富樫館跡 / 守護所の感想
1335年に富樫高家が加賀国の守護大名となり、政務をとった館を築いたのが『守護所』であり『富樫館』とも呼ばれていました。
富樫高家を初代と考えそれから1488年に第12代目と(1つ飛ばして)第14代目富樫家を継いだ富樫政親が加賀一向一揆衆たちに攻められ富樫氏の詰城だった高尾城に立て籠りますが攻め込まれて殺されてしまいます。その後も富樫泰高(やすたか)稙泰(たねやす)晴貞(はるさだ)と続きましたが、元亀[げんき]元年(1570)に晴貞が一向一揆と争いを始めた1570年になると織田信長に味方した富樫晴貞は加賀一向一揆の排除に動き出します。しかし、加賀一向一揆衆に逆に攻められ、冨樫館(守護所)は廃絶したものと云われています( `ー´)ノ
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富樫館跡 / 守護所情報
| 築 城 | 1335年 |
| 城 主 | 冨樫氏 |
| 住 所 | 石川県野々市市住吉町2−11(守護所) 石川県野々市市本町2丁目7(石碑) |
| 種 別 | 平城 |
| 廃 城 | 1570年 |
| 特 徴 | 市指定史跡 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 無し |