CATEGORY 埼玉県

埼玉県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

猪俣小平六館(埼玉県)

猪俣小平六館の感想 猪俣小平六範(則)綱(いのまた こへいろくのりつな)または(いのまたのりつな)と呼ばれています(o^―^o)ニコ猪俣範綱は平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した、武蔵七党のひとつ猪俣党の党首だったと云われており、『保元の乱』では源義朝(源頼朝のお父さん)に従い活躍し、『平治の乱』では源義平(源頼朝の兄ちゃんかな?)に従い軍功をあげ『十七騎の勇将』と称されていた様です。なかなか […]

用土城(埼玉県)

用土城の感想 平安時代から大里郡一帯を支配していたのが、武蔵七党のひとつだった猪俣(いのまた)党の猪俣政行(花園城を築城)が、武蔵国榛沢郡藤田郷(現在の埼玉県寄居町)に入り、猪俣氏→藤田氏と称したのが始まりだと云われています(^▽^)/1546年の『河越夜戦』で主家の山内上杉氏が後北条氏に敗れると北条氏康に降伏し、当時の当主だった藤田康邦は北条氏康の五男氏邦を養子に迎え入れて、花園城と天神山城を譲 […]

花園城(埼玉県)

花園城の感想 花園城は1156年~1159年頃に藤田政行(←元々は猪俣正行と名乗っていて藤田荘に入り藤田氏を名乗った様です)により築城されたとされたいます。そして・・・江戸時代末期に編纂された『新編武蔵風土記考』によりますと!?『花園城』は藤田氏15代が在城したと記されている様です!?(@_@)!?!?すごっ!!!!この藤田氏もなかなかで・・・(o^―^o) 藤田氏は『武蔵七党』のひとつ『猪俣党』 […]

中城(埼玉県)

中城の感想 中城は小川盆地にある先端部に約100m四方に巡らした平山城で、鎌倉時代に増尾郷の豪族で郷内にある猿尾荘を領していた猿尾種直(ましお たねなお)の居館だったと云われていた様です。。。(o^―^o)ニコ南北朝時代初期では斎藤重範(さいとう しげのり)が同地の地頭となって支配したと伝えられています。。。一方、中城は太田道灌ゆかりの城でもあるそうです。 太田道灌が関東管領山内上杉顕定の側近の高 […]

高見城 / 四ツ山城 / 四津山城(埼玉県)

高見城 / 四ツ山城 / 四津山城の感想 高見城 / 四ツ山城の築城年代や築城者は不明ですが、太田道灌が1480年に書いた書状に『高見』『高見在番衆』というのがあったらしく、その名が登場することからこの年頃には築かれていたんじゃないかなぁ~!?!?って云われています(〃艸〃)ムフッ現在の小川町駅(東武東上線?)から約3.5km北方面、比企丘陵(ひききゅうりょう)最北部の丘陵部・四津山(標高197m […]

腰越城(埼玉県)

腰越城の感想 青山城 / 割谷城から約5.4km先に、扇谷上杉氏の家臣だった武蔵松山城の城主、上田氏が青山城と同様に支城として築いたとされているのが『腰越城』です( `ー´)ノ上田直朝の重臣である山田直定が城主をつとめた城で、代々山田氏の居城となっていた様です。目立った戦闘の記録はないものの、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐の際に武蔵松山城と共に落城したんじゃないかと思われます。その後は・・・その […]

青山城 / 割谷城(埼玉県)

青山城 / 割谷城の感想 青山城 / 割谷城は、青山と下里の大字境に位置しており、青山側は『青山城』と呼ばれ、下里側は『割谷城』と呼ばれていた様です。青山城/割谷城は山城自体に大きな仕掛けがある感じではなく、標高265mの山頂に築かれており、山頂の尾根を利用した山城でそれぞれの郭は堀切で防衛されているシンプルな山城のイメージでした。少し離れますが、尾根をたどっていけば小倉城に辿り着くことができ、扇 […]

小倉城(埼玉県)

小倉城の感想 国指定史跡である『比企城館跡郡(菅谷館跡 松山城跡 杉山城跡 小倉城跡)』のひとつである『小倉城』を城攻めしてきました!(⌒∇⌒) 小倉城は関東では珍しい大規模な石垣を有する山城で、しかもその石垣は全国でも稀な『石積み遺構』の石垣になっています。その規模は郭3をコの字型にかこむ最大高約5m総延長120mあまりの大規模な『石積み』が発見されています。また、現在は埋め戻されている様ですが […]

騎西城 / 私市城 / 根古屋城 / 山根城(埼玉県)

騎西城 / 私市城 / 根古屋城 / 山根城の感想 騎西城です!(^▽^)/~♪歴史(特に北条氏や佐竹氏)の本を読んでいると、よく獲った獲られたって城で騎西城が出てきます。 騎西城の築城は・・・よくわかっていません! 上杉氏の配下の太田氏(確かに近所だからね~)って話もありますが、自分自身もどんな感じだったのか?を妄想しながら楽しんでいます。でも現地にに行ってみて、『忍城』や『羽生城』にある様に、 […]

羽生城(埼玉県)

羽生城の感想 羽生城の築城はいつだか誰だかわかっていませんが、1550年頃に広田直繁が築いたとも云われています。実は個人的に前々から来たかった城で、長尾景虎(上杉謙信)と北条氏康が幾度となく羽生城を奪い合っており、拠点とすれば重要な城だったんだと思うのですが、あまり詳しく知られていない城として何か心に引っ掛かっていました。羽生城は古河公方に従っていた広田直繁や木戸忠朝らが守っており、長尾景虎と共に […]