CATEGORY 江戸時代

主に江戸時代、1600年代以降に築城、存在した武将、大名などに関するものを表示しています。

東方城(埼玉県)

東方城の感想 東方城は1456年頃に深谷上杉氏の居城深谷城の支城として築城された城らしく、当初は誰が築城し誰の城だったのかわかっていなかったようですが、最近では深谷上杉氏四天王のひとりの矢井重家の弟であった矢井重任が東方城の城主であったとされています。 深谷上杉氏の上杉氏憲が後北条氏の傘下に入り、1590年の豊臣秀吉による『小田原討伐』の際に後北条氏と共に深谷上杉氏も滅んでしまったようです。後に国 […]

深谷城/木瓜城(埼玉県)

深谷城/木瓜城の感想 深谷城の築城はさだけではありませんが、深谷上杉氏の上杉房憲が台地の北端部付近に築いた平山城です!深谷上杉氏の祖とされる上杉憲英(のりふさ)は、はじめは庁鼻和(こばなわ)城を本拠としたため、「庁鼻和上杉氏」と称されました。主家にあたる山内上杉氏は、鎌倉を出て古河を拠点とした古河公方足利成氏に対抗するために、五十子(本庄市)に陣を置いたと云われています。庁鼻和上杉氏である上杉房憲 […]

藤岡城/芦田城(群馬県)

藤岡城/芦田城の感想 藤岡城は方形の平城のお城だったようです。1590年に築城なので、戦国時代末期に建てられたお城ということになります。築城主は依田(芦田)康勝で1590年に小田原攻めで後北条氏が滅んだことによる、徳川家康の関東移封で家康から藤岡に3万石をもらったとのことです。しかし、康勝は1600年に大阪で囲碁で同僚の小栗三助と喧嘩になり小栗三助を殺害してしまいます。康勝はそのまま高野山に蟄居さ […]

秋元氏の墓(元誉寺)(埼玉県)

秋元氏の墓(元誉寺)の感想 秋元氏館跡から約1㎞ほど離れた『元誉寺』に秋元氏の墓があります。秋元氏館跡にあった案内板から『元誉寺』を知りやって来ました。ここには秋元景朝・長朝のお墓があると記載されていたのでやって来ましたが・・・看板はありましたがよくわかりませんでした(´;ω;`)ウゥゥ 見つけたのもとても新しくなっており・・・んんんん???って感じです。その時も不完全燃焼でしたが、家に戻り調べて […]

秋元氏陣屋跡/秋元氏館跡(埼玉県)

秋元氏陣屋跡/秋元氏館跡の感想 案内板によると・・・秋元氏は上総国(千葉県)出身の武将らしく、1541年頃、秋元景朝の時に深谷城主の上杉憲賢・憲盛に仕え、深谷上杉氏三宿老のひとりとして活躍し、息子の秋元越中守長朝も深谷城最後の城主となる上杉氏憲に仕えたとされています。豊臣秀吉の小田原征伐の際に、主君の上杉氏憲は後北条氏の命に従い小田原城に籠城します。上杉氏憲の留守となった深谷城に入城し守備すること […]

中牧城/浄古寺城(山梨県)

中牧城/浄古寺城の感想 武田信玄の時代この地を北国防備強化をするために、1548年に地元の豪族大村氏に命じて中牧城/浄古寺城を築城させたと云われており、大村加賀守・大村伊賀守が城主となっています。1582年に武田勝頼が討たれ甲斐武田家が滅亡すると中牧城はそれでも徹底抗戦を行います。しかし、徳川家康に反抗して敗れ落城・・・徳川家康入国後は家臣の内藤三左衛門が城代となり1589年今の規模へ修築したみた […]

本庄城(埼玉県)

本庄城の感想 本庄城は武蔵七党のひとつ児玉党の本庄氏が築いた城と云われています( `ー´)ノ本庄城は本庄実忠が古河公方を迎え討つために築いた平山城で1556年に築城したみたいですね。1567年には後北条氏に攻められ落城し本庄氏は後北条氏の傘下に入ります。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐が始まると本庄氏は後北条氏の要請に応え小田原城に入ります。小田原城が豊臣秀吉に降伏し開城させられると、本庄氏は自害 […]

金窪城(埼玉県)

金窪城の感想 金窪城は1177年~1181年頃に武蔵七党と呼ばれる武士集団のひとつ丹党の加治家季が築いた城と云われておりますが、案内板を読んだら新田義貞が金窪城を築き家臣の畑時能が金窪城を居城とさせたとも書いてありますねぇ~(‘◇’)ゞ武蔵七党の加治氏はもっと南の入間・飯能の地域が勢力下なのでここまで離れた場所に金窪城を築くのは何かしらの理由があったのか不思議な感じがします […]

雉岡城/八幡山城(埼玉県)

雉岡城/八幡山城の感想 雉岡(きじおか)城は山内上杉氏が八幡山の独立丘陵に築かれた平山城です( `ー´)ノ元々は山内上杉氏の居城として築かれるものの、地形が狭かったゆえに山内上杉氏は上州の平井城を築き移っていったとされています!!! 鎌倉街道沿いの交通要衝を押さえた雉岡城は関東菅領上杉氏の最前線地として築かれており、今は雉岡城の方が大きくなっていますが、上杉氏の五十子陣(いかっこじん/いかっこのじ […]

旧柳生藩陣屋跡(奈良県)

旧柳生藩陣屋跡の感想 柳生城・柳生家墓所(芳徳寺)から道路を挟んで向かい側に『旧柳生藩陣屋跡』があります。旧柳生藩陣屋跡は、戦国武将だった柳生家厳が松永久秀に付き敗れ落ちぶれてしまい、息子の柳生宗厳(石舟斎)が剣術の流派「柳生新陰流」を生み出し剣豪として知られ、さらにその息子の柳生宗矩(むねのり)が徳川家に認められ、秀忠・家光の二代に仕え大名として復活します。1642年に柳生藩初代藩主となった柳生 […]

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