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埼玉県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

滝の城 / 本郷城(埼玉県)

滝の城 / 本郷城の感想 滝の城は現在の所沢市(埼玉県)と清瀬市(東京都)の境(所沢市側)にあり柳瀬川の沿いの切り立った山?崖?の上にあった城だと思われます。築城者は太田氏とも大石氏とも云われており誰だがわかりませんが、八王子城の支城と云われており、当時は大石氏が城主であったんじゃないかと思います。大石氏は関東管領上杉氏の重臣で多摩地域に巨大な勢力を持った一族だった様ですが、北条氏が関東へ勢力を拡 […]

柏の城(埼玉県)

柏の城の感想 『柏の城』は現在の柏町3丁目の志木第三小学校辺りにあった中世の城跡です。柏の城は、室町時代中期に関東管領山内上杉家の重臣であった大石氏によって築かれた城の様ですね。その後、北条氏が関東の覇者になると大内氏は北条氏に従っています。因みに・・・当時の城主だった大石直久は駿河国にある獅子浜城の城代へと移されています。江戸時代中期に書かれた『舘村旧記(たてむらきゅうき)』には廃城後の柏の城近 […]

岡の城(埼玉県)

岡の城の感想 埼玉県朝霞市に名も無き城(全然有名でない城)の『岡の城』があります。調べてみると『浜崎陣屋』とか『峡の陣屋』とか呼ばれていた場所らしく、『岡の城』と言う名は、この地域に住む人達によって名付けられた呼び名であるみたいです(o^―^o)ニコこの城の近辺は縄文期や弥生期の集落跡も発掘されているため、経緯や自然地勢を推測すると天然発生型で築かれた山城なんじゃないかなって思います。よって明確な […]

猪俣小平六館(埼玉県)

猪俣小平六館の感想 猪俣小平六範(則)綱(いのまた こへいろくのりつな)または(いのまたのりつな)と呼ばれています(o^―^o)ニコ猪俣範綱は平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した、武蔵七党のひとつ猪俣党の党首だったと云われており、『保元の乱』では源義朝(源頼朝のお父さん)に従い活躍し、『平治の乱』では源義平(源頼朝の兄ちゃんかな?)に従い軍功をあげ『十七騎の勇将』と称されていた様です。なかなか […]

用土城(埼玉県)

用土城の感想 平安時代から大里郡一帯を支配していたのが、武蔵七党のひとつだった猪俣(いのまた)党の猪俣政行(花園城を築城)が、武蔵国榛沢郡藤田郷(現在の埼玉県寄居町)に入り、猪俣氏→藤田氏と称したのが始まりだと云われています(^▽^)/1546年の『河越夜戦』で主家の山内上杉氏が後北条氏に敗れると北条氏康に降伏し、当時の当主だった藤田康邦は北条氏康の五男氏邦を養子に迎え入れて、花園城と天神山城を譲 […]

花園城(埼玉県)

花園城の感想 花園城は1156年~1159年頃に藤田政行(←元々は猪俣正行と名乗っていて藤田荘に入り藤田氏を名乗った様です)により築城されたとされたいます。そして・・・江戸時代末期に編纂された『新編武蔵風土記考』によりますと!?『花園城』は藤田氏15代が在城したと記されている様です!?(@_@)!?!?すごっ!!!!この藤田氏もなかなかで・・・(o^―^o) 藤田氏は『武蔵七党』のひとつ『猪俣党』 […]

中城(埼玉県)

中城の感想 中城は小川盆地にある先端部に約100m四方に巡らした平山城で、鎌倉時代に増尾郷の豪族で郷内にある猿尾荘を領していた猿尾種直(ましお たねなお)の居館だったと云われていた様です。。。(o^―^o)ニコ南北朝時代初期では斎藤重範(さいとう しげのり)が同地の地頭となって支配したと伝えられています。。。一方、中城は太田道灌ゆかりの城でもあるそうです。 太田道灌が関東管領山内上杉顕定の側近の高 […]

高見城 / 四ツ山城 / 四津山城(埼玉県)

高見城 / 四ツ山城 / 四津山城の感想 高見城 / 四ツ山城の築城年代や築城者は不明ですが、太田道灌が1480年に書いた書状に『高見』『高見在番衆』というのがあったらしく、その名が登場することからこの年頃には築かれていたんじゃないかなぁ~!?!?って云われています(〃艸〃)ムフッ現在の小川町駅(東武東上線?)から約3.5km北方面、比企丘陵(ひききゅうりょう)最北部の丘陵部・四津山(標高197m […]

腰越城(埼玉県)

腰越城の感想 青山城 / 割谷城から約5.4km先に、扇谷上杉氏の家臣だった武蔵松山城の城主、上田氏が青山城と同様に支城として築いたとされているのが『腰越城』です( `ー´)ノ上田直朝の重臣である山田直定が城主をつとめた城で、代々山田氏の居城となっていた様です。目立った戦闘の記録はないものの、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐の際に武蔵松山城と共に落城したんじゃないかと思われます。その後は・・・その […]

青山城 / 割谷城(埼玉県)

青山城 / 割谷城の感想 青山城 / 割谷城は、青山と下里の大字境に位置しており、青山側は『青山城』と呼ばれ、下里側は『割谷城』と呼ばれていた様です。青山城/割谷城は山城自体に大きな仕掛けがある感じではなく、標高265mの山頂に築かれており、山頂の尾根を利用した山城でそれぞれの郭は堀切で防衛されているシンプルな山城のイメージでした。少し離れますが、尾根をたどっていけば小倉城に辿り着くことができ、扇 […]

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