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横田綱松(康景)の墓(愛知県)

横田綱松(康景)の墓の感想 内藤昌豊の墓の裏側に、『横田綱松之墓』があります。横田氏と云えば、武田二十四将のひとり『横田高松(よこた たかとし)←どっちが苗字なのかわかり辛い!?』の長男だと思われますが、横田高松が村上義清との戦いの際に武田信玄の最大の敗北『砥石崩れ』の際に殿(しんがり)となり討ち死にしていしまいます。横田高松が討死したため同じ足軽大将であった同じく猛将の原虎胤の息子が横田氏を継ぐ […]

内藤昌豊の墓(愛知県)

内藤昌豊の墓の感想 新城市立 東郷中こども園の近く、武田勝頼がこの場所で戦の指揮をしたといわれるところに、『内藤修理亮昌豊の墓』があります。 内藤昌豊は武田二十四将のひとりであり武田四天王のひとりでもあります。内藤昌豊は武田信虎の重臣であった工藤虎豊の次男として誕生したみたいです。工藤虎豊が武田信虎に反乱を起こしたが敗北し北条早雲を頼って逃げたようです。その後、武田信玄の時代になると「工藤源左衛門 […]

馬場信春(信房)の墓(愛知県)

馬場信春(信房)の墓の感想 馬場信春(信房)は長篠・設楽原の戦いで敗れた武田勝頼を逃すため殿(しんがり)となり討ち死した場所から約3㎞・・・長篠城の近くに『馬場信春(信房)の墓』があります。案内板によると、殿をして討ち死にした馬場信春(信房)の首はここ『馬場美濃守信房の墓』に埋められたとされているようですね。 馬場信春(信房)は武田信虎→武田信玄→武田勝頼の三代に仕え、武田二十四将でもあり武田四天 […]

  • 2024.02.11

馬場信春(信房)討死の地(愛知県)

馬場信春(信房)討死の地の感想 『馬場信春(信房)と馬場勝行の墓』から約450m先に『馬場信春(信房)討死の地』があります。討死と云っても、たぶんですが私なりの解釈では武田勝頼を逃がした後に戦える余力がありながらも、潔しとせずに敵に囲まれ場がらもこの場所で『自害』した場所なんだろうなぁ~って思っています。 馬場信春(信房)は約800人ほどの軍団を引き連れ長篠・設楽原の合戦の参戦したようですね。織田 […]

馬場信春(信房)・勝行の墓(愛知県)

馬場信春(信房)・勝行の墓の感想 豊川沿いの国道257号線を北上し三差路を左路線の豊川新城線を進むと左手側(道沿い)に、『馬場信春(信房)・馬場勝行』の墓があります。(馬場信春の墓(首を埋葬したと伝えられている)場所はこちら)馬場信春(信房)は武田信虎→武田信玄→武田勝頼の三代にわたって仕えた重臣で、武田二十四将、及び、武田四天王のひとりとされた名将っていいでしょうね!馬場信春(信房)は武田信虎の […]

山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地(愛知県)

山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地の感想 山本信供/勘助(二代目)/勘蔵の墓から約4㎞豊川沿いの愛知県新城市大海字下林まで北上したところに、『山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地』があります。脇道にそれた住宅地の中にひっそりとありましたが、この豊川沿いを更に北上したところに、馬場信春の討死した場所があることから、私個人的には長篠・設楽原の合戦に負けた武田勝頼が撤退したルートではないかと思 […]

山本信供/勘助(二代目)/勘蔵の墓(愛知県)

山本信供/勘助(二代目)/勘蔵の墓 高坂昌澄の墓から約1.5km離れた見渡す限り畑の中に山本信供の墓がありました。山本信供はあの有名な武田信玄の軍師山本勘助の息子とされ、山本勘助(二代目)や、山本勘蔵と名乗っていたとも言われています。山本勘助が第四次川中島の合戦で討死すると、山本信供は山本十左衛門尉(妻が山本勘助の娘)に後見され育てられた様です。元服後、山本家を継ぎ山本勘助(二代目)も継いだようで […]

原昌胤の墓(愛知県)

原昌胤の墓の感想 山縣昌景の墓たちから少し進み、途中、小道を登り小幡信貞・小幡一族の墓を通り過ぎで丘の頂上付近の畑の中に『原昌胤の墓』がありました!(^▽^)/ 原昌胤は武田二十四将のひとりでもあり、しかも武田二十四将にはもう一人原虎胤が存在しています。両名とも『原』であり『胤』が付くため同一族の様に思われますが、原昌胤は美濃国出身で美濃土岐氏の流れを組む一族と云われ、もう一人の原虎胤は下総(しも […]

小幡信貞(信真)の墓 / 小幡一族の墓(愛知県)

小幡信貞(信真)の墓 / 小幡一族の墓の感想 山縣昌景たちの墓の近く、黒畑阿弥陀堂がある道を小高い丘方面に上がっていくと斜面に平地があり、そこに『小幡(おばた)信貞(のぶさだ)(信真(のぶざね))の墓』及び『小幡一族の墓』があります。小幡氏といえば武田二十四将のひとりとして存在していますが、武田二十四将の小幡昌盛は当時、高坂(香坂)昌信(春日虎綱)とともに海津城(現在の松代城)に籠り、上杉謙信の川 […]

高坂昌澄の墓(愛知県)

高坂昌澄の墓の感想 長篠・設楽原の合戦の前の長篠城の戦いの際に、酒井忠次軍に鳶ヶ巣山の守備隊が壊滅させられ、高坂昌澄が守る有海村駐屯軍へも襲い掛かられたため、高坂昌澄は討ち死にしたと云われています。因みに・・・父親は高坂虎綱で虎綱の長男だと云われています。高坂虎綱は上杉軍の南下に備え、長野市にある海津城(現在の松代城 )にいたため、父親の代理として長篠・設楽原の合戦に参戦していたようですね。。。 […]

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