CATEGORY お墓・廟

武将や大名、もしくはその家臣など関係者にまつわるお墓(廟)を表示しています。

本庄宗秀・宗武の墓(京都府)

本庄宗秀・宗武の墓の感想 本庄宗秀・宗武は宮津藩の最後の藩主として知られており、本庄氏は近世大名家であり華族の子爵家でもあります。本庄松平氏の流れであり本庄宗秀は松平宗秀の名の方が有名なのかもしれませんね。本庄(松平)宗秀は幕末時代幕府の老中職として務めており、第二次長州征討にも幕府側の軍として従軍し副総督を務ており、その際に長州藩の捕虜を釈放したり独断で休戦協定を締結したために老中職をとかれてし […]

稲富一夢斎の墓(京都府)

稲富一夢斎の墓の感想 稲富一夢斎は稲富祐直(いなとみすけなお )といい、初名は直家と云われており『伊賀守』を名乗っていました。 なぜ『伊賀守』かと云えば、稲富氏は、元々は鎌倉時代末期ごるは伊賀国に住んでいたとされ、伊賀国から丹後国に移り住み、当初は『山田氏』と名乗っていましたが移り住んだ土地が『稲富保(いなとみのほ)』と呼ばれる港町だったことから『稲富氏』を名乗った様ですね。祖父の稲富相 […]

山名伊豆守時氏公之墓(鳥取県)

山名伊豆守時氏公之墓の感想 山名時氏は一代で急成長させた英主と称されます(。◕ˇдˇ​◕。)/ 山名時氏は鎌倉時代末期~南北朝時代に掛けて活躍した武将で、当時は伯耆国・出雲国・隠岐国・若狭国・丹波国などなどを支配する守護代大名で『太平記』にも登場する武将です。足利尊氏・直義兄弟の母である上杉清子は山名時氏の母方の従姉妹にあたる様です。山名氏は元々上野国(こうずけのくに)の新田氏の一族だった山名政氏 […]

山名氏関係の墓石群(鳥取県)

山名氏関係の墓石群の感想 打吹城(うつぶきじょう)から約2.2km、小鴨川を渡った鳥取県倉吉市巌城に境内を構えている曹洞宗の寺院である『山名寺』があります。スタートは伯耆国の守護大名だった山名時氏公が1357年により創建した光孝報恩禅寺にあります。戦国時代の末期になってくると、山名氏の滅亡により哀退した様ですが、1605年に中村伊豆守が再興して『清浄山山名寺』と称せさせ今に至っている様です。今は立 […]

  • 2025.10.05

正木時茂之墓(鳥取県)

正木時茂之墓の感想 あえて・・・『里見家墓所』とは別に記載させて下さい。大岳院内にある里見家墓所の里見忠義の墓の隣に『正木時茂之墓』があります!思わず私は・・・『え!?あの正木時茂がここで亡くなったの!?』っと興奮しまくりでした。後で調べてみるとなかなか『正木時茂』っていう人物像と合致せずに調べ続けていたら・・・ようやくわかりました!!! 私が興奮していたのは、正木時綱の子で里見義堯(さとみよした […]

別所長治公の首塚(兵庫県)

別所長治公の首塚の感想 わずか26歳で織田信長(羽柴秀吉)に刃向かい三木城に籠城の末、お城を開城し切腹となった別所長治の首塚に行ってきました。ほぼ三木城と繋がっていると言っても間違いじゃないくらいの場所に雲龍寺というお寺がありそのお寺に別所長治公の首塚があります。一緒に妻、照子婦人も並んで首塚が建てられております。別所長治の辞世の句は「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへ […]

里見家墓所(鳥取県)

里見家墓所の感想 この伯耆国で『里見』の名を聞くのに意外な方がいらっしゃる(私自身もそうです)と思いますが、打吹城の麓の大岳院に安房国の館山城10代目の城主だった里見忠義の墓がありました。里見忠義は1614年に江戸幕府内の勢力争いに巻き込まれてしまい、大久保忠隣に連座し転封を命じられ伯耆国倉吉に国替えされてしまいます。しかも、倉吉3万石とされていたのですが実際は4千石しか与えられず打吹城にすら入城 […]

尾崎寺城主 毛利本紹主従の墓(鳥取県)

尾崎寺城主 毛利本紹主従の墓の感想 法勝寺城の麓にお墓がありました。法勝寺城の城攻め前にふらっと寄ってみました。 『尾崎寺城主 毛利本紹主従の墓』です<(`^´)> すごく謎だなぁ~って困惑しています。 先ず、毛利本紹って誰なんでしょ?毛利元就の子供には存在しません。毛利輝元(毛利元就の孫)にもそんな子息は存在していません。毛利元就の長男 毛利隆元の妻が大内氏の重臣 内藤氏の娘で、その […]

伝 尼子晴久の墓(島根県)

伝 尼子晴久の墓の感想 尼子晴久の墓は月山富田城本丸の南側麓の森の中にありました。尼子晴久は尼子政久(尼子経久の長男)の次男として生まれ、政久が阿用城攻めの際に討死してしまったため、年少ではありますが尼子家を継ぐこととなります。勿論、尼子経久は健在で高齢になるまで尼子晴久を支え続けます。尼子晴久は当初 詮久(あきひさ)と名乗っていました。尼子詮久は尼子経久の命により、伯耆守護代として伯耆守護の山名 […]

伝 尼子義勝(尼子久幸)の墓(島根県)

伝 尼子義勝(尼子久幸)の墓の感想 尼子義勝は尼子経久の弟で義勝って云うよりは尼子久幸として知られているような気がします。尼子久幸は兄の尼子経久をめちゃくちゃ支え、晩年、尼子経久が自らの老いを悟ると久幸に自分が亡くなったら尼子家を継ぐように頼むと、久幸はそれを断り政久(経久の長男、阿用城攻め中に討死)の子、晴久に家督を継ぎ自分たちが全力で支える事を約束したと云われています。晴久が成人し勢力を拡大、 […]

1 9