新井城(神奈川県)

新井城(神奈川県)

新井城の感想

北条早雲と激しい戦を繰り返した三浦(道寸)義同(よしあつ)の居城と知られ、名門相模三浦氏の本拠地です。混乱を生まないためにあえて上記には記載しませんが、新井城は別名を、荒井城・小網代城・三崎城とも呼ばれており、新井城からクルマで8分(3.6㎞)にある三崎城 や、三崎場周辺の小網代湾のある近辺まで新井城であった可能性があり、歴史小説を読んでいると三浦道寸を攻めて新井城に籠城させた北条早雲軍は三浦道寸に『引橋』と云われる場所の城に繋がる橋を切り落としたため北条早雲も攻めるに攻め込めれず、三浦道寸はその後滅びるまでの3年間を籠城戦で耐えたとあります。この『引橋』は現在の京急久里浜線の終点、三崎口駅前を走る国道134号線の大きな三差路にぶち当たる『引橋』の交差点が存在しており、この辺までが新井城であったと考えるなら、新井城は三浦市三崎町をすっぽり抱え込んだかなりの大規模な城だったと考えられます。

・・・マジが!凄い!この凄さはなかなか伝えることが出来ませんが、是非Googleマップなどでその規模を感じ取って下さい!(・_・D フムフム

『引橋』は関東大震災の際に起伏が変わり今では全く面影が残っておらず、また、大規模だったと思われる新井城も大根畑や住宅地となって当時の面影は全く感じられません。
かろうじて、三浦半島西岸の海沿いに新井城の跡を知らせる碑と海岸沿いの岸壁には船を停泊させる際に綱を結ぶ杭を立てていた穴の跡が残っている感じです。
また、新井城の大半は東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所の敷地になっており、土塁や堀などはその敷地内にあるようで「、我々のようなものにはなかなかお目に掛かることが出来ずに、一部が確認できる程度です・・・トホホホ(´;ω;`)ウゥゥ

新井城画像ギャラリー

新井城の碑です。この碑の近辺にある大型の駐車場脇から新井城内に城攻め出来ます。
城攻めは2か所ありこっち側は『三浦(同寸)義同の墓』が存在しており、そのレポートはまた今度として・・・それをズンズン進むと海岸線沿いに降りることが出来ます!

海岸線沿いには船を停める停泊場の跡がありました!

海側から見上げる新井城です。
陸地側から考えるとここは新井城の奥の奥で本丸みたいなところではなかったのかと想像しています!

今度は、東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所方面から新井城攻めを行ってみます!

城内にも空堀を要しており、なかなか攻めずらい城だった様ですね。
関東大震災の際に地形も少し変わったようで、今ではなかなか確認できないようです。

油壷湾です!こっちへ引っ越してきた時に子供を連れてこの辺に遊びに来ましたが、とてもきれいで穏やかな湾って感じがしていて、とても美しい風景なのに『油壷』ってネーミングにギャップを感じていました。

今もとてもきれいな湾ですね!(⌒∇⌒)

『油壷』の由来は、北条早雲と三浦道寸との戦いにおいて、壮絶な北条軍の攻撃に対し多くの殺された三浦軍の『血』が湾にたまり、海に血がたまり海底を暗くしその血が油の様に湾をギラギラさせたことから『油壷』と呼ばれるようになったみたいですね・・・(# ゚Д゚)

油壷を奥に進んでいくと、さっき見上げた新井城の本丸が見える海岸沿い降りれます。

新井城情報

築 城不明
城 主三浦氏(相模三浦氏)
住 所神奈川県三浦市三崎町小網代1024
種 別平山城
廃 城1590年
特 徴
入場料無料
営業時間
駐車場無し(油壺温泉の駐車場が利用できます。500円)

新井城へのアクセス

新井城のレビュー

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