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埼玉県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

皿沼城(埼玉県)

皿沼城の感想 皿沼城跡は、唐沢川に架かる3号橋の東側の土手に説明板がポツンってある感じの城跡でした!(`・ω・´)ゞ皿沼城は深谷上杉氏の家臣の岡谷香丹が利根川を渡って攻めてくるかもしれない古河公方の軍に備えて、深谷城の北側の守りとして1491年に築城したとされたと云われています。その後、築城した岡谷香丹は新たに隠居先として曲田城を築き、この皿沼城を長男の岡谷清英に譲ります。岡谷清英は文武両道に長け […]

秋元氏の墓(元誉寺)(埼玉県)

秋元氏の墓(元誉寺)の感想 秋元氏館跡から約1㎞ほど離れた『元誉寺』に秋元氏の墓があります。秋元氏館跡にあった案内板から『元誉寺』を知りやって来ました。ここには秋元景朝・長朝のお墓があると記載されていたのでやって来ましたが・・・看板はありましたがよくわかりませんでした(´;ω;`)ウゥゥ 見つけたのもとても新しくなっており・・・んんんん???って感じです。その時も不完全燃焼でしたが、家に戻り調べて […]

秋元氏陣屋跡/秋元氏館跡(埼玉県)

秋元氏陣屋跡/秋元氏館跡の感想 案内板によると・・・秋元氏は上総国(千葉県)出身の武将らしく、1541年頃、秋元景朝の時に深谷城主の上杉憲賢・憲盛に仕え、深谷上杉氏三宿老のひとりとして活躍し、息子の秋元越中守長朝も深谷城最後の城主となる上杉氏憲に仕えたとされています。豊臣秀吉の小田原征伐の際に、主君の上杉氏憲は後北条氏の命に従い小田原城に籠城します。上杉氏憲の留守となった深谷城に入城し守備すること […]

曲田城/谷之城(埼玉県)

曲田城/谷之城の感想 曲田城/谷之城は現在の皎心寺の場所であるとされています。到着するとさっそく案内板があり、それよ読んでいてすごく興味がわきました・・・んんんん???・・・『深谷上杉氏』って何???(@_@;)??? 曲田城/谷之城は上杉氏四天王のひとりと云われる岡谷香丹が築いた城らしく、岡谷香丹は当初 皿沼城を居城としていたが、子の岡谷清英に家督を譲り渡すと曲田城に隠居して城内に皎心寺を建立し […]

岡部六弥太忠澄の墓(埼玉県)

岡部六弥太忠澄の墓画像ギャラリー 岡部六弥太忠澄は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武蔵武士です。岡部氏は武蔵七党のひとつ猪俣党に属し、祖父の猪俣六太夫忠綱が岡部に居住して岡部を称したことにはじまると云われてます。岡部六弥太忠澄は源義朝(源頼朝の父親)の家人として保元・平治の乱に活躍したみたいです。源平盛衰記には『待賢門(たいけんもん)の戦い』で熊谷直実、斎藤実盛、猪俣小平六など源氏十七騎のひ […]

本庄城(埼玉県)

本庄城の感想 本庄城は武蔵七党のひとつ児玉党の本庄氏が築いた城と云われています( `ー´)ノ本庄城は本庄実忠が古河公方を迎え討つために築いた平山城で1556年に築城したみたいですね。1567年には後北条氏に攻められ落城し本庄氏は後北条氏の傘下に入ります。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐が始まると本庄氏は後北条氏の要請に応え小田原城に入ります。小田原城が豊臣秀吉に降伏し開城させられると、本庄氏は自害 […]

金窪城(埼玉県)

金窪城の感想 金窪城は1177年~1181年頃に武蔵七党と呼ばれる武士集団のひとつ丹党の加治家季が築いた城と云われておりますが、案内板を読んだら新田義貞が金窪城を築き家臣の畑時能が金窪城を居城とさせたとも書いてありますねぇ~(‘◇’)ゞ武蔵七党の加治氏はもっと南の入間・飯能の地域が勢力下なのでここまで離れた場所に金窪城を築くのは何かしらの理由があったのか不思議な感じがします […]

雉岡城/八幡山城(埼玉県)

雉岡城/八幡山城の感想 雉岡(きじおか)城は山内上杉氏が八幡山の独立丘陵に築かれた平山城です( `ー´)ノ元々は山内上杉氏の居城として築かれるものの、地形が狭かったゆえに山内上杉氏は上州の平井城を築き移っていったとされています!!! 鎌倉街道沿いの交通要衝を押さえた雉岡城は関東菅領上杉氏の最前線地として築かれており、今は雉岡城の方が大きくなっていますが、上杉氏の五十子陣(いかっこじん/いかっこのじ […]

宮寺氏館跡(埼玉県)

宮寺氏館跡の感想 宮寺氏は武蔵七党のひとつ村山党(平氏かな?)の武士で、村山頼家の二男家平が鎌倉時代に宮寺郷の領主となって居館を構えて宮寺氏を称したとされるみたいですね。1333年の鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代初期にかけて、新田義貞に仕えた加納下野守なる人物がこの宮寺氏館に拠ったと伝わっています。武蔵七党と呼ばれた小規模武士集団は鎌倉幕府開設以前から源氏棟梁との関係が深く、源頼朝の父親、源義朝が関 […]

清水冠者源義高終焉の地(埼玉県)

清水冠者源義高終焉の地の感想 国道16号線沿い狭山市入間川の側に『清水冠者源義高終焉の地』があります。源義高 って誰かって云うと、以仁王(もちひとおう)の号令により平家討伐のために挙兵し、平家の大軍を破って源頼朝軍よりも早く入京した、木曽(源)義仲の子です!!!木曽(源)義仲(信濃)は源頼朝(鎌倉)と関係が徐々に悪化し武力衝突寸前となりますが、一旦は和解し木曽(源)義仲は和解のしるしに息子の源義高 […]

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