は、鳥越城の大日川対岸に位置していて大日川流域や小松方面の支城として築城されたようですね。この地は白山麓門徒の指導者であった鈴木氏の本拠であったとされ、鈴木氏の館の背後にある詰城であったんじゃないかと云われているみたいですねぇ(o^―^o)ニコその後、いつかわかりませんが白山麓本願寺門徒の長として鈴木 […]
鳥越城 / 別宮城の感想 手取川と大日川の合流点に位置する山の先端部を利用して築かれています。丘陵地ではありますが標高は312mの場所に主郭部が築かれており、1573年頃築かれたと思われますが築城者は不明です。城主としては鈴木出羽守と云う者が城主として入城していたとされています。城主の鈴木出羽守に指導された白山麓本願寺門徒は、南加賀一向一揆において最後まで頑強に抵抗し、1580年に織田信長配下柴田 […]
舟岡城/船岡城/剣城/八幡城の感想 築城はわかっていませんが、この奥にある鳥越城の支城として築かれたんじゃないかと云われています。一向一揆衆の城としてあり、1580年に織田軍が一向一揆衆討伐のために侵攻し、織田信長の重臣佐久間盛政が1582年に一向一揆方の若林長門守を謀殺して落城させたと云われています。(その時に鳥越城も一緒に落城したようです) 1583年に前田利家が金沢城に入城すると、前田利家の […]
小沢古城址の感想 小沢古城址(こさわこじょう)は武蔵七党の横山党の小沢(こさわ)氏の城とされているお城になります。小沢氏は平安時代末から鎌倉時代初期に活躍した一族とされていて、この城は鎌倉時代に築城されたお城と言われています。横山党は武蔵七党の最大派閥と言われていて、この辺りでは相模川の対岸に田名氏、相模川上流に小倉氏の領地があったようです。小沢氏と血縁関係のあったとされています。小沢氏は1213 […]
堅田城の感想 堅田(かただ)城は標高113mの丘陵先端部に立地し国道159号線(金沢東部環状道路)のトンネルが走っています。当時も北陸道・小原越(おはらごえ)といった主要街道や、日本海・河北潟(かほくがた)・森下(もりもと)川を見渡すことができる水陸交通の要衝に位置していたと思われます。堅田城の築城は木曽義仲が築城したとの言い伝えがある様ですが実際は不明で、ここ一帯の加賀国は一向一揆が盛んな国とし […]
神金城の感想 いるかも兄弟の妹分『鉄仮面サキ』から連絡をいただきました(‘◇’)ゞ 神金(かりがね)城です!!!! 神金城の築城年代・築城者共に全く不明ですが、当時の地政学的に三浦氏が衣笠城の支城のひとつとして三浦一族により築かれ、西方にある小矢部城との間を通っていた平作川を押える役割を持っていたと考えられます(`・ω・´)ゞ平作川は久里浜に通じていて5つの支城はこの平作川 […]
末吉城 / 堀松城 / 笹山城の感想 末吉城は七尾城を本拠地とした能登畠山氏の支城(出城)として築かれたとされていて、築城は1394年~1427年頃と云われているみたいです。能登外浦街道の浜街道と中道通、安津見から奥山峠を越えて田鶴浜に通じる土田街道、吉田から七尾西湾の大津に通じる得田街道を押さえる重要な役目をする城郭にするために、応仁の乱後、帰国した畠山義統は能登国を防衛する目的で末吉城を完成さ […]
小丸山城の感想 小丸山城は能登国の付け根(一番南側?)七尾城の北方面(七尾城が山奥の要害の地にあるので北の海側)に、七尾湾を活かし御祓川(みそぎがわ)沿いに小丸山城はあります。織田信長の命により越前国の府中城で10万石を有してた前田利家が能登国一国を与えられ、越前国から能登国に移り七尾城を本拠地としていた様ですが、山深く要害の地だった七尾城では防御上は利点があったが港から離れていて治世・経済上の利 […]
七沢城の感想 七沢城に訪問してきました。現在は七沢城があった山全体がほぼ、AOI七沢リハビリテーション病院になってしまっており、遺構はあまり残っていないのですが、七沢城の案内板はいくつも建てられていて、城跡だということは分かりやすくしてくれております。 七沢城の歴史ですが、1450年に鎌倉公方である足利成氏(しげうじ)と、関東管領山内上杉憲忠(のりただ)の重臣たちの間で争いが起こり、上杉方に攻めら […]
池和田城の感想 鎌倉時代の名門、三浦氏の一族がこの地に移った和田正治が築いたと云われています。池和田の地名も和田氏に由来するもんなのかなぁ???(=゚ω゚)ノ 戦国時代に入ると和田氏ではなく多賀氏が池和田城の城主となり、常に里見氏と行動を共にした様ですね。池和田城主多賀高明は里見義堯(さとみよしたか)に従軍し第一次国府台合戦・第二次国府台合戦に参戦。結果はすべての合戦に惨敗し勝ちに転じた後北条氏は […]