月山富田城(島根県)

月山富田城の感想

私の中では『難攻不落』『戦国No1山城』の名城だと思っています。

『月山富田(がっさんとだ)城』です! (*`艸´)ヨッシャ

築城は佐々木源氏の流れをくむ佐々木義清とされるが不明です。
月山富田城は月山(標高184m)に築かれた山城で、
山陰の覇者!尼子氏が代々170年間居城としたお城です。
(尼子氏は佐々木源氏からの流れをくみます。)

月山富田城といえば、一代で十一か国の太府までのし上がった
風雲児 尼子経久の城でもありますが、
尼子経久は父親と中央政権に反発し山陰に勢力を拡大しているときに
京極氏の不信と怒りを買って月山富田城から追い出されてしまい
塩冶氏が月山富田城に入り京極氏の守護代として出雲国を支配するが
その2年後に、尼子経久の謀略により少人数で月山富田城の奪還
乗っ取りに成功し出雲国の支配者に返り咲きます。
尼子経久は月山富田城を奪還後、大幅に改築し防御施設を充実させ
日本屈指の山城にまで築き上げます。

息子を早くから亡くしていた経久は孫の晴久に家督を譲り引退。
晴久は敵対する大内氏(山口)と、特に大内氏の傘下に入っていた
毛利氏を滅ぼすために安芸進行を決断!
大軍を率いて毛利元就の居城『吉田郡山城』を包囲します。
(吉田郡山城の戦い)
しかし、名将の毛利元就も前では大軍を持っても打ち負かされ惨敗。
叔父にあたる尼子久幸(義勝)が打ち取られ、しかも撤退の際は急いでいたため
首を戦場に残して撤退してしまうのだの散々な敗戦となったため、
三刀屋・赤穴・三沢・吉川・・・などの尼子方の有力武将たちが大内に寝返り
逆に大内氏に月山富田城は包囲されてしまう。
しかし、月山富田城は籠城戦でもびくともせず徐々に大内側が崩れ始め、
元々、尼子方から大内氏に鞍替えした武将たちが再び尼子方に寝返り大内氏は惨敗!
第一次月山富田城の戦いは尼子方の大勝利で終わりました。

それから19年後・・・大内氏(陶氏)を滅ぼし周防・長門を抑えた毛利元就は
第二次月山富田城の戦いを始めます。
第一次月山富田城の戦いと同じ轍を踏まずに、毛利元就は月山富田城の支城
(尼子十旗)を落とし、または、従わせながら月山富田城を包囲。
約5年の歳月をかけて落城させた。
尼子方は尼子晴久から義久となっており月山富田城落城後は毛利の傘下となり
福原として名を変え現在まで続いていると言われています。

はっきり言って!屈指の名城!
絶対に城攻めに行っていただきたいお城です。

月山富田城画像ギャラリー①

月山富田城の二の丸と本丸

向かって左側が『二の丸』です。右奥が『本丸』になります

月山富田城の守り主! 勝日高守神社

月山富田城の中に大きな開けた場所があります。『山中(さんちゅう)御殿』といいます。戦時はここで議論されていたんでしょうね。山麓の『里御殿』があったので、『里御殿』に対して『山中御殿』と呼ばれていたとか

月山富田城画像ギャラリー②

月山軍用道を発見!今でも恐ろしさが感じられます。出撃の際は騎馬隊と徒歩隊がここを駆け下りたんでしょうね

下から見上げた月山富田城!山城のこんなところが大好きです!

月山富田城情報

築 城1185年頃? 平安時代との伝承あり
城 主佐々木氏、尼子氏、毛利氏、堀尾氏
住 所島根県安来市広瀬町富田
種 別山城
廃 城1611年
特 徴国指定史跡
日本100名城 ※日本100名城スタンプは安来市立歴史資料館にて押せます。
入場料<安来市立歴史資料館>
一般:210円 高大生:100円 小中学校:30円
営業時間<安来市立歴史資料館>
9:30~17:00
休館日 毎週火曜日(祝日の場合、翌日)・12月29日~1月3日

月山富田城(がっさんとだじょう)へのアクセス

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