倉賀野城(群馬県)

倉賀野城(群馬県)

倉賀野城の感想

倉賀野城は武蔵七党の兒玉党(秩父氏)がこの倉賀野の地へ来て、秩父三郎高俊が倉賀野氏と名乗ったことで始まったとされています。この秩父氏ですが、名前的に武蔵七党の秩父党の秩父氏のイメージですが、兒玉党の秩父氏というのも面白いですね。

倉賀野氏は関東管領・山内上杉氏に支えていたので戦国時代には上杉氏と武田氏の戦いに巻き込まれていきます。というか、「倉賀野一六騎」と呼ばれ武田信玄の攻撃をなん度も退けるくらい強かったみたいです。ただ、諦めずに侵攻してくる武田信玄の猛攻に勝てず、1565年に落城、倉賀野氏は上杉謙信のいる越後に逃げたとのことです。倉賀野城には武田信玄の家臣の金井氏(元々は倉賀野一六騎と呼ばれた家臣の一人)が入城し、金井から変えて倉賀野を名乗るようになります。倉賀野氏を離反しておきながら倉賀野氏を名乗るというのは倉賀野氏と何か血縁でもあったのか、倉賀野氏がとほどの名門で名乗りたかった?まぁ元が金井氏なので倉賀野氏とでも呼びましょうか?笑
そんな金井氏(後倉賀野氏)も長くは続かず、1590年、豊臣秀吉の小田原征伐によって廃城になったとのことです。

倉賀野城ですが、今はただの公園といった感じで遺構らしきものは見当たらないです。ただ、隣がすぐ川なので自然の掘りとしてお城を立てるのに都合が良かったのかな?といった雰囲気は感じられます。

倉賀野城画像ギャラリー

住宅街の一番奥に細長い公園としてありました。

公園のフェンスの向こうは烏川が流れてました。天然の堀ですねー!

倉賀野城説明版

倉賀野城情報

築 城不明(鎌倉時代)
城 主倉賀野氏、金井氏(後倉賀野氏)
住 所群馬県高崎市倉賀野町1461−1
種 別平城
廃 城1590年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し

倉賀野城へのアクセス

倉賀野城レビュー

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