CATEGORY 茨城県

茨城県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

中居城(茨城県)

中居城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第5弾!!!『中居城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

木崎城(茨城県)

木崎城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第4弾!!!『木崎城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

武田氏発祥の地/武田氏館(茨城県)

武田氏発祥の地/武田氏館の感想 甲斐武田氏発祥の地へ行ってきました。甲斐武田氏と言えば誰でも知ってる武田信玄ですが、その武田氏のルーツを辿るとなんと茨城県ひたちなか市に辿り着きます。ちなみにその甲斐で武田を名乗るきっかけになったのが鎌倉時代まで遡りますが、新羅三郎義光(源義光)になります。実際に武田を名乗ったのは義光の息子「義清(よしきよ)」の代からです。ちなみに甲斐源氏の祖である新羅三郎義光(源 […]

札城(茨城県)

札城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第3弾!!!『札(ふだ)城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさん […]

烟田城(茨城県)

烟田城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第2弾!!!『烟田(かまた)城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽ […]

小幡城(茨城県)

小幡城の感想 出会いは偶然でした・・・佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅうさんやかたと呼ぶみたい)』となり、鹿島・行方 […]

額田城(茨城県)

額田城の感想 額田(ぬかだ)城です。 額田城は太田城を佐竹氏に奪われ支配地域を変えられた、藤原通延の孫の通盛が小野崎の地で額田城を築いたとされ、藤原氏は小野崎氏を名乗っていた様で額田小野崎氏としてこの地域を支配していた様で、佐竹の内紛にも関与し独立心の強い一族だった様です。(そりゃ~そうだよね!もともと支配していた太田を佐竹氏に追い出されて憎しみしかなかったと思うよ)佐竹氏の内乱に転じて混乱の中で […]

太田城 / 舞鶴城(茨城県)

太田城/舞鶴城の感想 たいした城跡も残ってはいませんが、私の中ではとてもとても行きたかった城跡で、今回とうとう念願が叶いました!!!! 佐竹義重の居城であり、1109年に藤原通延が築城したと云われており、新羅三郎義光の孫だった源昌義が戦功によりこの一帯の領することとなり地名から『佐竹』を名乗ったとされています。二代目の佐竹隆義が藤原通盛(通延の孫)を降し小野台地へ移し藤原氏から小野崎氏を名乗らせ、 […]

小田城(茨城県)

小田城の感想 『最弱!』それともある意味『最強!!!』小田氏治で有名な小田城です!!!小田氏治は、宇都宮氏の家系の一門で八田知家を祖とする、この関東の中ではめちゃめちゃな名家の小田氏であり、関東八屋形の一つである常陸の小田家の15代当主です。小田氏治は後に出家して『天庵(てんあん)』と名乗るのですが、とにかく戦が下手で連戦連敗!!!何度も何度も負け続けるのですが、この小田城を取り戻そうと何度も何度 […]

  • 2022.10.11

宍戸城/宍戸陣屋跡(茨城県)

宍戸城/宍戸陣屋跡の感想 実は昔からどぉしても行きたいところがありました・・・『宍戸城/宍戸陣屋跡』です。 宍戸氏は『鎌倉殿の13人』にも出てくる八田知家を祖として宍戸氏となり、近所の小田城の小田氏とは同じ流れの一族となります。宍戸氏は一貫して足利氏に味方して各地で戦功をあげ、同じ流れを組む小田氏とは対照的な勢力を振るいます。当時の宍戸氏は鎌倉幕府の中核となり鎌倉で責務を果たしていきますが、時が流 […]