本庄城(埼玉県)
本庄城の感想 本庄城は武蔵七党のひとつ児玉党の本庄氏が築いた城と云われています( `ー´)ノ本庄城は本庄実忠が古河公方を迎え討つために築いた平山城で1556年に築城したみたいですね。1567年には後北条氏に攻められ落城し本庄氏は後北条氏の傘下に入ります。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐が始まると本庄氏は後北条氏の要請に応え小田原城に入ります。小田原城が豊臣秀吉に降伏し開城させられると、本庄氏は自害 […]
本庄城の感想 本庄城は武蔵七党のひとつ児玉党の本庄氏が築いた城と云われています( `ー´)ノ本庄城は本庄実忠が古河公方を迎え討つために築いた平山城で1556年に築城したみたいですね。1567年には後北条氏に攻められ落城し本庄氏は後北条氏の傘下に入ります。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐が始まると本庄氏は後北条氏の要請に応え小田原城に入ります。小田原城が豊臣秀吉に降伏し開城させられると、本庄氏は自害 […]
雉岡城/八幡山城の感想 雉岡(きじおか)城は山内上杉氏が八幡山の独立丘陵に築かれた平山城です( `ー´)ノ元々は山内上杉氏の居城として築かれるものの、地形が狭かったゆえに山内上杉氏は上州の平井城を築き移っていったとされています!!! 鎌倉街道沿いの交通要衝を押さえた雉岡城は関東菅領上杉氏の最前線地として築かれており、今は雉岡城の方が大きくなっていますが、上杉氏の五十子陣(いかっこじん/いかっこのじ […]
勝山城 / 甲斐勝山城の感想 勝山城は山梨県だけでも全国的に見ても城・館も含め複数ありますね。『勝』とつけて何かと縁起のいい名称なんでしょうか?(●^o^●) 山梨県では県指定史跡となっている勝山城(山梨県都留市)有名で、こっちの勝山城(甲府市)は・・・あえて『勝山城/甲斐勝山城』とさせて頂きました( `ー´)ノ こっちの勝山城は甲斐国では名門氏族の油川氏の居城であったと云われています。古い平山城 […]
祢津城下の城/祢津城下の城の感想 禰津氏(ねずし/ねつし)は滋野一族の御三家の一つになります。 禰津氏は、東信濃の名族で古くは平安末期の保元の乱(1156年)や源平合戦の文献にも名前が登場している古くからの士族になります。三家の他の士族にも興味がある方は海野氏の海野氏発祥の郷や望月氏の望月城などが記事になっておりますので読んでいただければと思います。 祢津城についてですが、祢津城は「上の城(かみの […]
柳生城 / 小柳生城 / 古柳生城の感想 柳生と聞いて皆さんは何を思い出しますか???徳川家(特に秀忠に付いた)柳生宗矩や柳生十兵衛とかですかね??? 柳生城は南北朝時代に大和柳生荘の豪族柳生氏が山上に城を築いたのが始まりとされています。柳生氏は春日大社領小柳生荘の荘官が土着したものといわれ、1333年に鎌倉幕府が倒れると、後醍醐天皇から改めて小柳生の地を与えられ柳生氏を称したのが始まりとされてい […]
望月城の感想 望月城は平安時代から鎌倉時代ごろに滋野氏の支流にあたる望月氏によって築城されたようです。戦国時代に入り、武田信玄による信濃方面への侵攻により1543年に落城されたとのことです。その後、望月氏は武田家の家臣となり、望月城は武田氏の佐久支配の拠点として改修されたとのことです。武田氏滅亡後はこの記事の前に書いた伴野城と同様に1582年、天正壬午の乱の時に徳川方の依田信蕃(よだのぶしげ)に攻 […]
伴野城/野沢城の感想 伴野城(とものじょう)は別名野田城とも呼ばれており、室町時代ころに拡張されてその時代に野沢城と呼ばれていたようです。伴野城は鎌倉時代初期、小笠原長清の六男である「伴野時長」によって築かれたとされており、現在残っているのは野沢城時代の本丸跡とのことです。伴野城は室町・戦国時代に城郭(二の丸・三の丸等)へと拡張され周囲に濠と土居を巡らせ、南側に正門、西南の高台に物見櫓があったと説 […]
新庄城の感想 新庄城は平田荘の荘官より成長した有力国人のひとり布施氏が築いた城だと云われており築城された年は不明です。布施氏は筒井氏との関係が深く、松永久秀が大和国に侵攻してくると筒井順慶は敗走を重ねて勢力を失墜してしまいます。多くの国人衆が松永久秀に屈するなかで、布施氏は筒井氏への誼を捨てず松永久秀に頑強な抵抗を続けます。そして、福住氏、山田氏、秋山氏らと抵抗戦線を結び、筒井城を失って没落した筒 […]
片岡城 / 下牧城の感想 ここは面白そうな城だな!って思って訪問しましたが・・・結論から言えば・・・断念しました!!!( ノД`)シクシク… 心残りのお城です。 奈良県北葛城郡上牧町にあります『片岡城』です(`・ω・´)ゞ 上牧町にあるのに別名は『下牧城』ですってぇぇぇ笑((´∀`))ケラケラ いつ築城されたかははっきりわかっていませんが、室町時代に片岡氏が築城したと云われています。1498年に畠 […]
西宮城の感想 西宮城は『西宮古墳』を利用した城だったと思われ、ちょうど嶋氏の居城だった椿井城と松永久秀の信貴山城の間の盆地に築かれた城です。椿井城もそうなのですが筒井氏の家臣だった嶋氏の城だったとされ、松永久秀が椿井城を奪った際にこの西宮城も奪われ支配されていたんじゃないかと思います。また、北側には下垣内(しもがいと)城が築かれており、西宮城と下垣内城の間には大きな谷間(人工なのだろうかぁぁぁ?) […]