湯浅城(和歌山県)
湯浅城の感想 湯浅城は1143年頃に紀伊国佐田郡に青木山に鎌倉時代の武将 湯浅 宗重(ゆあさ むねしげ)によって築かれた城と云われております。湯浅宗重は平清盛に平治の乱の一報を伝え共に上洛したことから有力武将のひとりとされ、その後、平重盛の子 平忠房と共に湯浅城に籠城し源氏と戦いますが、源頼朝に降伏し1186年には所領も安堵されたため紀の川流域の辺まで勢力を拡大し、『湯浅党』と呼ばれていたみたいで […]
湯浅城の感想 湯浅城は1143年頃に紀伊国佐田郡に青木山に鎌倉時代の武将 湯浅 宗重(ゆあさ むねしげ)によって築かれた城と云われております。湯浅宗重は平清盛に平治の乱の一報を伝え共に上洛したことから有力武将のひとりとされ、その後、平重盛の子 平忠房と共に湯浅城に籠城し源氏と戦いますが、源頼朝に降伏し1186年には所領も安堵されたため紀の川流域の辺まで勢力を拡大し、『湯浅党』と呼ばれていたみたいで […]
八幡山城 / 吉田城の感想 1346年頃(かなり古いですねぇ~)に旧矢田荘領主の吉田頼秀によって築かれた山城と云われている様です。吉田頼秀は近隣の土生城主逸見氏や山崎城主川上氏と縁戚を結び、連携をとってこの地を納めていたものと思います。三男の吉田金毘羅丸(すげぇ~激しい名前ですね!?(;゚Д゚))の居城となると、亀山城主の湯川(湯河)氏が日高平野に侵攻してきたため、吉田氏らは敗れ・・・没落したと云 […]
入山城の感想 紀伊国にある入川城は、西側に西川が流れ堀として東側には亀山城を備える両城で連携した山城だと思われます。丘陵中央部は標高76mの『城山』部分と南端の標高は34mの『本丸』部分の二か所を備えた山城です。築城は定かではありませんが、三好義長が1522年に阿波国から紀伊国に侵攻した際に畠山氏と戦った際に築かれた山城だと云われているみたいですね。その後は、一度敗れた畠山氏が地元の豪族湯川(湯河 […]
村岡城/高谷砦の感想 村岡城は現在村岡城址公園になっており、住宅街にある普通の子供が遊んだりできる公園になっています。遺構らしきものはほとんどなく村岡城の説明板などで城跡だったのがわかる程度です。公園内にある説明を読むと、10世紀に桓武平氏の平良文(村岡五郎良文)がこの辺りに荘園を開いたと書かれていてこの城跡だったかまではわからないですが、この辺りに館などが築かれていたものと推測されるみたいです。 […]
守山城の感想 松倉城、増山城、とこの守山城が越中三大山城と呼ばれているそうです。守山城は「もりやまじょう」と読みます。頂上まで舗装されていて車で登れてしまうので訪問するのは非常に簡単な山城なので登山が苦手な方にもおすすめです。守山城はこの前に書いた放生津城の詰城だったとされているお城で、放生津城の神保氏と長尾為景が戦った際には神保氏はこの守山城を拠点に戦ったとされているようです。ちなみに長尾為景は […]
放生津城の感想 放生津城(ほうじょうづじょう)と読みます。放生津城は神保氏の居城として有名でもありますが、個人的には足利義稙(あしかがよしたね)/義材(よしき)の逃げてきたお城。身を寄せていた場所としての方が面白く興味がある人です。ここの説明版では義材(よしき)と書かれていますが、この記事では義稙(よしたね)で書かせていただきます。義稙は室町幕府の第10代将軍ですが、幼少期に家督争いの都合で父と共 […]
升方城/舛方城の感想 升方城は椎名氏が松倉城の支城として築城したお城とされています。椎名氏は越中の守護代として室町時代あたりに来たと思われます。同じ時代に守護代として神保氏も越中に来ており、戦国時代にもなると両者の間で越中の領国支配で争いが加熱して行きます。武田や一向宗を味方につけた神保氏と上杉を味方に付けた椎名氏で争いますが、神保氏の勢力が弱まると椎名氏は武田氏を味方につけて上杉に反旗を翻します […]
太田本郷城の感想 太田本郷城は今泉城の付城として河田長親が築城したとされているお城とのことです。織田軍に備えてかと思いましたが、1573年に一向一揆勢に対する向城として築城と書かれているので、この近くに一向一揆の城か砦のようなものがあったのではないかと思われますが、具体的にどこに対しての向城なのかはよくわからないみたいですね。 現在の太田本郷城ですがm、遺構らしきものは見ることはできず石碑と説明板 […]
天神山城の感想 天神山城は織田軍と上杉軍が戦った際に上杉景勝が陣として使用した場所とされています。戦いの戦地となったのはこの天神山城の麓にある魚津城で1582年に魚津城の戦いが起こり、織田軍に包囲された魚津城を救援するために天神山城に陣を敷きました。しかし、さすがに柴田勝家、佐々成政、前田利家と織田軍でも有力な武将たちに包囲されたお城を上杉景勝も助けることができず魚津城は落城。ただ落城が本能寺の変 […]
新庄城の感想 富山市の新庄城へ行って来ました!現在は富山市立新庄小学校になっています。小学校の体育館を建設する際に発掘調査をしたとのことですが、その後は埋め戻されて遺構らしきものを確認することはほぼできないです。 学校入り口の脇に説明板があります。説明板と富山市のHPの説明に違いがあり、HPによると新庄城は天文年間(1532〜1555年)に越中守護代神保氏の家臣、三輪飛騨守(みわひだのかみ)が築城 […]