於曽屋敷跡の乾燥
今は公園として整備されていますが、しっかりと土塁・堀の跡を残しています。
於曽(おぞ)屋敷跡です。於曽屋敷は甲斐源氏の祖となった源義光の子である義清の四男であった、加賀美遠光(かがみ とおみつ)が加々美荘を支配したことから始まるようです。
当初、この一帯は旧豪族の三枝一族が支配していたが、甲斐源氏であった加賀美遠光の四男光経と五男光俊がこの地を支配し於曽氏と称したようです。於曽氏の創立は結構早目で鎌倉時代初期には存在していたみたいです。於曽屋敷はその頃からの居城(館?)として於曽氏数代に続いていきます。
武田信玄の頃に同族であった板垣氏がこの一帯を継ぐこととなり、板垣殿ではなく『於曽殿』と呼ばれていた様です。
於曽屋敷跡は金山から近く金山衆の管理・統治を目的とした拠点だったんではないかと思います。そのため名族であった於曽氏に武田信玄が信頼する一族の板垣氏の一族が継承することで、重要な財源であった金山衆が生み出す『金』の軍資金を確かなものにしたのではないでしょうか?
於曽屋敷跡は現在公園として整備されており、土塁などが四か所ぐらい残っていて当時の面影がよくわかります。我々は反対側から於曽屋敷跡攻めを行ったのですが、正面門の辺りに案内図がありその絵から見ると、内堀と外堀の二重堀を巡らせていた様子がわかります。
於曽屋敷跡画像ギャラリー
攻めたのは於曽屋敷跡の裏側からでしたが、正面門側からご紹介いたします!
正面入り口側には案内板もありますので、これを見てから攻めた方がイメージがつくかもしれませんね(o^―^o)ニコ
外堀・・・いや・・・内堀ですかね????
於曽屋敷跡のすぐ隣には雰囲気のいい個人のお宅?があります
於曽屋敷跡内は整備された公園になっておりとてもいいです(お花畑ですかね???)
屋敷内側からはぐるっと取り囲む土塁を見る事が出来ます
北側からは土器などの発掘があったようですね
下於曽のモミ りっぱです!!!!!
於曽屋敷跡情報
築 城 | 不明(13世紀ごろ?) |
城 主 | 於曽氏(加賀美氏)、板垣氏 |
住 所 | 山梨県甲州市塩山下於曽539−1 |
種 別 | 平城 |
廃 城 | 不明 |
特 徴 | 県指定史跡 |
入場料 | 無料 |
営業時間 | ー |
駐車場 | 有り(無料) |
於曽屋敷へのアクセス
於曽屋敷跡レビュー
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