祢津城 下の城/禰津城 下の城(長野県)

祢津城 下の城/禰津城 下の城(長野県)

祢津城下の城/祢津城下の城の感想

禰津氏(ねずし/ねつし)は滋野一族の御三家の一つになります。 禰津氏は、東信濃の名族で古くは平安末期の保元の乱(1156年)や源平合戦の文献にも名前が登場している古くからの士族になります。三家の他の士族にも興味がある方は海野氏の海野氏発祥の郷や望月氏の望月城などが記事になっておりますので読んでいただければと思います。

祢津城についてですが、祢津城は「上の城(かみのじょう)」と「下の城(しもののじょう)」という2つの山城が存在しておりますが、今回訪問したのは下の城の方になります。
たぶんですが、下の城が普段の生活としての居城で上の城は下の城のさらに奥で標高も高いところにあるので詰城だったのではないかと思われます。また、この2つの城の間には「戌亥の馬場跡」という曲輪が残っているようです。今回はそこまで行けてないのでまた上の城を巡る時に確認してみようと思います。

祢津城の歴史ですが、正確にはわかっていないようですが、今残っている城跡の築城時期は15世紀〜16世紀ごろの戦国時代に築城されたお城のようです。
廃城もいつかは明確にわかっていないようですが、考えられる時期は3つのタイミングかと思われ。1つ目は禰津氏は独立した勢力を保てなくなった頃、つまり真田昌幸(真田幸村の父)の配下に入ることになったころ。1580年前後? 2つ目はその真田昌幸が1600年の関ヶ原の戦いで九度山へ配流になったころ。3つ目は1615年の一国一城令で真田昌幸の長男である真田信之(上田藩初代)が廃城にした。この頃廃城になった可能性が高いかと思われます。

また、逸話的な話にもなりますが、江戸時代の講談、真田十勇士の「根津甚八」はこの禰津家がモデルとなっていて、禰津氏の中には真田幸村(信繁)と共に実際に大坂の陣を戦った記録が残されているところから作られた経緯があるようです。

そんな禰津氏ですが。。没落してお家断絶・・ではなく、その後も真田信幸の家臣として明治維新までお家は存続できたみたいです笑

祢津城下の城/禰津城下の城画像ギャラリー

登城入口に熊出没注意!((((;゚Д゚)))))))
一応、鈴と熊よけスプレーなど装備して登ります!!

祢津城説明版その1

整備されている階段や坂道を登っていきます!

登り始めて数分で上田市内が眼下に見えるようになってきました。

横堀

横堀を後にして登っていきます!

訪問したタイミングが良かったのか桜が残ってました!あのあたりが本丸になるのかな?

小口(虎口)

小口が現れました!と言うことはここには門があったと思われますねー

小口の形状なんとなくわかりますかね?なかなかいい感じで残ってました(^○^)

だいぶ桜が近くに見えるようになってきました!あともう少しp(^_^)q

本丸

到着しました!

祢津城からの眺望

最高の眺めですねー!

祢津城説明版その2

空堀

空堀兼堀切兼竪堀といった感じの空堀です!なかなか規模の大きな空堀がありました!

郭(曲輪)

本丸奥のしかも大きな空堀で仕切られた曲輪。なんのための曲輪だったんですかねー

奥の曲輪から本丸方向を撮影して祢津城下の城登城完了です😁

祢津城下の城/禰津城下の城情報

築 城不明(室町〜戦国時代)
城 主禰津氏
住 所長野県東御市祢津
種 別山城
廃 城不明
特 徴市指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場有り(無料)

祢津城下の城/禰津城下の城へのアクセス

祢津城下の城/禰津城下の城レビュー

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