若神子城の感想
若神子城へ行ってきました。この周辺は武田氏発祥の地とも言われている地域で、武田氏の祖と言われる、源義光(新羅三郎義光)が築いたと言われているお城が若神子城になります。武田氏の流れとしては、源義光→2代目源義清→3代目源清光の時に逸見氏(へみ)を名乗ります。→4代目信義になり、武田神社で元服し武田信義を名乗るようになり武田氏が成立します。若神子城は棒道と佐久往還が分岐する要地で、信濃侵攻を進める武田信虎(信玄の父)の時代に今井信元(同じ源義光を祖とする甲斐源氏の家系)が支配していましたが、これを倒し、武田氏の支配下となりました。そして烽火(のろし)台網の重要な中継地として若神子城も重要な拠点の一つになったとのことです。現在は整備された公園となっており、城も連郭式山城で公園の案内にも郭など書かれてはいますが、遺構を見つけるのは難しい感じでした。
若神子城画像ギャラリー
ここで各烽火台からの報告を見ていたのでしょうか?もしくは烽火を焚いて指示を出していたのかもしれないですね。今は景色のいい高台といった雰囲気でした。
烽火(のろし)は昔の通信手段。現代で言えばスマホのような情報伝達の役割と言えるもので、烽火台網はいわば携帯基地局みたいな設備と言えるかもしれないですね。
天正壬午の乱の古戦場もこの若神子城周辺だったとのことで天正壬午古戦場幟もたくさん掲げられていました。天正壬午の乱は織田・徳川連合で武田勝頼を倒し、武田家滅亡。しかしその3ヶ月後には織田信長が本能寺の変で亡くなり、武田配下でも織田配下でも無くなったことで起きた争いになります。徳川VS後北条氏VS真田VS上杉VSその他地域の国衆など領有権を争った戦いです。いつかドラマなどになったら面白いですね!
若神子城情報
築 城 | 不明 |
城 主 | 武田氏 |
住 所 | 山梨県北杜市須玉町若神子 |
種 別 | 山城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | 市指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | – |
駐車場 | 有り(無料) |
若神子城へのアクセス
若神子城レビュー
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