佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城の感想 大分県佐伯市にあり豊後水道を見下ろす山城として築かれた城、『佐伯城』です!!!『佐伯』と書けば『さえき』と読みそうですがこれは誤りで『さえき』ではなく『さいき』と読みます。。。よって、『佐伯城(さいきじょう)』です!!!\(◎o◎)/! 佐伯城の築城は意外と新しく1606年で関ケ原の戦いが終わった後に、1601年に豊後国海部郡佐伯に2万石で入国した […]
中村城の感想 中村城は、公家一条氏の流れを組む前関白の一条教房(いちじょうのりふさ)が、土佐の国人衆だった大平氏の支援により土佐国幡多郡中村に下向し土着したのが発端し、初代の一条房家、房冬、房基、兼定、内政の五代に渡り土佐一条氏の居城となった城です。中村城は元々土佐国中村にいた国人の為松氏が築いた城で、一条氏がこの地に流れてくると為松城は一条氏の城となり、為松氏は一条氏の重臣として仕えることとなり […]
浦戸城の感想 長宗我部元親を想うと切っても切り離せない重要なお城です!浦戸(うらど)城です!!!( `ー´)ノ♪♪♪ 浦戸城の築城ははっきりしていませんが、本山城を居城としていた「土佐七雄」の一つである本山氏が勢力を伸ばし、朝倉城と共にこの浦戸湾のある地に本山茂宗(清茂)によって築かれたと云われています。浦戸城の本山氏は復興した長宗我部国親・元親親子の攻撃を受け浦戸一帯(土佐国)の覇権を争うように […]
長宗我部盛親公慰霊之碑の感想 秦神社に長宗我部元親の四男『長宗我部盛盛親公慰霊之碑』がありました。秦神社は長宗我部氏が秦氏の流れからくる一族なのであったのかな?って思っていたんですが、元々長宗我部氏の菩提寺であった『雪蹊寺』が廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の機運が高まっていた明治3年に廃寺となったため、長宗我部元親の弟の親房(別名は島親益といい四男の弟である親益を元親はとてもかわいがっていたが、親益 […]
高知城 / 鷹城の感想 土佐国の有名な名城『高知城(別名鷹城)』です!(。◕ˇдˇ◕。)/ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ高知城は『日本100名城』にも選ばれている名城で、皆さんの中では山内一豊や幕末の妖怪(失礼かも!?)山内容堂の居城として有名な城だと思います。 高知城は元々『大高坂山(おおたかさか)城』という城がベースだったとされています。大高坂山城は大高坂氏の居城である。大高坂氏はその昔、源平合戦で平家 […]
安芸城 / 安芸(安喜)土居の感想 長宗我部元親にとって、土佐国の西の雄は一条氏(一条兼定)であり東の雄はこの安芸城を居城とする安芸氏(安芸国虎)だったと云え、土佐国においても最大の勢力を持っていたと思われます。安芸氏の祖先は蘇我赤兄(『そがのあかえ』と呼ぶそうです。。。蘇我って・・・めちゃめちゃ古くねぇΣ(・□・;))とし古くからこの安芸の地を有する武将だった様で『土佐七雄』の一角に数えられてい […]
大西池田城 / 大西城 / 池田城の感想 大西池田城は、三好市池田の地にあったことから池田城、または、阿波国の最も西の地として大西と呼ばれており大西城とも云われていた様です。 承久の乱で武功を上げた小笠原長清が阿波国の守護となり、長清の息子の小笠原長経が守護代として入国し池田の地に大西城を築いたみたいです。大西池田城が位置する場所は、阿波国の最西端に位置する場所ですが、西に進めば讃岐国・伊予国、南 […]
脇城 / 虎伏城の感想 脇城は三好長慶が築いた城であり、蜂須賀家政の頃は『阿波九城』のひとつとされた城なので城攻めしてみたのですが、実は後でよくよく調べてみると面白く不思議な城であったと思いました!((´∀`*))ヶラヶラ 元々は脇権守と云う武将が館を構えたのが最初らしいですね。1533年に三好長慶が阿波国の西側の防御のために脇城をあらためて築いたらしく、三河守兼則が城主として入城していたらしい。 […]
川島城の感想 川島城は吉野川沿いに築かれた中世の平山城で、地元の土豪の川島兵衛之進(川島惟忠)が築いた城です。川島氏がこの地を与えられ川島城を築くに至るまでに、元々は三好実休の重臣であった篠原長房が支配をしていましたが、三好家の内紛により絶対的執権だった篠原長房が滅ぼされたため、篠原長房の居城であった上桜城に代わり川島城は築かれたようですね。。。 1585年に蜂須賀家正(蜂須賀小六(正勝)の息子) […]
一宮城の感想 長宗我部元親ファンの俺には『一宮城』は念願のお城です!(〃艸〃)ムフッ 一宮城は南北朝時代に築かれた山城で、本丸部分は標高約144mとなり本丸以外にも明神丸・小倉丸・才蔵丸・稚丸・水ノ手丸など山全体に多くの丸を築いています。北側には鮎喰川・東側には船戸川と園瀬川が天然の濠となった、なかなか堅固で大規模な山城では徳島県内で最大級の山城であることは間違いないですね!!!!(*`艸´)ウシ […]