十河城/十川城/西尾城(香川県)

十河城/十川城/西尾城の感想

十河(そごう)城は高松市の南部に位置しており、東側を春日川、西側を前島川に挟まれた台地の北端に位置しています。台地の微高地を利用して本丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置し、周囲には深掘りされた水堀や土塁、切岸をめぐらせて防御力を高めていた平城(微妙な平山城!?笑)だったと思われます( `ー´)ノ
南北朝時代から桃山時代まで約230年の間 十河氏の居城となっていたようですね! 四国の中でも名門中の名門の武家なんでしょうねぇ~十河家は!? 
十河氏は景行天皇の末流で山田郡を領していましたが、西讃岐の香川氏や東讃岐の安富氏、そして寒川氏などの勢力に挟まれ四苦八苦していたんでしょうねぇ~ 十河家第8代目当主だった十河景滋(そごうかげしげ)には子供がいなかった(早世)ため、当時、近畿まで勢力を拡大していた阿波国の三好元長の息子、三好長慶(みよしながよし)の末弟の孫六郎を十河家へ養子として迎え入れて、十河 一存(そごうかずまさ /かずなが)と名乗らせ十河城の城主とします!!! この十河 一存が後に『讃岐守鬼十河』と呼ばれ恐れられる猛将として一躍名を馳せます(≧◇≦) しかし・・・この十河 一存が近畿の和泉国で急死してしまいます!一説によると松永久秀が毒殺したとの噂も流れたようですね!?真相はわかっていません・・・(+o+)

十河 一存が急死すると、その後を三好実休(みよしじっきゅう)の子の十河存保(そごうまさやす)が十河 一存の跡を継ぎ十河城の城主となります! 十河存保はも三好氏と行動を共にし、各地を転戦し三好長治(兄)・十河存保兄弟は織田氏と敵対したりしています!しかし、徐々に三好氏が織田信長に従軍していくと十河存保もその流れに乗り、逆に、土佐国から侵攻してきた長宗我部元親への反攻を開始しします!何とか十河城と十河氏を保とうとしていたんでしょうね!
1582年に本能寺の変で織田信長が死去すると十河存保は後ろ盾を失ってしまいます。これにより同年8月頃に香川親和が香西佳清の立て篭もる藤尾城を攻め落とし、香川氏と香西氏は、当時十河城の城代を務めていた十河存之が籠城する十河城を攻めるが、落城させることはできなかったみたいです(`・ω・´)ゞ

1582年に第一次十河城の戦いが勃発! 四国統一を狙う土佐の長宗我部元親の大軍と、十河城を守る三好・十河存之との間で繰り広げられた激しい籠城戦となります!この十河城での頑強な抵抗によって長宗我部元親の讃岐完全平定を一時的に防ぎ止めました。名将と称されるようになった十河存之が城兵を鼓舞し、圧倒的な兵力差を跳ね返した攻防戦として戦国讃岐史に名を残しています。
1584年になると再び土佐から四国統一を推し進める長宗我部元親が大軍を率いて讃岐国に攻め込んできます!讃岐国における十河氏の拠点だった十河城を死守する十河存保(ながやす)および十河存之(しげゆき)らとの間で行われた最後の決戦となります!約数ヶ月にわたる激しい攻防の末、十河城はついに開城し十河軍は撤退したとの事です・・・( ノД`)シクシク…

十河城/十川城/西尾城画像ギャラリー

十河城は十川東町の『城』といわれる地名の台地上にあり、『称念寺』を中心とする一帯に築かれていた平山城だったみたいで、同寺の境内に本丸があったと考えられています!

『北門地蔵』と『からくり橋』と『空堀』です(=゚ω゚)ノ

十河城周辺おすすめグルメ情報

池上製麺所

高松空港から高松市内へ向かっていく途中に有名なうどん屋さんがあります!『池上製麺所』さんです(=゚ω゚)ノ 映画『UDON』に出演されていた『るみばぁちゃん』がいるお店です。 十河城からはクルマで15分かなヽ(^。^)ノ

・かけうどん ・ごぼう天 ・鳥天 ・おにぎり 
これで当時は1,000円以下! 安い!!!(^○^)

・釜玉(かまたま) ・ちくわ天
こっちは生醤油ぶっかけて食ってました(*´▽`*)

流石!香川!!!讃岐うどん万歳!!!!

池上製麺所へのアクセス

十河城情報

築 城不明(南北朝時代)
城 主十河氏
住 所香川県高松市十川東町932
種 別平城
廃 城不明(1586年?)
特 徴市指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場無し

十河城へのアクセス

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