桑折城/鶴館(宮城県)
桑折城/鶴館の感想 桑折(こおり)城は、鳴瀬川南岸に沿って東西に伸びる丘陵に築かれていて、城の麓を街道が通る交通の要衝の地で重要な拠点だったんだと思われます。桑折城の築城はいつだかわかっていませんが、大崎氏の四家老であった渋谷相模守が居城としていた城で、政庁というよりは軍事的な色彩が非常に強い要塞だった様です。 1588年に大崎合戦で大崎氏と伊達氏が争った際は、大崎氏の本城だった中新田城へ攻め込ん […]
桑折城/鶴館の感想 桑折(こおり)城は、鳴瀬川南岸に沿って東西に伸びる丘陵に築かれていて、城の麓を街道が通る交通の要衝の地で重要な拠点だったんだと思われます。桑折城の築城はいつだかわかっていませんが、大崎氏の四家老であった渋谷相模守が居城としていた城で、政庁というよりは軍事的な色彩が非常に強い要塞だった様です。 1588年に大崎合戦で大崎氏と伊達氏が争った際は、大崎氏の本城だった中新田城へ攻め込ん […]
下煤孫館跡の感想 下煤孫館(しもすすまごだて)。そんな読み方なの??と思ってしまうお城の名前ですね。別名で煤孫城、古舘、観音館とも呼ばれるそうです。下煤孫館は煤孫氏のお城で和賀氏の支流で家臣だったようです。今回はたまたま地図で見つけたので訪問してますが、元々は1.2Kmほど離れた場所にある上煤孫館を煤孫氏は居城にしていてこちらの下煤孫館に移ってきたみたいです。 説明板に書かれていたものですが、煤孫 […]
岩崎城の感想 岩崎城は和賀氏の家臣だった岩崎氏の居城だったお城になります。築城は正確には不明ながら、南北朝時代とされていて1336年~1392年ごろと言われているようです。1590年に和賀氏が小田原征伐に参加しなかったことで、岩崎氏も改易となり、1592年には、豊臣秀吉の命令によって南部氏が岩崎城を破壊します。その後、1600年に和賀忠親が領地を取り返すため一揆を起こします(岩崎一揆)。この一揆は […]
師山城の感想 師山城(もろやまじょう)は、現在の宮城県大崎市古川師山字城山に位置する南北朝時代から戦国時代にかけての平城です!大崎平野の中央寄り、鳴瀬川と多田川が合流する付近に置かれた要衝で、奥州探題・大崎氏の初期拠点および対伊達氏防衛の最前線として非常に重要な役割を果たしていた様です。1337年頃に笠原重広が奥州に下向して師山城を築城したと云われており、当初師山城を居城としていましたが、笠原重広 […]
中新田城/御仮屋の感想 中新田城は奥州探題大崎氏の居城であったとされる城の1つであり、大崎氏最後の当主となった大崎義隆が名生(みょう)城に移る前に居城としていた城がこの中新田城です( `ー´)ノ 大崎義隆が名生城に移った以降、中新田城には大崎氏の家臣である南条下総守隆信が城代として入った様ですね♪ 因みに・・・この!南条隆信は1588年に起きた大崎合戦で伊達政宗軍を中新田城で迎え撃ち撃退したみたい […]
岩出山城/岩手沢城/岩出山要害/臥牛城の感想 岩出山城は伊達政宗が米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなり入城した城として有名です。もともと岩出山城は岩手沢城と呼ばれており、足利一門であり奥州探題(おうしゅうたんだい)であった大崎氏の家臣氏家氏の城だった様で、伊達政宗が移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康が岩手沢城に約40日滞在して、城の縄張りや改修工事を行った後で伊達政宗に引き渡 […]
名生館官衙遺跡の感想 7世紀末って云うのだから・・・飛鳥時代?~平安時代に営まれた律令期の役所(官衙)跡の様です。大崎平野の北西部にあり標高40mで、周辺との比高10mほどの台地上に立地しています。 遺跡の範囲は南北1,100m・東西700mの広さがであります。中世奥州探題大崎氏の名生城としても有名らしいですね。って云うか、名生城として組み込まれ使われていたんだと想像します(`・ω・´)ゞ 継続的 […]
名生城/御所館/義隆館の感想 名生(みょう)城の築城年代は定かではありませんが、南北朝時代に斯波家兼によって築かれたと云われています(=゚ω゚)ノ足利氏の流れを組んでいる斯波高経の弟の斯波家兼は奥州探題に任ぜられ下向し大崎氏の祖となり、大崎家兼の二男の兼頼が出羽国に進出し山形で最上氏の祖となった様です。つまり・・・大崎氏と最上氏は元々同じ流れを組む斯波氏の出なんですね~(。◕ˇдˇ◕。)/けど・ […]
青塚城の感想 古川城から約500m~700mぐらい離れたところに青塚城があります( `ー´)ノ 青塚城は、大崎氏第6代目当主の大崎持詮の弟の大崎直兼が居城したことによって始まったと云われており、この大崎直兼が青塚氏の祖となったと思われますね(`・ω・´)ゞ その後、城主は古川弾正の弟青塚左衛門、また大崎家臣青塚左衛門吉春などと云われています。 青塚城は古川城の支城としてあったと思います。 元々は現 […]
古川城の感想 古川城の築城ははっきりしていませんが、室町時代中ごろに大崎氏第7代目当主の大崎教兼(のりかね)の6男(誰なんだかわかっていません)が居館として構えたことが始まりとなり、後子孫は古川氏を名乗ったと思われ1532年~1555年頃には古川刑部少輔持熈(もちひろ)が城主であったと云われています。また、古川刑部持慧(もちさと)と古川弾正忠隆(ただたか)が大崎氏の家臣だった記載もあり、古川氏を名 […]