1532年〜1555年頃に高清水(高泉)直堅によって築かれたと云われる。 高清水直堅は大崎家第9代目の大崎義兼の三男となります。また一方では大崎(高泉)持家が築城したとする伝えもある様で誰が築城したのかは不明みたいですね。
奥羽山脈のから東へ延びる築館丘陵の末端部に位置し、沖積平野(ちゅうせきへいや)に面した標高20m程の緩やかで平坦な微高地に造られていた様ですね!
大崎氏(大崎一族)は、1590年小田原合戦に参陣しなかったことから、豊臣秀吉による奥州仕置きにより改易となります。改易後のこの土地には新領主として木村吉清が入国してきます。しかし、虎視眈々と領土拡大を図る伊達政宗の煽動により『葛西大崎一揆』を勃発させ揺さぶりに入ります!( `ー´)ノ 豊臣秀吉から反乱の鎮圧にあたる様に命を受けた伊達政宗が鎮圧します。
一揆鎮圧後、伊達政宗がこの反乱があった地に転封されて岩出山城に移り住まされます。(自作自演が秀吉にバレたのかな?苦笑) この高清水城は伊達家の領地となった様です。その後、伊達家臣の亘理氏(わたりし)重宗が涌谷城から隠居先として入城します。伊達政宗の庶子の宗根に、亘理重宗の末娘を嫁がせて婿養子とし隠居領と併せて亘理氏の名跡を継がせました。(高清水亘理家→佐沼亘理家)
亘理氏が高清水城から佐沼城に移ると、高清水城には石母田興頼が入城します。石母田家はそのまま高清水城で幕末まで続くようですね(`・ω・´)ゞ
高清水城は2重の堀がめぐり、東西約400m×南北約250mの長方形を呈する城郭だと推定されています。現在、遺構の大半は土中埋没していますが堀跡の一部は『高清水城外濠公園』となっています。高清水中学校の校地として利用されてきたが、中学校が2019年に閉校したことに伴い、栗原市は中学校跡地を『高清水城外濠公園』として拡大整備しようと考えているみたいですね~( ̄▽ ̄)是非!!!お願いします!!!
【高清水城】











